久しぶりに妻の実家支援

久しぶりに妻の実家支援に伊豆へ。今回の支援作業のメインは確定申告。

義妹夫婦が本格的にみかん作りをやるようになって、昨年から軌道に乗り、コロナ明けもあり、売り上げが増えてきた。農協を始めとして、もろもろの名義が義母なので義母の収入となる。なので、義母の確定申告書の作成をお手伝いすることになった。

いつものように川崎駅から肉まんとコーヒーを買って「踊り子号」に乗る。肉まんは変わらぬ味、スタバのコーヒーは容器が春色になっていた。

「踊り子号」はほぼ満席。コロナが収まったわけではないだろうが、いままで出かけられなかった反動で急激に人が増えた。外国人も多く乗っている。まわりは宴会モード組も多い。そう言えば、昔は私自身もこういう時はコーヒーでは無く、ビールだったなー、と思い出す。

途中の伊豆熱川の源泉は今日も元気に水蒸気を噴き出している。

河津の駅ではツアーの組などそれなりの客が降りた。お目当ての河津桜はすでに葉桜となっている。

以前は伊東でほとんどの客が降りて、下田までの客は少なかったのだが、今回は多く、下田の駅前には旅館などの送迎のバスが10台近く待機していた。

 

道の駅などの売上票、年金の通知書、保険の資料などを参照して国税の WEB で申告書を作成する。私のような年金だけの収入と違って農業の収入があるので、それの収支内訳書が必要になる。肥料、消毒費、農業資材などの主な支出の他に今年は特別に「害獣対策費」という項目を立てることにした。猿、イノシシ、鹿の被害は本当に大きく、その対策費もかかっている。

領収書が見つからなかったり、いろいろと不明なこともあったが、義妹夫婦に聞き取りをしたりして、なんとか書き終えてコンビニで提出書類をプリントして提出した。巷では自民党議員の裏金問題で税務署への風当たりも強いとのこと、税務署の担当者の対応は丁寧だった。

提出が終わって、帰り道を少し遠回りしてドライブ。今年は暖かく季節が早い。こちらの桜もすでに葉桜模様に。

第26回みなみの桜と菜の花まつり」が開催中で桜は終わりつつあるが、菜の花は今が見ごろかな。

そして妻は農作業のお手伝い。甘夏ミカンも一月ほど早い。猿も食べているというので、せっせと採る。

タケノコも出てきているのだが地中にあるうちにイノシシが掘り出して食べているらしい。ふきのとうはこんな感じで昨年より少なめ。

今回は残念ながら温泉までたどり着け無かったなー。

Tandem Match Coupler を使った Power/SWR Meter

今どきトランシーバーには、Power/SWR 計はビルトインされているので製作する必要性というか動機にならないのだが、アンテナ( 特に MLA )の測定のため Tandem Match Coupler を使って Power/SWR Meter を作ってみた。

主な特性としては

 ・通過型 Power/SWR Meter

 ・測定周波数 1~50MHz

 ・最大測定電力 100 W

 ・測定 SWR 10 以下

 ・デジタル表示

製作したものは画像のようなもので、TRX にダミーロードに接続して測定中のところ。基板の上部が Tandem Match Coupler で進行波と反射波を分離する。中心の基板は分離された信号の強度を測定するもので AD8307 Log AMP 、レベル差・位相差を測定できる AD8302 を実装している。青いドーターボードは 16bit AD コンバーター ADS1115 である。それぞれの値を取り込み、ESP-32 TTGO ボードで演算処理をして、Power/SWR を表示している。

この測定器のキモである Tandem Match Coupler とは、二つのコアトランスを使って、進行波(FWD)と反射波(REF)を検出するものである。特徴として

 ・回路が対称でトランスしか接続されないのでシンプル

 ・検出部に調整点(トリマなど)が無い

 ・ダイナミックレンジが広い

 ・方向性に優れ、測定誤差が少ない

それぞれのトランスの巻き数を N とすると、FWD には RF In の 1/N*N の電力、REF には 1/N*N の反射電力が出力される。

RF Out の Return Loss は  FWD - REF であるので、それぞれの値を AD8307 Log AMP で測定し、演算処理を行って進行波電力、Return Loss( SWR )を求める。

全体の系統図は下図の通りとなる。

さて、Log AMP AD8307 や AD8302 で測定するときには入力レベルに留意する必要がある。データシートを見ながら、

 ・測定可能な電力範囲を 0.1 W(+20dBm)~ 100 W(+50dBm)

 ・AD8307 の入力範囲 -75dBm ~ +15dBm

 ・AD8302 の入力範囲 -60dBm ~ 0dBm

としてレベルダイヤを検討した。トランスの巻き数 N には、測定電力、周波数についてトレードオフがあるので、それらを勘案して下図のよう設定した。使用したコアは #50-43 で巻き数は 14 である。

 

ネットにある製作例をみると、アナログメーター表示のため、かなり複雑な構成となっている。ここは、ESP-32 TTGO と ADS1115 16bit A/D を使用して信号処理を行い、液晶ディスプレイに表示することにした。ソフトは Arduino で開発した。今のところ、

 ・FWD/REF の値を AD8307 で測定

 ・これらから、進行波電力、SWR(Return Loss)を計算表示

を行っている。実際に使用してみると、正確に表示され、満足する結果が得られた。

装置には、AD8302 により FWD/REF の 信号強度差、位相差も測定できるようにしてあり、負荷側(アンテナ)の特性をいろいろと求めるようにしてあるが、その処理はもうすこしかかるか。

 

 

沖縄南部の旅 3

 最終日、飛行機の出発時間を確認、那覇発13時45分。
その日も風は強かった。もう、歩き彷徨う気力は残っていないから、いっそ午前発でいいくらいだがそうも行かない。

7時、食事に行く。前日には7時頃に第一波が去って行ったが、残念ながら今日は混んでいた。「もうこんなに混んでいるの~」と後ろから声が。夫婦連れだった。「昨日は6時半でもいっぱいでしたよ」「6時半なんてそんな時間に来られないわ」「ここは6時半から8時半まで人が途切れないんですよ」てな話をし、相手は滋賀から来たと聞いた。こちらは川崎でと言ったら「それはどこにあるの?」と奥様が。「神奈川県だよ」とご主人。確かに!私だって滋賀県と言われたら全部琵琶湖で出来ていると思ってるくらいで、ここまで来たなら川崎だなんて中途半端な地名を出さず、いっそ全て「横浜」で通すべきなのかもしれなかった。いやもう東京にしちゃえばいいのか。だがそうなると「東京のどこ?」となる可能性が。こうなると大宮とかも「それはどこ?」と言われるのかもしれなかった。帰ってから見たニュースでは滋賀県では大雪で大渋滞とのこと。あのご夫婦はちゃんと帰れたやら。

 三度めのビュッフェで、相変わらず何でもあった。食事時が混んでどうしようもないとか埠頭の突端にあって、バスは来るが本数に縛られるとかそれでも素晴らしい道の駅が近くにあるとか、お薦めしていいのかどうかわからないホテルである。

 料理の中にはテビチ(豚足の煮物)があった。夕食にもあったが朝食にも出そうとは。と、さっきのご主人がテビチを皿に盛ろうとしていた。「沢山食べると気分が悪くなるのですが、骨までは食べませんからね」と上品なギャグをかましてくれる。食べるとこ少ないことは確かだが。

 降りてくる飛行機見ながらのんびりと食事したのち、朝ドラ見ながら帰り支度をする。元々ろくな荷物はないし、昨日色々送ってしまったし。見ればホテルから荷物を送ってしまうという手もあったようだ。それなら次回は着たきりスズメのすっぴんマスクはやめてきちんとしようかなあ。でも何のために??きちんとして雨風の中タクシーが来ないからと歩き続けるためか。とにかく!沖縄だもの、自分の荷物はどうでもいいからお土産の方を充実させたかった。

その日は糸満ではなく、

こちらで夕飯の材料やお弁当を買って帰ろうと考えていた。沖縄のお弁当は白飯の上に情け容赦なくお惣菜がのっかっているというもので、私は嫌いではない。あと、ヘチマも買い足せれば完璧、である。てなわけでタクシーに乗って「豊崎の道の駅」に行った。だがお弁当はあったが、ヘチマがない!!なんだかなあ、季節ではないと分かってはいてもがっかり。とりあえず糸満で買っておいて良かった。というかこの季節にヘチマを取り揃えている糸満の道の駅が優秀すぎるんだね。

 港の桟橋をつなぐ橋の下をくぐるとそこは何故かアウトレットモールである。ウミカジライナーに乗ると、主に中国人たちがここで降りていくのを見ることが出来る。私はといえば必要な買い物は済ませたので、こんなもんで時間をつぶそうとしたのである。
ふと、ヘンケルのショップが見えて、良く切れる肉切りナイフを買ってくれ、と夫に言われていたのを思い出した。だが、そんなもんを買ったら機長預かり荷物となってしまい、速やかにリムジンに乗り換えられない。機内持ち込み荷物だけにするべく着たきりスズメだというのに!

 そんなこんなで寒い中ぽけっと一回りし、それでも時間が余ることに。こんなんなら空港に行って荷物を置いて市場の迷路でもうろつき、いっそ昼飲みでもすれば良かったかもしれなかった。しかしそれを考えても仕方ない。寒い中、地味に歩いた。空港行きの路線バスの時間まで。タクシーに乗ってもよかったかもしれないが、足があると知ってる以上、無駄金使うのは嫌!!

 空港に到着してからは早かった。買わねばならないものはとうに荷物、または宅急便の中、ここにあるのは沖縄らしさが抜けた、意味なく高いものばかりだと思いながらも

でビールを飲もうかやめようかと考えるうちに搭乗時間となった。沖縄からの飛行時間も風のおかげで短い。どんな風に短いかと言えば、選んだ映画がちょうどいいところで終わってしまうくらい。

 帰ってから、「また行く」と夫に言った。「次は一泊でもいいかもしれない。着いたらすぐ荷物を空港に預けて糸満の道の駅に行って買ったものを送る。そしたら空港に戻って荷物を引き取るかそのままバス遠足したり途中下車したり。あれ、もしかして日帰りでも大丈夫な気がしない?」そう言ったらそれではただの買い出しの旅で、沖縄まで行く意味がないそうである。


 

沖縄南部の旅 2

 朝六時起床。ありがたく楽しんでいると、置いてきた夫にメールを書く。その日は道の駅でお土産を送り、しかる後にバスに乗りに行く計画である。が、まずは食事だ。レストランは六時半から開く。

 驚いた、六時半だというのに何この人込み!!ようようテーブルを見つけ、まだ薄暗い海を見ながら朝食をとる。やはり品揃えがよくてどのホテルでもありつけなかった
ゆし豆腐(おぼろ豆腐にダシと塩入れてあっためてお終い!)があった。ジーマミー豆腐もたっぷりと。「スイカがある!」という声が聞こえる。様々なカップケーキをハレバレと皿に山盛にしているおばあさんがいた。

 客はいくらでも湧いてきて料理に並ぶ。「もうあきらめた」の声さえ聞こえる。それでもひとりぼっちとは恐ろしいもので、私は何ひとつあきらめることなくゆっくりと一時間半かけて朝食をとったのである。だって、出ようかと思ったとたんに飛行機が降りて来るのが見えた。昨日は一直線に降りてきたが、今度は雲の間から光が見えたと思うとゆっくりと旋回しながら降りてきた。もう一機、もう一度、と思ううちに30分が経った。

 朝ドラ見て支度して9時15分には道の駅にいた。うちに送るカゴ一杯分の箱のサイズを確認し、隣のお土産棟が開く9時半を待って、お菓子「くんぺん」を購入。昨日買ったジミーのお菓子と一緒にヘチマだのなんだのと一緒に箱に入れて送ることが出来た。荷物受付のお姉ちゃんがカワイイ。

 まあカワイイくらいなら用が足りるからいい。以前、北部のド田舎でものすごい美人と出会い、驚いて声が出なくなったことがある。あ、この場合用が足りないのは私の方です。トホホ。また会いたい。

 用事を済ませたところでまたウミカジライナーに乗って今度は空港方面を目指す。念のため「旭橋のバスターミナルに行くなら赤嶺駅で降りるべきですよね?」と車掌らしき人に聞いてみた。キリンみたいなまつ毛の彼は答えるまで一瞬間があいた。もしかして車の運転ばかりでバスターミナルなんて関係ないのかもしれないと後で考えついた。

 糸満にもバスターミナルはあるが雨風の中馴染みのないバスターミナルに行くのははばかられた。乗り換えは少ない方がいいが、何より乗り換えてもバスの本数がどれだけあるかわからない。本来なら「せーふぁー御嶽」に行くバスに乗りたかったが、乗ったらそれっきりってくらい本数少ない。余程面白そうなところが見えても一度降りたら帰ってこられない。本日も風が強い。つまり、次回だ。

 玉泉洞方向のバスになんとなく乗った。国場あたりから緑が増えてくる。国場組というのがあり名前だけ沖縄に行くたびに目にしていた。この辺で創業したのかなと思い、近くには創業者一族が済む広大な本宅があるのかしらと妄想が始まる。そうこうするうちに徳洲会病院入口にさしかかった。姑はここで亡くなったのである。38年ぶりに通りかかったそれは立派に建て替えられていた。

 姑が入院した時もそこそこ古かったが、その古い病院にもまっさらだった時代があるはずだ。一体いつからあるのかと今更思う。今はおもろまちにあるNHKだが、昔はこのあたりにあった。ご主人が復帰直後のNHKに勤務していたという人がいて、御年93歳である。今度聞いてみようと思う。

 さて、バスをどこで降りるべきなのか。降りなくてもいいけど降りたい。すると「玉泉洞はここで降りるのが近道です」とアナウンスが入り、それならバスの本数もあるだろうと降りることにした。小高い丘には住宅が点在していて、反対側はサトウキビの畑。郊外だけあって、家がいちいち大きい。中には小学校でも始めるのかと聞きたくなるほど大きい家もあって面白すぎる。くうううっ、来たかいがあった!!と、うめいてしまう。

 商店があり、ウコン入りのサーターアンダギーが看板にあった。帰ってその話を夫にしたら「何事にも差別化というものが必要だからだろう。」と言った。これが何を意味するかと言えば一般化することにより、あり得ない味であろう商品を夫なりに救おうとしたのである。

 だがこれは珍しいとばかりに買って帰ったら「本当にお前はこれが美味しいものだと考えたのか」と詰問されるのは目に見えている。どんなものかは機会があったらウコン入りを口にしてみてほしい。
あと、予約すればアヒルの肉が手に入るとも記されていた。やはりここまで足を延ばしたかいがあったと思った。こういうのが見たくて夫をほったらかして(あわわわ)飛行機に乗ったのである。

 先刻の道の駅にもポスターが貼られていて、催し物の告知をしていた。抽選で生きているヤギ一頭が当たるとのことであった。こんな覚悟の要る抽選、初めて見た。いや、幸運を喜び当たったヤギ一頭を普通に飼える人生だってそのへんにはあるはずだが、私には無理だというだけの話である。

 丘をめぐる。クロトンを庭に沢山植えている家がある。クロトンは一時とても流行ったのだと夫に聞いたことがある。華やかな葉色は南の強い光にそれはそれは映えたであろうから、その頃を見たかった。なおも上がって行くとあっちの家もこっちの家も楽しい。家庭菜園が見える。夏咲きの花がそのまま咲いている。一月にコスモスが、と聞いて元秋田県人は絶句していたが畑も同じである。

 旅行の広告を見ていたら女満別から沖縄に飛ぶツアーが出て来て驚いたことがある。
女満別からハワイに行くなら楽しいだけで済んだだろうが、沖縄だったらどう思うのか。かの秋田県人のようになるのではないか。

 寒くて寒くて張りたおそうとするような風が吹いてる中、ひとんちを見て歩く。丘の行き止まりまで来て、振り返れば海が広がっていた。先ほど見えたガマの看板を思い出す。ここは南部、激戦地だったことが身に迫ってきた。それでもっともっと寒くなり、那覇に帰ろうと、いやホテルは南部の糸満にあるわけだがとにかくこのままこうしていてはいけないという気になったのだが今度はバスが来ない。

 ポールマッカートニーを違う方向に行った感じの顔の高校生に聞けば「オレら18分に乗るつもりなんですが。」だがバス停の時刻表にはそんなバスはない。バス停にはその前日に時刻表の改定をしますという張り紙があり、現在張ってある時刻表はそれよりずっと前の日付なのである。ようやく来たバスは時刻表通りの48分。寒かった。面白かったけど寒かった。

 路線表によれば徳洲会病院の周囲では糸満行きのバスが出ている。その昔私は那覇からタクシーで通ったが、糸満の方が近そうだし、本数も出ているかに見えた。けどもうやだ!!
確実な道を行く!・・・途中、開南に差し掛かりここならばと降りた。開南には昔バスターミナルがあり、上野みたいなところだったと聞く。開南は国際通り側から入ると、迷路のような市場の通りを抜けたところにある。その反対でバス停から市場通りを突っ切って国際通りを歩いて久茂地に出ようとしたのである。だがいつの間にかまた開南のバス停にたどり着いてしまった。私の記憶とて確実ではなかったか。

 開南からはひめゆり通りだったか、とにかく斜めに久茂地に行ける道があったはずだと思い、歩き出そうとしたら道の反対側にコンクリートの円筒のようなみょうちきりんな建物が見えて、それでついよろよろとそっちに向かう。それは自在塾という塾の建物だった。その向こうにも緑に紛れて別の家があり、突っ切れないかと思いながら細い道を奥に奥にと進む。と。ぶちの野良ペルシャ猫が道の真ん中に座り込んでいた。キツい顔をしたきれいな猫で、那覇に住んでいたならなんとかして連れ帰ったに違いない。

 道は当然行き止まり。途中には怪しい空き地などがあり、本土とは全く違う南の樹木や草が生い茂る空き地の有様がまた旅情をそそる。行き止まりだったので結局同じ道を帰り本来の通りを下り、なんとか那覇の中心地である久茂地に出られた。とりあえずリウボウ(デパート)入ってゆいレールでホテルに帰ろう。

 リウボウに入って驚いたのは暖房の存在であった。寒い寒いと何度もいうが15℃あれば建物に入れば何とかなる沖縄である。傘は飛ばされそうでも手がかじかむことはない。だが暖房は!さすがはデパート、段違いのすごいおもてなしではないのか。

 リウボウからはゆいレールの駅が直結、空港まで行ったらウミカジライナーは10分後に出発するという表示があった。待っていても来ないし、覚悟すると来るのがウミカジライナーだと言える。5時である。今日はもうホテルでは食べたくないのでスマホを出す。道の駅の前の道を渡った先に評判のいい店があった。

 ウミカジライナーはあっちへ行きこっちへ行きするので大丈夫と踏んだがやはりその通り、開店時間の5時半すぎに店に到着することが出来た。もう30分で「肉御殿」なる焼き肉屋も開店するが、待つ気はない。なんだろう、この名前への違和感。「お菓子御殿」というお店もあるけれど「酒池肉林」という言葉のせいか。

 入ったのは普通の飲み屋で、値段は本土並みだが盛り付けの量は三倍、という店である。客はいないのでお店の人となんだーかんだーとおしゃべりをし、楽しかった。が。自分が年をとったことにも気づかされた。「借金コンクリート」を知らないとは!それは台風に強い鉄筋コンクリートの家をこぞって借金して作った頃の言葉である。ビギンの歌じゃないけど「みんな同じ夢を見た」頃の。その頃は長男でもヨメが来た。今は怪しい。

 南部では、特に糸満では泡盛の銘柄は「まさひろ」と決まっている。が、スーパードライみたいな味なのでなじめず、口直しに「菊の露」を飲むことにして飲みすぎた。酔っ払いはタクシー呼んでもらってホテルに帰った。

沖縄南部の旅 1

またまた書くが、江戸時代の「講」は村のみんなでお金を貯めて、代表がお伊勢参りをしたり富士登山をしたりして、その話を聞いたりお土産をもらったりだったとのこと。家庭内「講」の代表、妻による旅の記録。写真少なし長文注意です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

夫の故郷に行く。ひとりぼっちで。一年ぶり。
そう聞けば夫はどうしているのかと思われそうだがちゃんと生きていて、他にやるべき
こともあり、普通に機嫌良くお留守番している。たまには「( 妻に)置いてかれた~」と吹聴して同情を得ているらしい。

 それはともかく JAL905便、羽田発8時5分である。窓際の席がとれたのに曇り。だがこの機種は目の前の画面で映画が見えるのである。国際便でしかありえない、
と思っていたが、沖縄便なら飛行時間といい、可能なわけか。せっかくなので見た。
フライトは1本と少しの長さだった。

 那覇に到着すると乗るのは東京バスだ。何故那覇で「東京」バスなのかと誰しも思うはずだが本当に東京バスで、空港から南部の観光施設を経由、南部のホテルに至る路線を走っている。その名も「ウミカジライナー(海風ライナー)」。

 経由するのはウミカジテラス、瀬長島のホテル、道の駅、アウトレットや水族館。
更には港の突端にあるサザンビーチ&リゾートホテルや糸満市役所を経由、その先の
ホテルが終点となっている。今回は道の駅にも近いサザンビーチ&リゾートを予約。

 ホテルは港の突端にあり、海風が強い。さらに不運なことにはその日大がつく寒波が本土どころか沖縄をも襲っていた。15℃を切って大騒ぎと聞けば鼻で笑う人の方が多いだろうが、風もあって結構寒い。

 空港では観光客が帽子を飛ばされたのを見た。沖縄で帽子をかぶるならあごにかける
ゴムやリボンなどを縫い付けないといけないし、日傘も傘も、並みの握力では風に持っていかれるので、鍛練が必要である。誰も教えてくれないが、マジで飛ぶ。

 私の部屋は最初に予約したのより広くなり、しかし港側だという。窓からは船が忙しく働いているのが見えた。これが泊港ならば見えるのは離島航路の船である。亡き父はその昔、石垣島旅行の際、船に一頭のヤギが載せられているのを眺めたものだが、港の用途により眺めも変わる。

 けど港の向こうには橋が見えて車が行き交っているし、その向こうには糸満の街が広がっている。反対側の部屋ならビーチが見えるが、なんせぼっち旅、そんなものは見なくていいのかもしれないと納得。

 羽田を出たのが8時過ぎ、ホテルに荷物を預け、道の駅「いとまん」を目指す。徒歩15分。民家もないので殺風景でこれといって面白い道でもない。それでも途中、周囲にバラを植えている物流会社? があり、京成ローズの札をつけたそれは結構なコレクションだった。しかし潮風が吹きまくるところで大丈夫なんだろうか。

 道の駅近くには土地の樹木(名前はわからない)を植えているところがあり、柔らかそうな新芽の中心にたくさんの花をつけているのが見えた。生き生きしていて、バラよりこっちの方がいいような気がしたが、まあ個人の意見ですな。

 道の駅「いとまん」。お魚棟には沖縄の代表的な魚のほか、生カキだの焼きロブスターだの、様々な魚介で作るのっけ丼がにぎゃか。しつらえられた席で韓国人が食べようとしている足元には猫。

 お土産棟には沖縄生活に欠かせない行事や暦について書かれた沖縄手帳とか、土産菓子とかがあり、石垣島で作られた「くんぺん」や素朴な「たんなふぁくるー」はここで買うことになる。しかし皆さんはこんなに大量にある土産菓子からどうやって選ぶのであろうか。

 花卉棟にはでっかいでっかいハイビスカスが並んでいる。地植えにすればいいのだから沖縄のどこかにはハイビスカスだらけにした庭があるはず。だが未だ見たことはない。ランが街路樹にくっつけられている道は首里で見た。これだから歩かねばならないのだが全ての瞬間全ての場所を見られるわけではない。残念。

 青果棟というのか、そこには青果の他にお弁当や手作りお菓子などが並んでいる。
ニガウリやヘチマを見てはよしよしとうなづき、パッションフルーツや釈迦頭の値段に
ひっくり返る。驚くほど大量のキュウリが売られていて、どうやって選ぶのかってくらい。沖縄は基本的に野菜はお安くないが、ここでなら新鮮な野菜がお安く入手できる。最終日に持ち帰るために作戦を立てようと入ったのだが、道の駅をあとにしたところで本日送ってしまえばよかったのではと気が付く。家には「置いてかれた」と自称する人がいるではないか!まあいいやこれから糸満ジミー(沖縄チェーンのお菓子屋さん)に行って買ったものと一緒に明日送ろう。

 それでまたウミカジライナーに乗って糸満市役所前で降りてみた。本当に市役所しかない。喫茶店とかで一休みとかしたかったんですが。仕方ないのでスマホを出してジミーの方向を目指して歩き始めた。表通りは面白くない。その裏の道でこそ驚くようなものが見られる。
それで一つ裏道に入ったら、廃屋からかつて飼っていたのに似た野良シャム猫が出てくるではないか!。飼っていたのは30年も前で、野良だったのでシャム猫と言っても何代か経たシャム猫で、だが一瞬で30年前に飛ばしてくれた。ちむどんどん。(沖縄方言で心臓ドキドキという意味)。当の猫はそそくさと行ってしまったし、こちらもただ見送るしかなかったが。

 普通に住宅街だが、沖縄の住宅は本土のとは全く違うので楽しい。台風に対応するため鉄筋コンクリートで作られ、守られているくせに開口部が広い。何のことかと言えば大屋根である。かつて見た石垣島の住宅では雨が降っているのに戸を閉めようという気配がなかった。

 そんな家の庭に、なんとポインセチアの庭木があった。バナナやパパイヤは普通だが
赤く色づいた地植えのポインセチアは季節限定である。地植えが可能な沖縄の地で
2mくらいに育ったそれは実に見事だった。(5mくらいにもなるらしいが)

 一つ道を違えれば見ることはできなかった。何の縁もゆかりもない住宅街でうれしさに身もだえしていると、今度はうちのにそっくりな猫が目の前を横切る。坂を登れば赤瓦を載せた小さな家の庭に妙に立派なバナナの木が何本もあったり、これまた大きな家の広い広い庭に軽自動車2台が置いてあったりして勝手な妄想にふけるには十分である。

 小学生らしき男の子が目の前で倒れ、延々と立ち上がれないのにも出会った。よそ見をして歩き、歩道に立つポールにぶつけたらしい。問題の場所を。「そのまま行けば
あたると思ったんだよなー!」と言いながら友達が見下ろしていた。そんなものまで
見たくはなかったがまあ仕方ない。かの小学生に幸いあれ。

 あっちでもこっちでも喜んでいるうちにさすがに疲れてくる。何度もいうが風が強い。寒いもさりながら延々と風に吹かれていると少しづつ何かをかすめ取られていくような気がする。なんとかジミー糸満店に到着出来たが、一休みできる喫茶室はない。馴染みのお菓子を買って出た。

 スマホの地図によればコメダ珈琲店があるようだが、ここまで来てコメダだろうか。
道路標識によればホテルのビーチ、つまりホテルまで2kmだそうである。あと30分も歩くのは嫌だ!!だが糸満では流しのタクシーは通りかからない。タクシーを呼ぶためにはそれなりの目印が必要だが、それも見えない。

 道を振り返りながらでも1kmを歩いたらしく中間地点の道の駅に到着した。あと1km?と、そこに奇跡的にウミカジライナー来るではないか!乗ったとも。道の駅からは蛍の光が聞こえてきた。 ふと、こんなバカな旅、あと何年出来るのかと思う。

 夕飯の時間になったが風に吹かれることを思うと、もう動けない。ホテルで食べてしまえ。ビュッフェはあまり好きではないが致し方ないではないか。歩数計は1万6千を超えていたが、まあこんなもんか。

 このホテルのビュッフェは沖縄県人にも評判がいいとのことで、沖縄料理の他にタコヤキとかジンギスカンとか、品数も多い。これならホテルから出る必要はないかもしれない。単にぬるい料理を自分で持って来なければならないのが気に入らないだけで。

 沖縄は西にあるので暮れるのが遅い。レストランに入ったときは、リーフに砕ける
波も、その内海の波も見えた。やがてその波の上の広い空を横切って、いくつもいくつもまっすぐ飛行機が降りていくのが見えた。飽きず眺めながら酒を重ね( あわわわ)飛行機が降りてくるのを眺めるうちに暗くなり、波は見えなくなった。
さて、部屋に帰って夜景を眺めることにするか。

 

UV-K5 を買う

JH1LHVさんのブログの一連の記事 に触発されて、話題の中国製 V/U トランシーバー UV-K5 を買ってみた。

びっくりするほど安い。送料込み 2000円くらいで購入した方もあるようだが、私の場合は2700円ほど。写真のように、無線機の本体、電池、充電器、アンテナの一式となっている。発注して1週間で箱潰れも無く届いた。

もともとは 144/435 MHz の FM トランシーバーだが Firm を書き換えることにより、受信範囲やモードの拡大、スペクトラムアナライザ表示機能の追加などができるようになっている。まとまった情報源としては ここのページ にくわしい。

もとよりこのトランシーバーを交信に使うつもりはなく、受信用専用とするための Firm を公開しているページを参考に Firm を書き換えて受信専用にした。

通信ケーブルは以前に購入した UV-5R 用のものが使えた。USB シリアルアダプタがあれば、こちらの記事を参考に自作できそう。特別なソフトを使うことなく Edge ブラウザで書き込むことができる。

エアバンドモニタ用として使いたいので、こちらの CHIRP というソフト を使ってメモリを編集中。安定版がうまくダウンロードできず、Legacy 版は UV-K5 をサポートしていないようなので、ダウンロードページの Download the latest CHIRP-next build here からダウンロードして使っている。

先ほど購入したページを見たら、Limited deal ということで値下げされて売られている。

どうやって利益をあげているんだろうか。

JLCPCB から基板が届く

ずいぶんと長く更新してなかった。なにもやっていないわけでは無かったが、色々なことが重なってアクティビティが低下していた。

気を取り直して MLA48 のメンバーから頼まれたものも含めて基板を設計してクリスマスイブの日に JLCPCB に3組の基板を発注した。ちょっと加工が面倒なものがあり、サポートとのやり取りがあったが、無事出来上がって昨日 元旦に届いた。

例によって標準の大きさ 10cmx10cm のスペースにいくつかの基板を面付けしている。JLCPCB など中国に基板屋さんは安価なのだが、昔の値段を知っているものとしては、その大きさを有効に使いたいと思うものだ。

というわけで、全部で6種の面付けした基板をカットしたものがこれら。

今回は基板内側の角穴、大きな丸穴開けの Milling 加工があったがきれいに出来た。

ところで、基板製作に使っている PCB CAD EAGLE だが、2026年6月で提供終了 とのこと。私の使っているものは開発元ドイツの会社 CadSoft が AutoDesk に買収される前に購入した Personal 永久ライセンス版である。以前の記事を見ると Raspberry Pi 2 込みで $180 ほど。今はサブスク版しかなくアマチュアにはやりにくい。サポートは無くなっても機能的には不自由しないし、なによりも20年近くも使っているので、手になじんでいるので他の CAD を使う気になれない、というか使えない。

というわけで、今年も工作スタート。