LiteVNA の Calibration Kit について

今月、7月号のトランジスタ技術は nanoVNA の特集で、VNA の仕組みもさることながら、キャリブレーション、実際の測定、治具の製作について、たくさん書かれており良かったと思う。

LiteVNA は 6GHzまで測定できるとのことであるが、その測定精度を保証するのは校正であり、キャリブレーション KIT の特性であると思う。LiteVNA 付属のキャリブレーション KIT が 6GHz までの要件を満たしているのかどうか触れられていないことが気になった。

そこで、手持ちのキャブレーション KIT を使って比較測定をしてみた。写真は キャリブレーション KIT で 左の2個が LiteVNA 付属の SHORT、OPEN 。右の3個は 50Ω LOAD 、左から ヒロセ HRM-601A ( DC-18 GHz )、右二つはそれぞれ、LiteVNA、Nano の付属のもの。

この組み合わせで Load =50 Ω を変えて LiteVNA のキャリブレーションを行い、同じ DUT を測定する。DUT には手持ちの Mini Circuits のアッテネーター BW-S6W5 (6dB DC~18GHz)を使う。

写真の ように接続して 1~6GHz までのスパンで ATT の通過特性を測定して、S2 パラメーターを PC に取り込んで比較する。

結果はこのとおり。画面にある通り、それぞれの色のグラフは 橙-Hirose、青-LiteVNA、緑-NanoVNA 付属の Load = 50 Ω によるものである。

この結果の意味するところは、控えめに

 「 LiteVNA は 4.5 GHz 程度までは付属の Cal Kit で測定できる 」

ということだろうか。オレンジの Hirose のデータからすると、精度の良い Load を使ったとしても 4.5 GHz 以上は注意が必要なのだろう。それでもアマチュアバンドの 5600 MHz 帯のアンテナ、機器の調整には有効だろうし、これしか無いかと思う。

 

 

Maker Faire Tokyo 2022 落選

先日エントリした Maker Faire Tokyo 2022 、本日連絡のメールが届いて、残念ながら落選とのこと。

もともと昨年当選した方々が優先で、今年の枠は少ないときいていたのだが、このように通知を貰うとやはり残念。テーマも良くなかっただろうか。来年からはコロナの影響も少なくなって平年モードになるだろうからめげずにやっていこう。

 

気を取り直して、昨日届いた「アマチュア無線局の有効期限満了のご案内」に対応する。

免許の有効期限は11月9日までで、再免許の申請期限は 10月8日 とのことだが、忘れてしまって失効しないように早々と電子申請で提出した。

ところで、私の使用している無線機は ICOM IC-7400、IC-910D 両方とも旧技適機器である。このままだと新スプリアス基準で運用できないとのことで一昨年 JARDに保証料を払って「スプリアス確認保証」をもらっていた。

電子申請では「機器の変更は無い」でそのまま受け付けられた。この「確認保証番号」を求められなかったけれども必要ないということだったのだろうか。昨年の8月に、「新スプリアス規格への移行期限を当分の間延長」という記事があったが、これに準拠したものだったのだろうか。よくわからないが、申請内容に不備があれば連絡が来るだろう。

20dB パワー ATT を仕上げる

ずいぶん前にヤフオクで入手した 100W 20dB の アッテネーター RFP-1398 、長いこと手つかずであったが、放熱器に実装して使えるようにした。使用した アッテネーター はこれ。

実装は、昔の CPU クーラーのアルミ放熱器を使う。もともとの高周波特性を生かすように、なるべくリードの配線が短くなるように仕上げたつもりだが、突っ込みどころ満載だろう。この ATT は方向性があるとのことなのでシールを貼った。

上記のヤフオクの出品者の情報によると、DC ~ 3 GHz まで使えるとのことだが、ネットで検索してみると DC~ 2GHz という記述が多い。なので、VNA で測定してみた。LiteVNA を使おうと思ったのだが、SMA-N 変換コネクタのわずらわしさを考えて SAA-2N を使うことに。

教科書通りキャリブレーションを行って 0~3GHz までの測定結果はこのとおり。

スミスチャートをみると周波数が上昇するにしたがって誘導性に振れており、N 型コネクタへの引き出し配線の影響によるところが大きいと思われる。リード線の影響と思われる自己共振が 1.3 GHz あたりにある。とても 3GHz までは無理で SWR = 1.5 以内というとところでは 700 MHz くらいが実用範囲だろうか。

アマチュア無線の 435 MHz までを想定して、あらためて 0~500 MHz の特性を取ってみた。

周波数特性は500 MHz までならフラットで SWR も 1.3 以下に納まっており、まったく問題なく使えそう。

もう一つ、かなり前に秋月が高周波関連のパーツを処分特価で売り出したときに購入したパーツで作ったダミーロードを測定してみた。やはり CPU クーラーのアルミ放熱器に取り付けてある。

1~500 MHz の特性はこのとおり。500 MHz の SWR は 1.5 なのでギリギリこのあたりまで使うことが出来そうな感じ。

これもスミスチャートで見ると誘導性に振れており、スペーサーを介して GND の接続など改良の余地がある。

このようなことも nanoVNAがポピュラーになって、気軽に高周波測定ができるようになって初めて見える世界だと思う。

 

 

中国製 SMA用トルクレンチのトルクを測定してみる

nanoVNA、LiteVNA と使ってきて、今のところ HF 用のアンテナの測定がメイン。せいぜいがところ VHF 144 MHz までがターゲットになっている。けっこうラフに扱っているが、精密な測定には SMA コネクタの締め付けトルク管理が肝要とのこと。

これから GHz 台のアンテナやら Filter をいじるつもりなので、トルクレンチを手配することに。Agilent などのきちんとしたものは、ものすごく高いので Aliexpress のお店から激安の中華なトルクレンチを購入してみた。購入時の値段は $24 ほど、今のレートでいうと 3,000 円くらいか。ちなみに AMAZON で「SMA トルクレンチ」で検索すると 7,000 ~ 50,000 円くらいのものが HIT する。

手もとの記録によると、SMA 用 0.57 Nm というのを購入したことになっているが、同梱されてきた試験成績書もどこかへ行ってしまったので、こちらのページを参考にトルクを測定してみた。

測定方法は、写真のようにレンチの 8mm の開口部にはまる M5 のボルトを固定して、バネ秤で押して 90度に折れ始めるときの値を記録する。バネ秤を押したときに中心に当たり、逃げないようにするためにインシュロックで固定した。

レンチの回転中心から、トルクをかけるバネ秤の位置までは 152mm である。よってここには

 1000 mm ÷ 152 mm = 6.58 倍の力がかかる。

SMA コネクタの管理トルク 0.56 Nm とすると、ここにかかる力が

 0.56 Nm × 6.58 = 3.68 Nm であれば良い。

何度か測定して、バネ秤の読みは平均 380 g となった。1 Kg = 9.8 Nm なので、このポイントのトルクの値は

 9.8 Nm × 0.38 = 3.72 Nm である。

よって、SMA の締め付けトルクは、0.57 Nm となり、ほぼ公称値 0.56 Nm と同じとなった。

機会があれば別の方法でも検証してみようと思うが、そんなに違った値でもなさそうだ。RF 関連の業務で使用するにはもう少し確認がひつようだと思うが、年金生活者のアマチュア無線用途には全く問題ないと思う。

 

LiteVNA もうひとつの PC アプリ NanoVNA -Solver64

LiteVNA の PC アプリは、nanoVNA-SaverNanoVNA-App とあるが、もうひとつ NanoVNA-Solver64 を使ってみた。

かなり高機能なソフトらしいのだが、日本では全くと言って使用例をみたことがない。このソフトは、作者のGitHub からダウンロードできコンパイルされた EXE ファイルで配布されている。Labview で書かれており、起動すると

というエラーメッセージが出力される。私は LabView の古いバージョン2014を使っているが、それではだめなようで NI(National Instrument )から Runtime Library 2021をダウンロード・インストールする必要がある。

無事起動させることができても使うのがけっこう大変。マニュアルがないので手探りでやってみる。

まずは LiteVNA との接続、Setup/Diagonistics の TAB から Port を指定して LINK ボタンをクリックすれば良いのだが、指定する箇所が3つもあり、それぞれ Baud Rate も指定することになっている。

他のソフトではこのようなことはなく Port 番号だけである。試行錯誤の結果、一番上の NanoPort の指定のみでよいことが分かった。Baud Rate は関係なさそうだ。ここを設定して LINK ボタンを押し、接続されると LINK の緑 LED 表示が出る。ちなみに、手持ちの NanoVNA は通信プロトコルが違うようで接続されない。

ごらんのように Unkown Protocol と表示されて、LINK の緑 LED 表示が出ない。Firm を最新版に変更すれば良いかも知れない。

正常に接続されると、他のソフトと同様にデータの表示、保存ができる。画像は、適当に TUNE した MLA の特性を見てみたもの。

 

こんなに難物のソフトなのに使ってみようという気になったのは、表示、設定データの多さ・細かさである。たとえば Calibration の項目では画像のように、VNA の教科書に出て来る様々なパラメーターを追加で入力できるようになっている。

他にもデータ表示メニュでも機能がてんこ盛りで良く分からないパラメータ表示もたくさんある。このようなデータは VNA や高周波測定を研究する人、より精度の高い測定を望む方には有益・必須なものなのだろう。私の技量や運用のレベル では必要ないかと思われるのだが、今後の勉強に向けて使ってみることにする。

なお、このソフトは製作者 Joe Smith さんから開発終了しましたアナウンスがあり、以降 Update されませんと宣言されている。

 

追記

トランジスタ技術来月号は nanoVNA の特集とのこと。楽しみ。

 

 

Maker Faire Tokyo 2022 へのエントリも済ませて

いろいろ迷ったけど 

にエントリした。締め切りは 週明け17日13時なのだが早めに対応。

今年のテーマをどうしようかと考え、思うところもあったのだが、なかなか体がうまく動かなくて準備が整わず、以前に製作した

を中心にして新たに製作中の高分解能の分光器も合わせての出品を予定している。

この分光器は前述の1号機の経験に基づいて改良を加えたもので、CANON EF レンズ を使ってリモートでフォーカスを調整する機能などを用意する。カメラ部分にリニアイメージセンサ TCD1403 を使うのは変わりはないが、反射型 Grating は DVD-ROM をカットして使用する。予備実験では比較的良い結果が得られている。エントリ締め切りまでには完成させたかったのが間に合わなかった。

昨年はリアル開催が中止になって、今年は、昨年当選した組を優先して出展させることになっているので、枠は小さいのと思うのだがどうだろうか。数少ないリアル表現の場所なのでめげずにやっていきたい。

 

ほっとしたところで、先日ヤフオクで落札した400ページほどの大部の本2冊が届いたのですこし目を通す。

欲しかったのは、左の「ビクトリア時代のアマチュア天文家」だが、出品が 2冊セットだったので、こんなふうになった。ゆっくり読んで行こう。

 

 

 

伊豆長岡でご馳走食べちゃった

連休前、久しぶりに二人でお泊りおでかけ。例によって妻による旅の記録。写真少なし、長文注意です。

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 それは、普通にどこか行きたくなったからだった。夫は脊柱管の関係で長時間歩けない。それでも趣味があり、関連の買い物はPCでこなし、それでダメなら私を秋葉原までパシリに使い、楽しい引きこもり生活(これを私は「深窓の令爺」生活と呼んだ)を謳歌してきた。しかしながら季節は春となり、他の懸案も片付いてしまうとこのままではよくない!と。ため込んだデパートのファミリーカードで北京ダックをお持ち帰りもしたし、イタリアンなお弁当を東京駅まで買いにも行った。だが、出来れば温め直すのではなく、出来立て食べたいな、と。自分が作るのでもなく。

 と言うわけで夫があまり歩かなくて済んで、特別なご馳走食べられる温泉宿(お高くなくてと、ここ重要!)を探すべく、PC に向かったのである。うろうろ迷う余裕はないのでそこそこ土地勘があり、それでいて特別感のあるところが良い。まずは箱根が候補にあがる。高速バス1本で行けるからである。しかしあまり行ったことはなく、行くことがなければ土地勘があるわけがない。

 宿のHPのアクセス欄を見ても「高速バス停目の前」という表示も、そこからタクシー
ですぐ、というのもない。大体箱根って温泉は確実だが山であり避暑地のイメージ。肉は自分で焼けるがお魚食べたい。そのうち一度日帰りでロケハン行ってからだな、と思うだけで終わった。

 熱海伊東でも悪くはない。しかしこのあたりになると実家近く感が濃厚になってきて、特別感がなくなる。それではいつも通り過ぎる各駅停車で真鶴、湯河原あたり?と検索してみたが湯河原、高級!?こりゃーダメでしょうとという値段、降参。

 夏場に行ってみたいなーと思っていたのは天城だが、春だからまだ寒かろう。三島、沼津で探し、伊豆長岡で検索。確かお宿がこじんまりとまとまっていた記憶があるし、駅からタクシーですぐである。

 そのあたりの宿をネットで探し予算に照らし合わせると候補は二つ。ひとつは何故か中華が楽しめる宿「サンバレー伊豆長岡」、内容は北京ダック、フカヒレ、伊勢海老。もう片方の宿は和食の宿「いづみ荘」伊勢海老の御造りに和牛、アワビという組み合わせだった。

 「いづみ荘」の公式HPの料理ページを見れば、甘エビ樽盛りという漁師の家にでも行かなければあり得ないプランも載っていた。エビ好きな夫に、甘エビてんこ盛りと伊勢海老御造りのどちらがいいかと聞けば、伊勢海老はそうそうないからと言うわけで伊勢海老のプランに決定。

 民宿ならともかく温泉旅館なのにこの夕飯のメンツで2万円しない。それどころか、平日だからとまた安くなった。伊勢海老もアワビもどの程度なんだか、これじゃどんだけ小さくても目の前に現れるだけで十分、お終いには自分が料理しなくて済むならもうなんだっていいや、とさえ思ったのはつまりもうネット検索に飽きていたのだな。

 ちなみにそこは武者小路実篤ゆかりの「実篤の宿」とのことだった。けどまああのあたりはそういう文学宿?が多い。ちらと見た戸田の宿は「太宰治」だった。なるほど富士には月見草が似合うとはそのあたりで思ったのか。

 交通機関を確認する。うちから伊豆長岡に行くには、川崎から東海道線・三島で乗り換えて駿豆線、という方法しかないと思っていたが、長岡には沼津からバスが出ていると知った。それなら箱根行きバスで新緑を間近に楽しみながら御殿場で御殿場線に乗り換え、沼津からは海や街を眺めながらバスでのんびり行きましょうか、と。夫は箱根行きバスに乗るのも殆ど10年ぶり、御殿場線なんて聞いたこともなく、沼津もちろん降りたこともないという。新鮮さ、十分ですね!

 当日はいつもの時間に起きてだらだらと支度をし、3分遅れで来た高速バスに乗った。この日は曇りの予報だったが、乗り換えの御殿場駅に着いたら濃霧が出ていた。大きく見えるはずの富士山が見えない。途中、アウトレットを目指すお客たちが御殿場インターで降りて行ったが彼らは霧の中でお買い物したはずである。 

 そんな霧はこっちだって何十年ぶりかで見るし、夫は夫で初めての御殿場線の景色が
物珍しい。私は身延線に乗りに行ったときに乗ったが、東海道線とは懇意なくせに実はその時初めて御殿場と国府津を結ぶ御殿場線に気が付いた。

 何故ここに御殿場線というものが存在しなきゃならんのかと思い、調べてみた。それによると御殿場線は1889年、東海道本線の一部として開業。1934年に熱海から三島に抜ける丹那トンネルの開通まで、こっちが東海道線だった。なんとなれば当時の技術ではそちらを走るしかなかったから。とはいえこの山側ルートも箱根の外輪山にあたるため、当時大変な難所だったらしい。

 そのあたりの電車事情を並べて行くと1889年に東海道本線開業に次いで三島から伊豆長岡に向かう駿豆線開業が1898年(現在は修善寺まで通じている)。当時の三島とは現在の御殿場線下土狩駅のことで、その旧三島駅から乗り換えて長岡まで行けた。

 しかし熱海から三島に丹那トンネルが開通するとそちらに三島駅をおくこととなり、
駿豆線の乗り換え駅も新三島駅に作ることになって旧三島駅下土狩駅と改名、御殿場線の中の一駅となった。

 それでは伊豆半島東側はどうだったのか。熱海は間欠泉があったりして、江戸時代以前から存在は確認されていたし熱川でさえ太田道灌が発見したとある。その先の下田はと言えば風待ち港として重宝されていた。

 しかしその下田まで鉄道で座って運んでもらえるようになったのは1961年、伊豆急行線の開通を待たねばならない。熱海から伊東への伊東線の開通は1938年。小田原から熱海に至る国鉄熱海線開通が1924年。1898年には長岡まで座っていけたのになんたるこっちゃ。

 列車などなくても熱海には政財界の大物や文士が盛んに訪れていたらしい。しかし東京や横浜から熱海を訪れるには海沿いの険しい道(熱海街道だと)を歩くか、駕籠、人力車を利用するしかなかった。現代では想像もつかないがそれが当たり前の時代だったから、普通にこなしていたわけだ・・・。

 それでも1896年には経費も安価な「人車鉄道」というのが小田原と熱海の間を結んで建設されていたらしい。だがこれがまさかの本当に!人が車両を押していくというシロモノで、1車両に乗客は平均6人、車夫2~3人。6両編成(想像もつかない)で小田原と熱海の間を一日に6往復、もちろん急坂となれば客も降りて押した。駕籠なら6時間かかったのが、4時間に短縮したという。

 2年やそこら早くたって、熱海はスマートさにおいて、はるかに長岡に後れをとっていたと言える。1898年には伊豆長岡まで列車に座って行けたのに、同じく座って伊東に行けるようになるにはなお40年、南伊豆に行くにはそのうえ20年もの年月が必要だったわけで、この差は大きい。道理で修善寺湯ヶ島に文豪の名が集まったわけである。

 時間がかかったのは東伊豆の地形にも問題があり、今でも伊豆急線の3割以上がトンネルである。それでも今では東京から乗り換えなしで何本も特急列車「踊り子号」が走っている。結局、修善寺行きは一日1,2往復ほどか踊り子号に連結されて熱海まで
来て、そこから別れ三島を経て現、伊豆の国市に入っていくことになる。

 ところで私が伊豆長岡に土地勘があるのは亡き父が長岡の病院に入院していたからである。その病院は拠点病院として伊東や南伊豆に至る直通バスを運行していて、私も何度か乗ることになった。春浅い天城を走るバスの中で、この道を踊り子が通ったんだなーとか思っていた。旧天城トンネルとかバイパス道路の話はともかくとして。

 話は元に戻る。御殿場駅は霧だったが裾野駅にたどり着く頃には霧はさっぱりと晴れて、沼津では跡形もなくなった。長岡行きのバスは一時間に2本。ちょっと駅ビルのお店を見に行くと大きな真アジを開いたのを天ぷらにしたのを売っていた。そんな大きなアジを二つ入れたお弁当は500円。駿河湾、すごい!!

 沼津から伊豆長岡まで路線バスで50分弱。最初はシャッター商店街を走るが、結構長くて左右に広がっているような気がする。伊豆で何やら認可を申請しようとすると、沼津まで行くことになると夫は言うが、それも文明の歴史がなせる業なのか。余談だが若山牧水は沼津の出だそうである。もっと寒いところの人だと思ってた!

 バスは平地をゆっくりと進む。やがてくるりを方向を変えると右に海岸線、左に山がそびえたつ。間の平地は狭くなっていくが、その山の向こうこそはなだらかな三島や伊豆の国市となる。海は日本一深いと駿河湾。かなり入り組んでいて、いっそ海に見えないほど。

 その後行く手に警察車両と交通整理が見えてきて、事故があったとわかった。バスの窓からのぞき込めば「伊豆の踊子」と車体に書かれたバンで、そう言えばそんなお菓子があったっけ。配達中かなんかのその車が何を間違えたのか民家に10cmばかりのめりこんでいた。その横には民家の持ち主なのかご近所の人なのか、3人のおじさんが腕を組んで立っていた。ついうっかりのぞき込んでしまったが、温泉旅行の途中に見る事故としてはこれくらいで済んでよかったと言えた。しかしなんでわざわざ「伊豆の踊子」・・

 バスはやがて海岸線から離れようと、トンネルに入ろうとした。その眼下には狩野川から駿河湾に通じさせて放水している大きな2本のトンネルも見える。このあたりでは大災害と言えば狩野川台風だと記憶してるので、そういう視線になる。

 ところで実篤の時代には北伊豆地震というのもあり、倒壊した宿の中では実篤の靴が見つからず、なんとスリッパで東京まで帰ったらしい。スリッパとは丈夫なものだなあと思うのは私だけか。

 トンネルを抜けると海などはなかったかのような集落があり、どこの家も畑に柿を植えている。またトンネルを抜けると左の丘には万城のわさび工場が見えて、その次にはいちご狩りののぼりや看板が見えてくる。沼津から、トンネル一つで伊豆の国市になったと思っていたら、今度は簡単に長岡温泉入り口とのアナウンスが入った。長岡が、あまりに海に近かったので驚く。思えば天城のイメージが強すぎた。沼津の方から入れるとも思っていなかったし。

 久しぶりの長岡にはそこかしこに「北条時政ゆかりの・・」と書かれたポスターが貼られていた。「鎌倉殿の13人」は未だに判別が難しいが、北条氏となれば別格ではあるな。

 「いづみ荘」到着。宿は新しくない。しかし畳が替えられていて、床の間には花が活けられ、和室10畳のはずがもっともっと広くて、畳が敷かれた広縁と次の間までついている部屋があてがわれた。夕食まで時間があったので夫は横になり、私は父がいた病院の方まで歩いてみた。

 昔に見た素敵な建物には蔓がからみつき、どうやら廃墟となっている様子。健在なのは病院ばかり、その日もドクターヘリが飛び、救急車が走っていてその車体には富士山の文字があった。まあ病院自体は元気でないと困る。

 部屋に帰り、夕食前にお風呂に行く。露天風呂は岩風呂となっており、薄暗い庭の中のそれには枯れ葉が浮かんでいた。実のところこれくらいが好みで、出来ればむしろ足元が見えないような濁り湯で、ぼうっとしたら湯あたりするくらいだともっといいがそこまで贅沢は言えない。物音がして、見上げたらぶちの猫が屋根から降りてくるところだった。

 その後は平日割引の特選コースの夕食のお時間である。まずは静岡そだちの牛肉用と、炊き込みご飯用の火をともす。前菜盛り合わせからお約束の伊勢海老の御造りのために熱燗を注文。

伊勢海老、ちゃんと一匹づつ出てきた!牛肉が音を立てる頃にはご飯もふつふつと言い出し、やがて出て来たアワビも踊り始める。

 この値段ではとあまり期待してなかったが、もはや恐縮するばかり、疑って申し訳ありませんでしたと心の中で平服することになった。アワビはお約束の踊り焼き以外にグラタンでもう一つ出て来た。これが養殖だとしても、アワビを出すからには普通一つだけでは?もう少し惜しそうな顔をするべきでは。目の前で炊きあがったご飯は赤ムツの
炊き込みご飯、デザートには柏餅。満腹でもつるりとあんこが入っていく・・・

 

 翌朝。朝食は豆乳を温めるおぼろ豆腐の湯気の横には、昨夜の伊勢海老のガラを使った味噌汁がたっぷりと、大きなお椀で供された。塩辛、うまいっ!!卵焼きは焼きたて!菜っ葉ちぎったサラダじゃなくてポテトサラダ。ひじきの煮つけときんぴらも、大き目の器で。ただでさえ温かいサバの煮つけがあるのにその上あじの開きの焼いたのまで出してくれた。こんなに温かいものだらけの朝食は見たことがない。少なくとも私が行く先では。

 食事時間は30分ごとに指定することになっていて、してみればこの温かい食事は周到に組まれたタイムテーブルのおかげでもある。しかし、それをここまでやってくれるところは今までなかった。まして朝食は。

 食べ物目当てとしたら、上等中の上等だった。何で極上と言わないかと言えば、他所にはあるかもしれないが、そんなの知らないからである。こんなおもてなしならば、温泉の内容なんかどーでもいい。

 だが、実篤がいづみ荘に通っていたのこそ、その温泉が神経痛に効いたかららしい。そして温泉の来歴はお風呂の入り口の貼り紙によれば田畑から湧いて出たとのことだし、HPによればそのあたりが暖いので子供たちに掘らせたら出た、とのこと。

 その子供がいくつなのかはわからないが、温泉といえば機械で何百メートルも掘った挙句に出るの出ないので大騒ぎが普通らしいのに、人力でちくちくと掘っただけで湧いて出るとは恐ろしい。結果それは長岡の一号源泉となり、昔は提灯持って山を越して入りに来たと言うが、それは沼津からの話だねと今なら言える。

 館内のそこかしこにある実篤の色紙に柿の絵があり、「花は地味だが寶は見事」と添えられていた。来る途中に見えた柿畑は昔からそのあたりで良く出来ていたということか。次は秋に来てみようか。

 帰りは長岡駅から三島を通ることも出来たが、目の前がバス停であることから沼津から東海道線で帰ることになった。そうか、それならお土産は沼津駅のスーパーのアジの開きの天ぷらにしよう!と思っていたが時間が早すぎてお店に並んでいなかった。だが、イチゴがうちの近所より100円安いことを発見!イチゴ狩りやってるくらいの産地、また粒が立派なこと!!扱いが厄介ながら買った。その挙句に沼津のまだ発車しない電車の中、周囲に人がいないのをいいことに、「さっ、あなた今のうちにっ!」と夫を唆す。夫も夫だ、いい年して電車でいい匂いをまき散らしながら素直にイチゴをつまんだ。

 それにしても困っている。旅の目的はもちろんアワビや伊勢海老だけではない。しかしこんなものを食べた後では、他所に行くときには食事に関しては最初から後悔を覚悟しなければいけない。いやあ、自分がこんなにアワビや伊勢海老に弱いとは知りませんでした。あと、温かい朝食にも弱かった!

 宿からは甘えびの樽盛りの写真が入ったクーポン券をもらった。これが3か月で切れてしまう。てことは次は夏、またクーポン券もらったら秋、またもらったら次は冬??四季全て経験してくださいということか。 他にも行ってみなければいけないところはあるのに、益々人生が短いものとなる。困った困った。

 困ったことはもう一つ。周辺の鉄道の歴史があまりに面白くて、自分がいるのがいつ、どこなのかがわからなくなったことでした。