全国旅行支援をもらって沖縄一人旅 1

前にも書いたが、江戸時代の「講」は村のみんなでお金を貯めて、代表がお伊勢参りをしたり富士登山をしたりして、その話を聞いたりお土産をもらったりだったとのこと。家庭内「講」の代表、妻による旅の記録。写真少なし長文注意です。

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ウィズコロナの中、全国旅行支援とやらで三万五千円で沖縄二泊三日、という個人ツアーを発見したのは一か月ほど前、すこし迷って申し込んで、年末にも関わらず行くことにした。

 朝9時のフライトのため、7時には「たまぷらーざ」発羽田行きバスに乗る。8時前には空港に着く予定。実のところ、その時にはまともに飛行機に乗れない気がしていた。というのは私が世間から乗り遅れているからで、旅行会社から届いたのは航空券ではなく、便名・時刻の書いた紙に2次元コード、この印刷を見ただけでもうげんなり。こちとらコピー機をすんなり信用出来るような世代ではない。

 それでもコードを ANA のチェックインの機械にかざし、言われた通りやっていけばこんな私をあざ笑うかのように搭乗チケットが出て来た。そのまま荷物検査に行けば問題なく通る。所定のシステムに吐き出されて搭乗ゲートたどり着いたのは1時間近く前か。それでぶらぶらと歩く。ターミナルの一番すみっこにはカフェがあるらしい。だがはるばる歩けば、臨時休業中だった。これで厄落としが済んだ気がした。(本当はそうではなかったのだが)。ついでに一番外れの搭乗口からどこ行きの飛行機が出るのかと見れば、紋別鳥取行きだった。紋別も、行ってみたくなってきた。鳥取は?いや鳥取はそれなりに色々有名だし。

 時間が来て、元々の搭乗口に足を運ぶ。乗り込む。席番号が K とつくだけあって席は窓際だった。しかし見事に翼の上。機内を見回せば、連れがいる人以外はほぼ窓際一列に座っていて、なおまだ空きがある。よし、移動してやれ!

 離陸して水平飛行に移ったとたんに立ち上がるとCAが「トイレですか?」おい!
「空から実家を見ようと思うの」と言うと、CA達喜び、これで私は席を移動する自由を確保できたことになる。

 その日はとんでもない快晴だった。伊豆半島のつけ根のあたりを飛んだのでいきなり伊東の大室山がくっきり見えた。機内アナウンスは「右側に富士山が見えます」とやっていたが、むしろ茶色の大室山の方に驚いた。やがてオリンピックの会場となった修善寺のサイクルセンターの屋根らしきのも見えた。

 飛行機は静岡県の上を飛び、川も見えたし、それどころか静岡県の内側を通る第二東名道路を走る車も見える。浜名湖まで来たところで、飛行機でさえも「静岡ののろい(横に長い)」を実感する。これが北に向かうのなら「岩手ののろい」かもしれないけど、北に飛ぶことは滅多にないし。

 やがて雲しか見えなくなって来て、しかし海に落とす雲の影があまりに美しくしばしそれだけ鑑賞し、今度は反対側の窓際に移った。今度は自分がどこにいるのかわからない。日本地図を頭に浮かべてみるがもしかしてあれ?もう鹿児島?桜島は雲の下?そんな私の戸惑いを他所に飛行機は大海原の上に出てしまった。まあしかし南の海は明るい。途中どこかの島やそれを囲むサンゴ礁、リーフを見ながら機は普通に那覇空港に到着した。

その日の午後は南部観光につれて行かれることになっていた。まずはひめゆりの塔

最近出来たらしい資料館は必見。痛ましくも怖くもなる展示の数々があるが、今は同じようなことをウクライナで行われている。

 しかしながらその外では軽トラが中くらいのトラックをあおり、食堂(レストラン
ではなくて食堂そのもの)があるかと思えば ヒストリイカフェ なるものが台湾まぜそばを供したりして、まあそれも旅情というものであった。

 次は ウミカジテラス。本島とをつなぐ道路が出来た瀬長島にあり、お土産品店やカフェなどがある。真正面は空港なので到着する飛行機を映える飲食しながら間近に眺められる。出発便の方は違う方向にあるが、そちらは自衛隊も使っているので轟音をあげて飛び立つ戦闘機と粛々と飛び立つ旅客機とをまぜこぜに見ることになる。

 ハンモックに座りながらのんびりと飲食出来る店とか、かき氷も沖縄そばも大体のところは網羅されているが時は午後3時。おばさん太りやすく、なお痩せがたし。それに、今食べたら夕飯が美味しくなくなる。

 宿のノボテル沖縄那覇に着いたのは4時、多くもない荷解きをして4時半 街歩きに出発。そのへんを散策してから国際通りを目指そうとする。方向さえ間違えなければと思い、大好きな路地に入って見事に迷う。地名だけは聞いたことがある。しかしながら川はあるし行き止まりだし丘は首里だけだと思っていたのにもう一山あるし!←土地の人しかわからん。途中、書道教室があり、貼ってある半紙を見てこのへんの子供は随分達筆だなあと思ってよくみれば署名の部分が皆女性アイドルの名前で、メンバー皆昭和の人ばかり。先生、何ふざけてんですか!ダメじゃないですか!!

 で、一時間も歩いたのちに元々の目的地のゆいレール安里駅の目の前に出た。本当ならば15分で到着するはずなのに。まあ面白かったけどさ。安里からは ゆいレール で県庁前に出て、ヘリオスビアパブでビール飲んでご飯食べようと国際通りを北上。変わったと言いたいが国際通りというものからすれば変わっていない。お菓子御殿 が通りの右と左に店を出したのも国際通りらしい。だが肝心のヘリオスビアパブがなくなっていたのは、痛手だった。

 民謡酒場が多いのにも驚いたが、沖縄民謡と言っても広いというか長いというか、私の世代で教科書にあったのは「てぃんさぐぬはな」だが、高校野球で「ハイサイおじさん」となり、「島唄」が突っ込んできて、ネーネーズはともかくビギンが世に出て何十年になるのか。沖縄の人が歌っているというだけで民謡と言っていいのかどうか、しかしどこに入ったところで知らない曲ばかりで鼻白むことは絶対にないのである。
が、それと私の食事とは別の話。昔懐かしい牧志の裏通りに入ってみる。そこも国際通りっぽい店はあるが、ちょっとうらぶれた感じの、定食をやっている店に入る。生ビール500円、シークワーサーサワー600円。つまみはジーマミー豆腐(ピーナッツ豆腐)が300円、枝豆なんて200円だったかしら。。

 ちまちまとツマミを注文してビールに特製の本物のシークワーサーサワー飲んで、沖縄のつまみは基本大き目であることを確認して店を出て来た。タクシーでホテルに帰り、その日はそれで終わった。