イタリア北部旅行 10 トリノへ

 本日はトリノに移動する日であった。
支度しながら外を見ていたら、2匹の犬を散歩させているお兄さんがいた。犬は2匹いて、ふわふわの白いのと茶色の模様がある中型犬。ふわふわの方は賢くてきちんと飼い主の足元から離れない。だがもう1匹はどう見ても残念犬で、寄り道ばかりして飼い主とふわふわを困らせているのだった。

 本日も十分な種類と量の食事が用意されており、上にフルーツを一杯載せたケーキを味見。土台はゼリーというかクリームというか。そこそこ美味しいけど、そうそう珍しくもない感じ(本当は珍しいのかもしれないが)、無理に食べなくてもいいという結論。 
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 ケーキを置いてあるエリアとパンを置いてあるエリアは違うが、クロワッサンはケーキやドーナツのエリアにあり、ということはやはりジャムやチョコが仕込まれているわけだ。生しぼりオレンジジュースもあって、なんて贅沢なんでしょう。マダムがオムレツを作りましょうか、というのでお願いしたら、こんなのが来た。バルサミコ酢での「Lis」のサインはホテルの名前である。 
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 マダムに富士山のお扇子をお渡しして出発。この人は私より年下かもしれず、ぱりぱりと働いている姿は格好良かった。が、パスポート・チェックでこちらの年齢を知ってる向こうにしてみれば、「しっかりせい!」ってなもんかもしれない。若く見えるのはいいが子供っぽいのとバカなのはダメなのだ。ええ、すいません。
 厨房で働いているスタッフは「ありがと~、日本ナンバーワン!」とちゃらく送り出してくれた。あれももしかして息子くらいの年?
 
 ホテルを出たのが9時半、電車は9時55分。ぎりぎりになったのは夫がまた迂回を求めたからだ。Hotel Lis の地理条件は最後まで夫を惑わせたことになる。

 券売機は「あと5分ですが大丈夫?」の表示を出しやがり、そんなの聞いてくるくらいならとっととチケット出せ!ってな状態。夫がチケット買ってる間にこちらは車両番号と何番線かを確認、もちろん、こんな時に限って1番線ではない。スーツケースひいてわたわたと走る。
 
 だがこんな大人が車両に乗り込んだら驚いたことに男の子3人を連れた女の子がさっさと席を立ち、我々にセキを譲ってそのまま他の車両に行ってしまったのである。な、なんと立派な!!私なんかよりずっと立派じゃん!お礼を言うことしかできなかったが、譲ってもらったおばさんはその後感動とありがたさにちびっと泣けた。
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 車窓からは白馬ばかりが草を食んでいるのが見えた。何故白馬ばかりなのかはわからない。白いのは柔らかくておいしいとか聞いたことはないけど、聞いてないだけかもしれないし。誰か聞いたことあります?
 
 トリノまで1時間。トリノと名前がついている駅は二つあり、PORTA NUOVA とPORTA SUSA である。PORTA NUOVAの方で降りる。大きな駅で、観光案内所を探したが見つからない。ま、いっかとタクシーでホテルに。10ユーロほどだった。Pacific Hotel Fortino 早く到着したにも関わらず、部屋は出来てるからとすぐに入れてくれた。ありがたい。

 ホテルは住宅街にあって、裏手には公団住宅、横を川が流れていた。川の流れは深くて早く、色は塗りたてのコンクリートそっくりだった。落ちたら幼児どころか大人だって確実にご遺体になって堰にひっかかることになりそうだけれど、あんな色の川で死ぬのは控えたい。イタリアン・アルプスから流れて来るはずだが何でこんな色なんだか。窓からは、アパート越しに雪をかぶったアルプスが見える。
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 休憩してから観光に出発。ここで新しい経験をしなければならない。タバッキ(白い看板にTのマークが目印。文字通りのタバコ屋? )でチケットを購入、バス停で路線バスに乗るのである。バス停は川を超えたところにあり、タバッキはその横にあったからチケットを買うのは簡単だった。だが、平日だというのに若い黒人の皆さまが周囲でひゃいひゃい遊んでいて。下着が見えるほどにズボンを下げている。これも移民の皆さまだが、つまり同じ移民でも、偉い移民と偉くない移民がいるらしい。
 
 ショッピングセンターについて調べていたら、「荷物を車に運び入れようとしたら移民の人に買ったばかりの食料が入った袋を盗まれそうになった」という記述があった。お金と食料、盗まれてショックなのはどちらなのか。砂漠ならともかく文明国の中にあって食料を盗むのって。
 
 11番バスは10番バスを3本やり過ごしてからやってきた。バスは結構混んでいて、夫が座ると隣の席を譲ってくれようとした青年もいた。こちらでは夫婦1単位、片方が座れば両方一緒に座れるよう男子なら配慮せねばならないらしい。こっちは気にならないけど、同じ調子で日本に来たイタリア人はどう思うのか。
 
 ふと思いつき、向いに座った夫に、扇子で風を送ってみせる。こんなことはイタリア人はしないし普通の日本人だってしないが、ちょっとふざけてみたのである。大抵、目を丸くされる。同じ表現でも、お尻を揉まれながら歩くより夫を扇子であおいでやる方が楽だと思うんだが。
 
 席を譲ってくれようとした青年に「チャオ!」と一声かけてバスを降りた。
降りたはいいが、大体のところはともかく、確実な居場所がわからない。ホテルでもらった地図を見て延々悩んでいたら私と同じくらいのおじさんがやってきて、親切に教えてくれた。ピアチェンツァはすぐに慣れたが、トリノは大きい。ゆえに同じ旧市街でも文字は細かくなるし、主要な施設の位置関係もまだ覚えてないし。

 結局我々は VIA MICCAにいて、王宮広場、ひいてはそこにある案内所まではすぐそこだった。途中日本料理の店があり箸を操って寿司を食べてる人々が見えた。トリノ寿司か。
今時どこに行っても寿司はあるが、寿司なんてご飯の上に生魚を乗っけただけと言う人もいるらしい。食べたことがないならまだしも、どこかでそれが普通に売られていたらどうしようかと心配になる。酢飯、せめて酢飯だから!お握りのご飯の方は白飯だから!
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 王宮広場前の案内所にて地図をもらう。こちらの方が見やすい。まずは王宮に行き、陶器なんぞ置いてあったものの小さな庭の方を楽しむ。りんごに洋ナシにプラムにイチジクが小さな実をつけていたのである。整形式庭園がなんぼのものか。
 
 近くには「TVラジオ博物館」というのがあり、行ってみたらそれはRAI(イタリア国営放送)の建物の中だった。建物は大きくなかったが、トリノだから比べるべきは渋谷のそれではなくて名古屋放送局あたりか。中身はといえば・・私にわかるわけがない。
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 近くにはぴっかぴかの高い塔があって、何なのかと見に行ったら映画博物館だった。上ることも出来、世界一高い博物館と言われているらしい。
 
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 疲れてタクシーに乗って帰ろうとするが、遠回りされそうになる。わかって幸いなのか不幸なのか、夫は延々と日本語混じりで文句を言い、お終いには「わかったよもう、10ユーロでいいから!」と言わしめた。私も泣きまねのひとつもして協力すべきだったのかもしれない。
 
 夕食は近くのトラットリア、だがそこはピザを主力とするトラットリアだった。
電灯がチカチカと切れかけている。その下に座らせられたときにはさすがに席を替えてもらったが向こうは何とも思ってなかったみたいで、後から来た地元客は普通にその下で食べていた。
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 注文はミックスサラダと例のごとくのカプレーゼ、馬肉のステーキと豚肉のステーキ。ミックスサラダは切った順番に器に入っている趣、カプレーゼはバジル抜き。いずれもオリーブオイルとバルサミコ酢うを使って自分で味付けすることになっている。「切って並べただけでは料理ではない!」と常々主張する夫、忸怩たる思いが顔に出ていた。
 しかしステーキはどちらもいやに美味しくジューシーで、ハテこの焼き具合はと訝って厨房を見れば、もしかしてピザ釜で焼いた???
 
 この日は9900歩。