イタリア北部旅行 9 アスティ市街と近郊散策

 朝7時半、食堂は満杯だった。ツアー客らしく、わあわあとおしゃべりしている。これから移動するらしく荷物が部屋の隅に置いてある。中高年ばかりで、スーツケースは3泊4日用に見える。食べ物の横でどうしようかと悩んでいたら、そのうちの一人にフォークがないと言われた。私は従業員ではないと言い、マダムも「この方はお客様ですよ」と口添えしてくれた。
 
 その朝私はとても呑気な格好をしていて、一方従業員は朝から黒服。間違われて迷惑なのは従業員の方であろう。ともあれ、中国人(東洋人)女子はどこにでもいて、様々な仕事をしているようだったから、仕方ない。仕方なくない!と怒ろうとするならば絶対に従業員と思われなさそうなおめかしをしなければならないた、そんな根性ない。そして、移民に間違えられたと怒るより、移民の皆さんは偉いなあと感心している自分がいる。
 
 人数からすると家族経営というよりは一族経営って感じでスタッフの皆さまは朝からぱりぱりと働いていた。卵をとったらそれは生なのでこれから茹でねばならないがどうするかと聞かれもし、テーブルに帰る途中で生卵とも知らず割ってしまった別の客も見た。(怒ってた。ぷぷぷ)
 
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 この朝私は初めてホールのケーキを食べてみた。これまでのケーキは上にジャムを載せた、ケーキというよりパイで見るからに安い感じだった。しかし、ホールのまともなケーキだぞ?というわけで、隅っこを向こうが透けてみえるほどにカット。外見が素朴なそれはナッツの粉が入っていることがわかった。昨日見た包装紙がカワイイお菓子も多分そうなっているのだろうと思える。こういうことか。

 朝食後、まずはホテル近くの教会を見に行くぞと夫に宣言する。仔細ありげな立派な教会だというのに、このままでは素通りで終わりそうだったのだ。大理石とステンドグラスが美しい教会だった。こちらの教会は、とにかく大理石!(エジプトだと赤御影石!)近くにはCOMPRESSO DI SAN PIETRO なんてのがあって誰もいないのをいいことに庭のプラムをひとつ。手が届くところのはほとんど収穫済みだったが。
 
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 次は案内所。広場には市が出ていて、Tシャツを買った。18ユーロ。
だがその後行った案内所には「TOKYO」と、他に中国語が書かれているTシャツを着ているお姐さんがいて、日本大好きーみたいなことを言う。もちろんイタリア語なので詳細はわからない。というか、どこで買ったのかあのTシャツ?もしかすると目の前の市場の品物で、私のも彼女のも中国製かもしれなかった。けどもうどーでもよろしい。

 本日はバスで近郊に行ってみようという話をしていた。電車よりもバスの方が世間に近しい。しかしアスティはワイン作りをはじめ農業で頑張っているところなので、延々と続くブドウ畑を見るばかりの旅になるのではないか。嫌いじゃないけど。
 
 それでバスセンターに行くがチケット売り場が見つからず、トイレも見つからないのでイヤになり、もう電車でいいやと駅に行き Mizza Monferrato という街に行くことにした。
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 電車で30分、Mizza Monferrato は周囲をブドウ畑に囲まれた田舎街だった。映画館を発見、そこでわかったのは週に3日、しかも夜しか上映しないということ。
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お腹が空いたのでBarに入った。細い細いお姉さんが世話を焼いてくれる。別のテーブルでは作業着を着たおっさんが白ワイン片手に大量のメロンに載せた大量の生ハムを食べていた。もしかしてダイエット中?こちらはサラダと水、冷たいペンネ。サラダは砕いたパルミジャーノチーズとクルミとちぎった鶏肉が入っていて、見かけより食べ応えがあった。帰ったら私も作ろうっと!
 
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 そうそう、日本料理店も発見した。こんなクソ田舎で(ごめんなさいごめんなさい)。何がすごいって店名が既に日本語じゃない。このあたりの住民が読めるとも発音できるともわからない。見たら店の中にいたのは東洋人でさえなく、こちらを認めると合掌してちょこっと頭を下げてみせた。違う、そうじゃない。
 
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 どんな日本料理かはわからないが、食べるに足る料理をこしらえて頑張っているのはわかるけど。記憶にないけど、その昔の日本の地中海料理とかどうだったんだろうか。今はともかく、日本人がオリーブ油でお腹壊す時代もあったんである。
 
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 街を歩いているとお店からひょいと子猫を肩に載せて出て来た男の人がいた。きゃあきゃあ言ってつきまとってお願いして写真を撮らせてもらった。聖マリア教会に行くと、アスティの街で見た「赤ちゃん生まれました」のお知らせの飾りが沢山奉納?されていた。
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 電車で30分、アスティに帰ってくる。ホテルで休もうか。だが夫、ホテルへの道をまた迂回してしまう。いまいち足が悪いのに、なぜ道に迷う余裕があるのか。道に迷わなくなったら、本当に後がないということか。それこそは旅行をやめる時なのだろうが、ハテいつどこで判断することになるのか。
 
 本日もマダムのお勧めレストランに。ホテルからすぐ近くで、周囲にも何軒かレストランがあり、日本料理店もあった。看板には写真と日本語をローマ字表記した品名が。つまり TERIYAKI とか。ラーメンやギョウザ、チャーハンもメニューにはあった。
 
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 イタリア人的には和食なんて全部前菜みたいなもんだから、油っこい中華でも添えなければお腹いっぱいにはなるまいよ、とは一応言える。言えるように見えるが溝はそれでけではない。それは彼らにとって、多分ラーメンは麺の入ったスープかスパゲッティなので順番としてまずこれを食べて、それから肉、魚に行かなければならないということ。
 
 チャーハンは米で野菜扱いなので肉や魚の付け合わせにしか見えないはず。その上で一皿ずつ順番にテーブルには置かなければならなくて、例えばおひたしがあればそれは先に食べてしまって、次のラーメンを食べ、しかる後に肉魚を待つことに・・・。中華料理に慣れていれば全皿テーブルに並んでもおじけづかずに済むんだろうけど、最初は奇異な眺めに見えただろう。

 通りすがりの人間がそこまで考えてもよろしい。この日のレストランはピアチェンツァスペイン料理と争う美味しさだった。普段なら滅多に頼むことはない前菜盛り合わせだが、メニューにはトラディッショナルスタイルとあった。その皿のど真ん中にはトリュフをかけたタルタルステーキがあり、周囲はツナをローストビーフで巻いたものやタマゴのムースなどで取り囲まれている。(夫、トリュフ惜しさにタルタルステーキにも手を出す。)
 
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 メインはロバの煮込み(赤ワインソースで煮込めばなんだって一緒だということがわかる逸品?)とイカとナスの詰め物にイカのグリルを添えたもの。イカの中にはお肉関係のものが、ナスにはチーズが詰められていた。
 
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 この店はピッツェリアの看板もかかっていて、こんなに美味しくて大サービスなのに周囲の人々は皆ピザを食べていた。ピザをナイフで切るのは結構大変で、隣のテーブルでもナイフを操るお姐さんの人差し指はそっくり返っていた。
 
 帰途、日本食レストランをちらと見たら店は満員だった。楽しそうに食べていた。
いつか私たちも入ってみることがあるのだろうか。
本日は17000歩。