妻の実家の屋根を解体

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この4連休は、仮住まいの引越しにそなえて、といってももう少し先のことだが、様々なものを片付けるつもりであった。連休の初日に妻の実家から、屋根の解体の応援の要請があった。妻の実家は、伊豆の農家であるが、ずいぶんと昔の萱葺きであった。萱をふきかえるのもたいへんで、日本中の多くの萱葺き家がそうであったように、トタンの屋根をかぶせていた。40年ほどの月日が経ち、錆びも目立ち始め、両親も老いてきたので、気力のあるうちにと、屋根のふきかえをすることになった。

まず、正月に、家の周りにあった、いくつかの樹齢100年近くの気を切り倒して、柱材その他を用意する。準備がすんだところで、屋根のトタンをはがして、萱をおろし、ふきかえる段取りである。工事がすすんでいることは聞いていた。萱をおろすのは、大工でなく施主側が手配することになり、その、人足の手伝いと炊き出しの応援に急遽行くことになったのだ。

写真は降ろす前と後のものである。
たいへんだったの一言につきる。萱の量がべらぼうにあり、またそれが、100年あまりいぶされたすすあり、作業にあたった全員、体中が真っ黒になってしまった。それでも、みごとなつくりを見せてもらうことができた。
梁は松材でできており、運ぶために切ったら、乾いた松の香りがした。
子舞竹というか、萱をとめるために、横に渡してある竹は100年かけていぶして乾かしたもので巣sで真っ黒だったが、水で洗い落とす濃い飴色となって美しい。かざりやらの工作用に、いくつか確保した。

なれない作業もあり、私自身の足腰は、ガタガタになってしまったが、大きな事故も無く作業を終えることができた、