沖縄南部の旅 2

 朝六時起床。ありがたく楽しんでいると、置いてきた夫にメールを書く。その日は道の駅でお土産を送り、しかる後にバスに乗りに行く計画である。が、まずは食事だ。レストランは六時半から開く。

 驚いた、六時半だというのに何この人込み!!ようようテーブルを見つけ、まだ薄暗い海を見ながら朝食をとる。やはり品揃えがよくてどのホテルでもありつけなかった
ゆし豆腐(おぼろ豆腐にダシと塩入れてあっためてお終い!)があった。ジーマミー豆腐もたっぷりと。「スイカがある!」という声が聞こえる。様々なカップケーキをハレバレと皿に山盛にしているおばあさんがいた。

 客はいくらでも湧いてきて料理に並ぶ。「もうあきらめた」の声さえ聞こえる。それでもひとりぼっちとは恐ろしいもので、私は何ひとつあきらめることなくゆっくりと一時間半かけて朝食をとったのである。だって、出ようかと思ったとたんに飛行機が降りて来るのが見えた。昨日は一直線に降りてきたが、今度は雲の間から光が見えたと思うとゆっくりと旋回しながら降りてきた。もう一機、もう一度、と思ううちに30分が経った。

 朝ドラ見て支度して9時15分には道の駅にいた。うちに送るカゴ一杯分の箱のサイズを確認し、隣のお土産棟が開く9時半を待って、お菓子「くんぺん」を購入。昨日買ったジミーのお菓子と一緒にヘチマだのなんだのと一緒に箱に入れて送ることが出来た。荷物受付のお姉ちゃんがカワイイ。

 まあカワイイくらいなら用が足りるからいい。以前、北部のド田舎でものすごい美人と出会い、驚いて声が出なくなったことがある。あ、この場合用が足りないのは私の方です。トホホ。また会いたい。

 用事を済ませたところでまたウミカジライナーに乗って今度は空港方面を目指す。念のため「旭橋のバスターミナルに行くなら赤嶺駅で降りるべきですよね?」と車掌らしき人に聞いてみた。キリンみたいなまつ毛の彼は答えるまで一瞬間があいた。もしかして車の運転ばかりでバスターミナルなんて関係ないのかもしれないと後で考えついた。

 糸満にもバスターミナルはあるが雨風の中馴染みのないバスターミナルに行くのははばかられた。乗り換えは少ない方がいいが、何より乗り換えてもバスの本数がどれだけあるかわからない。本来なら「せーふぁー御嶽」に行くバスに乗りたかったが、乗ったらそれっきりってくらい本数少ない。余程面白そうなところが見えても一度降りたら帰ってこられない。本日も風が強い。つまり、次回だ。

 玉泉洞方向のバスになんとなく乗った。国場あたりから緑が増えてくる。国場組というのがあり名前だけ沖縄に行くたびに目にしていた。この辺で創業したのかなと思い、近くには創業者一族が済む広大な本宅があるのかしらと妄想が始まる。そうこうするうちに徳洲会病院入口にさしかかった。姑はここで亡くなったのである。38年ぶりに通りかかったそれは立派に建て替えられていた。

 姑が入院した時もそこそこ古かったが、その古い病院にもまっさらだった時代があるはずだ。一体いつからあるのかと今更思う。今はおもろまちにあるNHKだが、昔はこのあたりにあった。ご主人が復帰直後のNHKに勤務していたという人がいて、御年93歳である。今度聞いてみようと思う。

 さて、バスをどこで降りるべきなのか。降りなくてもいいけど降りたい。すると「玉泉洞はここで降りるのが近道です」とアナウンスが入り、それならバスの本数もあるだろうと降りることにした。小高い丘には住宅が点在していて、反対側はサトウキビの畑。郊外だけあって、家がいちいち大きい。中には小学校でも始めるのかと聞きたくなるほど大きい家もあって面白すぎる。くうううっ、来たかいがあった!!と、うめいてしまう。

 商店があり、ウコン入りのサーターアンダギーが看板にあった。帰ってその話を夫にしたら「何事にも差別化というものが必要だからだろう。」と言った。これが何を意味するかと言えば一般化することにより、あり得ない味であろう商品を夫なりに救おうとしたのである。

 だがこれは珍しいとばかりに買って帰ったら「本当にお前はこれが美味しいものだと考えたのか」と詰問されるのは目に見えている。どんなものかは機会があったらウコン入りを口にしてみてほしい。
あと、予約すればアヒルの肉が手に入るとも記されていた。やはりここまで足を延ばしたかいがあったと思った。こういうのが見たくて夫をほったらかして(あわわわ)飛行機に乗ったのである。

 先刻の道の駅にもポスターが貼られていて、催し物の告知をしていた。抽選で生きているヤギ一頭が当たるとのことであった。こんな覚悟の要る抽選、初めて見た。いや、幸運を喜び当たったヤギ一頭を普通に飼える人生だってそのへんにはあるはずだが、私には無理だというだけの話である。

 丘をめぐる。クロトンを庭に沢山植えている家がある。クロトンは一時とても流行ったのだと夫に聞いたことがある。華やかな葉色は南の強い光にそれはそれは映えたであろうから、その頃を見たかった。なおも上がって行くとあっちの家もこっちの家も楽しい。家庭菜園が見える。夏咲きの花がそのまま咲いている。一月にコスモスが、と聞いて元秋田県人は絶句していたが畑も同じである。

 旅行の広告を見ていたら女満別から沖縄に飛ぶツアーが出て来て驚いたことがある。
女満別からハワイに行くなら楽しいだけで済んだだろうが、沖縄だったらどう思うのか。かの秋田県人のようになるのではないか。

 寒くて寒くて張りたおそうとするような風が吹いてる中、ひとんちを見て歩く。丘の行き止まりまで来て、振り返れば海が広がっていた。先ほど見えたガマの看板を思い出す。ここは南部、激戦地だったことが身に迫ってきた。それでもっともっと寒くなり、那覇に帰ろうと、いやホテルは南部の糸満にあるわけだがとにかくこのままこうしていてはいけないという気になったのだが今度はバスが来ない。

 ポールマッカートニーを違う方向に行った感じの顔の高校生に聞けば「オレら18分に乗るつもりなんですが。」だがバス停の時刻表にはそんなバスはない。バス停にはその前日に時刻表の改定をしますという張り紙があり、現在張ってある時刻表はそれよりずっと前の日付なのである。ようやく来たバスは時刻表通りの48分。寒かった。面白かったけど寒かった。

 路線表によれば徳洲会病院の周囲では糸満行きのバスが出ている。その昔私は那覇からタクシーで通ったが、糸満の方が近そうだし、本数も出ているかに見えた。けどもうやだ!!
確実な道を行く!・・・途中、開南に差し掛かりここならばと降りた。開南には昔バスターミナルがあり、上野みたいなところだったと聞く。開南は国際通り側から入ると、迷路のような市場の通りを抜けたところにある。その反対でバス停から市場通りを突っ切って国際通りを歩いて久茂地に出ようとしたのである。だがいつの間にかまた開南のバス停にたどり着いてしまった。私の記憶とて確実ではなかったか。

 開南からはひめゆり通りだったか、とにかく斜めに久茂地に行ける道があったはずだと思い、歩き出そうとしたら道の反対側にコンクリートの円筒のようなみょうちきりんな建物が見えて、それでついよろよろとそっちに向かう。それは自在塾という塾の建物だった。その向こうにも緑に紛れて別の家があり、突っ切れないかと思いながら細い道を奥に奥にと進む。と。ぶちの野良ペルシャ猫が道の真ん中に座り込んでいた。キツい顔をしたきれいな猫で、那覇に住んでいたならなんとかして連れ帰ったに違いない。

 道は当然行き止まり。途中には怪しい空き地などがあり、本土とは全く違う南の樹木や草が生い茂る空き地の有様がまた旅情をそそる。行き止まりだったので結局同じ道を帰り本来の通りを下り、なんとか那覇の中心地である久茂地に出られた。とりあえずリウボウ(デパート)入ってゆいレールでホテルに帰ろう。

 リウボウに入って驚いたのは暖房の存在であった。寒い寒いと何度もいうが15℃あれば建物に入れば何とかなる沖縄である。傘は飛ばされそうでも手がかじかむことはない。だが暖房は!さすがはデパート、段違いのすごいおもてなしではないのか。

 リウボウからはゆいレールの駅が直結、空港まで行ったらウミカジライナーは10分後に出発するという表示があった。待っていても来ないし、覚悟すると来るのがウミカジライナーだと言える。5時である。今日はもうホテルでは食べたくないのでスマホを出す。道の駅の前の道を渡った先に評判のいい店があった。

 ウミカジライナーはあっちへ行きこっちへ行きするので大丈夫と踏んだがやはりその通り、開店時間の5時半すぎに店に到着することが出来た。もう30分で「肉御殿」なる焼き肉屋も開店するが、待つ気はない。なんだろう、この名前への違和感。「お菓子御殿」というお店もあるけれど「酒池肉林」という言葉のせいか。

 入ったのは普通の飲み屋で、値段は本土並みだが盛り付けの量は三倍、という店である。客はいないのでお店の人となんだーかんだーとおしゃべりをし、楽しかった。が。自分が年をとったことにも気づかされた。「借金コンクリート」を知らないとは!それは台風に強い鉄筋コンクリートの家をこぞって借金して作った頃の言葉である。ビギンの歌じゃないけど「みんな同じ夢を見た」頃の。その頃は長男でもヨメが来た。今は怪しい。

 南部では、特に糸満では泡盛の銘柄は「まさひろ」と決まっている。が、スーパードライみたいな味なのでなじめず、口直しに「菊の露」を飲むことにして飲みすぎた。酔っ払いはタクシー呼んでもらってホテルに帰った。