地震 昨晩は渋谷から歩いて帰った

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いつまでも忘れられない一日になるだろう。
被災されたかたがたにはほんとうにお見舞い申し上げます。
いまは、事態を見守ることしかできない。
情報過多にならないようにしながら自分のできることを確認していこう。

地震があったとき、渋谷のビルのビルの20Fにいた。
これまでに経験したことのない、ビルが振り回されるようなゆれで、ほんとうにこわかった。
だれかが、「机の下に!」といったので、とっさに机の下にもぐった。
天井が落ちることもなく、窓が壊れることもなく、たなから物が落ちることもなかった。
ゆれの性格ののせいかもしれない。
まどのブラインドを開けて外を見ると、お台場のほうから黒い煙が上がっているのが見えた。
そのほかは、変わった様子は見えなかった。

ゆれの感じからして、遠くであることはわかった。
ほどなく津波警報が出た。すぐに大津波警報になった。
が、NHKのヘリから移される仙台の名取川の周辺の津波の映像を見て打ちのめされた。
土砂と家がずーっとそのまま流されてくる。火事になって燃えているおうちも燃えたまま流される。
自然の猛威の前には、なす術を知らない。
高台に逃げるしかないのだろうが、高台がない。
津波はものすごい速さで進んでくる。時速20kmは超えているようだった。
橋って逃げても間に合わない。

職場の立場として、私たちの部門がすぐにすべきことはなかった。
次の交代要員でのCALLも想定して、行動することにした。

家に連絡をとったら、電話が不通であった。携帯もダメ。
2時間くらいたったあとで、回線のせいではないかと思い立ち、会社はIP回線なので、
別の電話をさがすことにした。別のフロアにで公衆電話で試してみたとこころ、呼び出しはするのだが、電話に出ない。時間をおいて何度か渡来したがダメである。

JRが本日中の運転を取りやめ、というニュースを聞き、7時過ぎ、に歩いて帰ることを決意する。
会社を出て、食事をする。途中のコンビニがどうなっているのかわからないからだ。
7時30分、歩き開始。玉川通りをあるく。物すごい人である。祭りの人ごみが延々と続いているというほどの人である。
ほぼ、田園都市線に沿って、溝口までが目標。そこからは、バスでもタクシーでもあると思っていた。以下、道中で見聞きしたこと。

道路は大渋滞だった。当初、バスは運行しているとのことだったので、二子玉川まではバスで行こうかと考えた。渋谷の駅は、ものすごい人だったので、途中のバス停でおりるひともあらおうから、乗れれば乗ろうと考えた。
が、大渋滞。車のスピードが、歩く速さを越えたのは、二子玉川にかかろうかというころだった。

みんな、協力的だった。道中、いくつかのお店で写真のように、トイレ貸します、などの看板が見えた。そうでないところでも、大きなビルはみんな開放していた。

三軒茶屋までは、女のひとでハイヒールのひともかなりいた。そこを過ぎると、、いなくなった。途中で靴を買った人も多かったようだ。新聞によると自転車はすぐに売り切れたらしい。

コンビにはすべて協力的だった。都心に近いほど食べ物は少なかったが、トイレを提供していた。

携帯が通じないため、特にソフトバンクがNGのようだった、公衆で電話に列ができていた。以前ほどテレホンカードがないのだろうか、カード専用の電話機は開いているものがあった。

溝口のバス停に到着したのが、22時30分。トイレに入り、バスはまだ動いていたので、ちょうどのることができたのが、22時40分。

うちの近くのバス停で降りたら、真っ暗だった。停電しているのだ。まるでゴーストタウンのようだった。家も、妻も無事だった。停電のために、電話が機能していなかったのだ。
地震で、水道のメーターBOX内で漏水しているため、元栓をとめたとのこと。風呂桶に水をためてあったので、それでトイレを使った。

渋谷を出発してから4時間、無事に帰ることができた。

再度申し上げたい。
被災されたかたがたにはほんとうにお見舞いいたします。
いまは、事態を見守ることしかできない。
情報過多にならないようにしながら自分のできることを確認していこう。