全国旅行支援をもらって沖縄一人旅 2

 泊ってるホテルは首里の丘へ行く途中にあり、昔は「都ホテル」と言った。今はノボテル沖縄那覇というホテルになり、ちっこいインフィニティプールもある。昔はチャペルもあり、ここでの結婚式・披露宴に出席したこともある。首里と言えば那覇の街を見下ろすもんだと思っていたが、目の前にも丘があり、那覇の街はその向こうに広がる。

 朝食がいいとのことで、確かに二日間で「ゆし豆腐」も「ポークおにぎり」も「沖縄そば」も「じゅーしー」も「タコライス」など沖縄の料理をここのホテルの朝食でクリアできた。「いい」の意味がそういうことなのかはわからないが、朝からこういうのを食べるとゆうに午後三時まではお腹が空かないのが確認できた。

 本日はバスで沖縄本島中部を目指す。まずはゆいレールで旭橋にあるバスターミナルに行きバス会社の事務所で一日乗車券を購入 2,500 円。事務所の奥には忘れ物置き場があり、笠、帽子とかに混じって「弁当」という見出しが見えた。それは箱なのか中身もろともなのか。

 沖縄中部、屋慶名(やけな)バスターミナルをまずは目指す。が、安慶名(あげな)バスターミナルという行先を見つけ、何か間違えたかとちょっと混乱。よく見たらこの安慶名を通って屋慶名に行くらしい。

 屋慶名行きのバスは国道58号を北上する。安謝を過ぎると左側に米軍基地が広がる。牧港(まちなと)の補給基地だそうだ。勢理客と書いて「じっちゃく」も通る。大謝名(おおじゃな)で右に入曲がりそれから嫌が応でも沖縄の背骨のような道を走る。普天間、コザ、ロジャース百貨店、キャンプ・キンザーに右にはキャンプ・フォートナー。空が広い場所だ。

 片側二車線の道路からは細い道が見え、そこから家々の間をひたすら下って行けば海が見えるはず。あああああ下りたい、下ってみたい!!広い道路を走るだけじゃつまんない!!←個人の感想です

 かねてより移動は飛行機か路線バスに限ると公言していたが、それよりいいのは徒歩だと付け加えよう。場所によるが。バスは北上し安慶名で東に方向を変え具志川に入り、東海岸の海が見えた。そこまで来ると片側一車線となる。スーパーのサンエーが見えて買い出しのおじいさんが荷物を提げて乗って来る。やがてバスはうっとりするような曲がりくねった村の道に入った。

 那覇から2時間で屋慶名バスターミナル到着。そこから沖縄本島伊計島を結ぶ「海中道路」を通って島を巡る村営バスの発着所まで徒歩5分。もちろんマイクロバスで、JAの敷地で乗客を待っていた。運転手は女性、バスは発車と共に社内放送で「海中道路」の成り立ちを流し始めたが、それには関係なくラジオも流す。混ざった音の、あっちを聞きとりこっちを聞きとり、この混沌こそが旅情というもの。

 昨日羽田を飛び立つ時にTV画面に出ていたニュースは新潟の大雪と C-C-B の一人が亡くなったというものだった。だからラジオからは C-C-B の曲が流れる。前の席のおじさんが軽く口ずさんでいるのが聞こえる。私と同世代か。やがて「さっちゃんありがとねー」と運転手に挨拶してバスから降りていくのだが。

 浜比嘉島平安座島、宮城島、伊計島。晴れ渡った海には漁船が浮かぶ。ちょっと
内陸に入ると畑。島バナナさとうきび、サツマイモ、12月なのにこれから咲くヒマワリ。うれしく見ていると、軽石の集積所があり、黒い包みが並んでいた。そう言えば遠くの島で噴火した軽石が流れ着いたこともあったんだっけ。

 村の中を通って、終点は伊計島の共同売店。バスはここからすぐに引き返す。売店に行きたかったが降りないでいると、運転手の「さっちゃん」がこのまま帰るのかと聞く。民宿もあるし、次回は是非泊まってみたい。散って行った人々に代わり、日焼けした長い髪の女性が乗り込んできた。小学校の裏で待ち合わせていた子供が来ないからと「ちょっと待ってて!」そりゃ無理ですよ。1分でさっちゃん、発車。

 終点 安慶名でバスの写真をノートパソコン撮っている人がいたので、どこから来たか聞いてみた。新潟から来たとのこと。「じゃあ、大雪」「今日は飛行機飛ばないです」思えば余計なことを言ったものである。雪なんぞ関係なく暖かくいい天気の沖縄でバスオタ活動を満喫してるというのに。私は東海岸を下って那覇まで帰れるかどうかを考えていたが、彼は「これからどうしようかと。」と言いながらその東海岸にも行ける乗り換え地点で降りて行った。ぐぬぬぬ。

 こちらは行きと同じ道を帰る。途中「パイの店 ぬち」というのがあり、ぬちという
音の感じがおかしくてしばし笑う。「ぬち」とは生命という意味だと後で聞く。ゴメン。ところで静岡県の奥地では、「ねち」とは歯茎のことである。夕刻、私はその奥地の人と出会うことになるが、その時はそんなことは知る由もない。

 バスを県庁前で降りて沖縄に残ったデパート、リウボウの7階にあるという書店、
リブロをチェックに行く。まずはデパ地下を一回り、沖縄料理の重箱詰めなどを拝見する。見事に茶色い。だが油っけがあり美味い。その昔、私の結納料理として義姉たちがはるばる私の実家まで運んでくれたことがある。母が親類縁者に少しづつ分け、大評判であった。母は長らく「また食べたい」と言ってきた。買ってやりたいと思ってきたが、予約もさりながら事情が違うという遠慮があって未だ果たされていない。

 リウボウ2階では楽園百貨店という企画で沖縄のいいものを紹介していた。その中に
「おなが屋」という焼き物屋があった。駕籠に入ったオナガを魚が空を飛んで運んでいるという不思議な絵柄のお皿に思わず、鳥が魚に空を運んでもらっちゃダメじゃないですか!とつっこむ。あまりの面白さに身もだえしながら、腹に一物持っていそうな表情の魚の柄のお皿を買ってしまった。

 買ってしまってよかったのかもしれない。どこにあるのかパンフレットを見たら読谷村読谷村と聞けばかなり北、そしてイメージとしては日の丸を燃やしたりして過激な感じ。だがそんなところにこんなほやほやしたものを作る工房もある。聞けば那覇の陶芸の里・壺屋の工房が集団でそちらに引っ越したらしい。いい土でもあったのか??

 他に、ぱきんと割ったら金箔が散る割り箸とかもあり、でも買ったのはタンナファクルーという素朴なお菓子、そして「さんぴん茶ジャスミン茶)」。タンナファクルーは銀座の「わした」でも買える。だが流石は百貨店、お土産にすると言えばオシャレなラッピングもしてくれる。存在しない私のしっぽは激しく振られていた。

 国際通りに出て、お菓子御殿に入る。おおぶりの「こんぺん」がある。タンナファクルーといい、どこでも買えるわりに味に大きなバラつきがあるサーターアンダギーよりはこっちの方が絶対美味しいと思う。12個買うと、重たい!!そう、沖縄のまっとうなお菓子は重たい。仕方ないねえ。そう思いながらタクシーに乗った。運転手さんにヘリオスのビアパブがなくなってがっかりと言ったら空港に出来たと新聞にありましたよ、と。国際線の方だとも言う。やった!それなら帰りに寄ることにする。

 今夜は地域クーポン使ってってホテルの和食処で贅沢してやれ。だが行ってみたらお店は休んでいるのである。開いているのはビュッフェのみ。朝も夜もビュッフェは勘弁してほしく、それならはす向かいにあるグランドキャッスルホテルでクーポン使ってやるか、とホテルを出た。大きな道をわたって下の道に降りると居酒屋があった。それを過ぎると道が暗い。歩道も樹木の根のせいかデコボコしていて、これはヤバすぎる。こんなところで転びたくない。

 実は屋慶名のバスターミナルに帰る途中で転んだのである。手をちょっとすりむいた
くらいで、服も全く無事だった。が、何でわざわざこんなところでと思いもしたし、
あり得ないほどドキドキした。思えば私は転ぶ人で、前回転んだのはいつどこでだったかと思えばブルガリア、いや自分んちの庭だっけ。同じ旅行で二度転ぶのも嫌だから、さっきあった、さびれた感じの居酒屋で夕飯にしてしまえ。

入ってみたら客は私一人。海ぶどう400円とか、だが沖縄の食べ物は普通の値段のようで盛りが大きいのが通常運転。いや、東京ならこんな値段じゃないけど。

 沖縄二日目にして、まだ飲んでいなかった泡盛までオーダーすると、持ってきた氷が角氷でなく大きな氷を割ったものであるのにまたまた感心する。厨房から出てきた女将さんとしばらくおしゃべりする。膝が悪いとのことでよろよろしている。体重を減らすしかないのだけどという、いつもの話になる。

 しゃべるうちに同県人であると知ったのも驚いたが、難病のご主人を抱えてるとのこと。どうもひっかかる感じの話をするなあと思っていたら、そういうことか。しかしこの年になるとこっちも色々な人を見る。こちらの知るところの難病事情を話すとほほーとかへーとかいう相槌となり、そのうちご主人が出て来たので「お大事に」と言って店を出た。