ミュヘン、フィレンツェ、ピサのちミラノのちミュンヘン その8

ピサ、2日め
 
 朝も早くから、パンが焼ける匂いが漂ってきた。ホテルのレセプション隣に小さなスペースがあり、そこにコーヒーの自販機やらゆで卵やらヨーグルトやらが並んでいる。内容は、やっぱりビジネス・ホテルだ。もしかして、パンは冷凍状態から焼いてる??でもイタリアのパンはこれと言って美味しくない。ヘンだ、チャパタとかあるはずなのに?
 
 コーヒーをとりにいく。カップを置いて、スイッチを押すと上からどばーと出てくる、日本にもよくあるコーヒーマシン。だがこのコーヒーの出口が何かで詰まっているのか、コーヒーは微妙にカップのワクを越えようとして出てくる。テポドンみたいだ、と言ったら夫が露骨にイヤな顔をした。
相変わらず卵の黄身は片寄っていて、空洞が大きい。日本では皮がむけないほど新鮮な卵ばかり見ているので、不安になるのである。
 
 部屋でのんびりとガイドブックをあらためていたら、ピサの斜塔の開場時間が朝8時半なのを発見!!それならそうと早く言いなさいよ!って、誰も言ってくれないのが個人旅行である。そそくさと部屋を出る。日曜であった昨日とはうってかわって通りの店は売る気満々だった。
 
 ピサの斜塔に登るためには、まずチケットを買い、荷物があればそれを預けねばならない。斜塔見物は一回につき40人、20分ごとに入場が許される。到着時既に10時、我々が見物を許されるのは12時過ぎだった。さてどのように時間をつぶすか。私の希望は王宮博物館で、それならと一応は歩き出したが、斜塔に登る前にここで体力を使ってしまっては、と夫に言われ後回しにすることに。
 
 それで絵葉書買おうと並んでいたら、私の前にいた東洋人の坊やが気が変わったのかちょいと列から抜け、新たに何か手に持って帰ってきて、最後尾の私の後ろに並んだのである。あらま~なんていいコなの!あなたがそんなにいいコなら、と私の前に来るように身振りで言ったら「謝謝。」って。そうか、中国人か。なんてまあ躾がいいこと。下手な日本人よりずっとすごいぞ。かくなるうえは、偉くなりなさい!と、励ましたくなる。
 
 なんかお土産に楽しいものでもないかなーとお菓子屋さんを覗き見る。だが、これと言って変わったものはなかった。というか、普通の菓子屋すぎて、斜塔の目の前に店を出している意味がない。例えば斜塔を模したクッキー(瓦せんべい?)でもあれば売れるはずだが、普通のお菓子ばかり。代わりにあったのはマジパン菓子で、いわゆるアーモンドの粉を使って様々な形を作り、着色したりするのだが。なんで?なんで魚?甘い杏仁の香りがする粉で作るのが、生臭そうなリアルな魚なの??細工は上手いのよこれが!でも、誰が買うの?いや驚いた。
 
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 それにしてもいい天気で、その日も暑かった。アイスクリーム屋が出来るわけだ。だけどこの大量のアイスクリーム屋は冬には何を商うのだろう?甘栗か何か?日本なら焼き芋とかたい焼きとか今川焼き??原宿なんぞにあるクレープは日本だけのものだというが、とにかくピサは工夫なさすぎ。たまに工夫したと思ったら、魚のマジパン・・・ううううう。
 
 そんなこんなだったが時間となった。斜塔前に集合し、1階に入ると、若い男子が塔の解説にやってきた。とうとうと解説したあと、何かご質問は?しーーーーん。毎回、これが繰り返されているのか。ここで聞いてやればよかったのか、あのアイスクリーム屋は冬場は何を商うのかと。というか、誰も聞いたことないのかな?
 
 ピサ様式のほかの建築物同様、斜塔も階段を含め大理石で出来ていて、で、その階段は真ん中が磨り減っていた。とにかく頑張って上る。ひたすら上る。外に見える風景は、家々が眼下となり、それが段々街並みとなっていく。ピサは結構広かった。(後で調べたら、人口8万6千人で、ガラス、金属、機械製造なんぞもしていた。ピサ大学と、斜塔だけではないのか!)
 
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それにしても自分は現在、傾きのどっちにいるのか。今こそ柵があるが、昔はその柵もなかったらしい。というか、柵があっても怖くなってくる。夫は平気で鐘楼に登ろうという。まあ一応いくけどさ~~。にじりにじりで上り、にじりにじりでさっさと退散。
 
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先に下りるからと声をかけ、延々と続く階段を下りて行くと、次の回の人々が上ってきた。ふと見ると、靴の紐がほどけている人がいる。指摘すると、御礼を言われた。どこから来た人なのか知らないが、ピサの斜塔でほどけた靴紐踏んでコケたとして、それは自慢になるのかどうか。なりそうな気もするが、痛いことは確かだ。なんたって大理石の階段なんだし。
 
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 斜塔を出る。緑の芝生に大理石の建物が美しい。今日もまた広場は観光客でいっぱいだった。
さてどうするか。ランチに行こうと夫が言う。店のサービスはアジア人の若い男子だった。
隣席では子供2人が犬コロのようにじゃれあっている。静かにしなさいと父親に言われても、聞いてはいない。お父さんはやがてやってきたサービスのアジア人に、床に散らばったナプキンのことなどでお小言を言われていた。やがて家族は立ち去るのだが、其の前にお父さんは我々に「騒がしくしてすまない」みたいなことを言った。家族の思い出。何日間、ああやって過ごすのか。夫婦の結束は強くなるのか、それとも?
 
 王宮博物をめざす。庭にビワが植えられている家があるが、ビワは収穫もせず、さりとて鳥にも食われず、ただ朽ち果てていくばかりに見えた。何故、植える?人間が要らないなら、鳥が食べようよ!これ、食べられるんだよ?わかってる?と人間にも鳥にも言いたくなる。もちろん土は石灰の関係だと思うが、もしかして酸性土でないと美味しいビワにならないのか?
一粒食べてみたいが、そうもいかず。「世界街歩き」でそのへん、聞いてみて欲しい。
 
 王宮博物館に到着。めでたく休館日であると告げられる。ガリレオ研究所とやらも、どこを探してもない。いったんホテルに帰ろうやということになった。明日はミラノだ。だが、さしあたっての問題は、今夜の夕食だ。夫は、ネットでガリレオという名前のレストランを発見、そこに行くと言う。夫、ガリレオが好きだなあ。いや、日本人がそもそもガリレオ好きなのだ。東野圭吾の小説タイトルにもなかったっけ?私が月一で通う三茶の店の名前もガリレオだし。
 
 休んでから、出発。食事まで買い物。旅行も残り少ないので、処分すべきものは全て処分した。つまり、スーツケースに空きが出来たのである。ピサだって8万6千人の人口を抱えるからには、ショッピングセンターだの市場だのがあるはずだが、たどりつくには時間が足りない。そのまた前に、郵便局に立ち寄り、絵葉書を出して、と。
 
 状況的には田舎町の目抜き通りだが、どうせそんなにお店があっても見られない。ブランド・ショップもあまり関係ないし、Desigual 程度で十分というか、いや、十分派手ですから。それどころかもっと安い店でいかにも母が好きそうな色合いのTシャツ発見。19ユーロ。
夫も安いのでうれしくなってシャツを買っている。(だがこれには後で左胸のポケットがないことに気がついた!ポケットのないシャツを着ている人がいたら、ああ外国で安さにつられて買ってしまったシャツを着ている人がいるなあ、と思ってやってください。)
 
その後、ベネトンがあったので入ってみたら、涼しそうな色合いで、誰もが眺めていたくなるようなポロシャツがあり、仕方なく購入。受け取った母によれば、最初のは自分好みでものすごくうれしいが、こっちのポロシャツはどこがいいのかわからないなりに皆がほめるとのこと。実際、自分が好きな服と似合う服と周囲にほめられる服が全て一致することは滅多にないと思うべきで、例えば夫は私がちょっと面白そうな服を手にとろうとすると、「買う前に若葉台(仮名)と3回唱え、自分が暮す家の周囲を思い出すようにしなさい・・・」と言う。
 
その後困ったことには日本のバーゲンに行ってみたら、綿ローン2枚重ねの柄がきれいで気持ち良さそうなホームドレスも発見してしまい、3枚一緒に母に貢ぐことになった。母は「もう、夏服は要らないよ。」と言うけど、それはもしかして冬服を頼むという意味でしょうか? 大体、外に出たくなるような服の供給なしに、女に背筋を伸ばせだの美容院に行けだのと言えるわけもなし。「しまむら」しかない田舎なので、親孝行がサイフに響かないのがありがたい。
 
 何の話だったか、ピサの話に戻らなければならない。探し当ててレストランに到着したのは7時頃で、まだ早く、店はがらんとしていたが、開いていた。ここでまず美味しかったのが焼いて出してくれたパニーニだったが、それを越えて美味しかったのは前菜であり、これまた越えてくれたのが・・・後略。写真を見よ!
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サービスの人は英語を話せないのが済まなさそうにしてくれるのが、こちらこそ申し訳なく。昨日といい、その日といい、ピサの夕食の思い出は素晴らしいものとなった。
 

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斜塔のとなりにある大聖堂のシャンデリアが揺れるのを見て、ガリレオは振り子の等時性を発見したとのこと。当時の物は残っていないとのこと。
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斜塔のグランドフロアには、ツアイス製の測量器で傾斜をモニタしていた。
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