ミュヘン、フィレンツェ、ピサのちミラノのちミュンヘン その7

フィレンツェからピサへ

 

 駅まで近い。スーツケース転がしながらありがたく思う。本日はピサに移動する。フィレンツェから電車で1時間だ。しかし、駅の表示がわけわからん。18番線ってどこ?目の前には10番線までしかないんだけど!?そしてやっと見つけて乗り込んだはいいが、発車時刻になっても出発しない。なんで?一応、電光掲示板を見て、正しい行き先の電車に乗ったはずで?また遅れているのか??

 

 段々混んできた。偶然、向かい合わせの席に日本人が座った。夫婦でいらしたのだが、混んでいるので奥様は通路はさんで反対側の席にいて、聞けば個人旅行であるという。彼らはフィレンツェのホテルにまず荷物を置き、これからピサに行くとのこと。良かった、やはりピサ行きで間違いない。

 

そこで電車の疑問を聞いてみると、多分「到着」と「出発」の表示を見誤ったのだろうといわれた。結果的に1本遅らせたことになるわけで。それにしても到着の表示って、飛行機じゃあるまいし。まー仕方ない。着いてしまえばこっちのもんだい。

 

それにしてもバカンスだ。混んでいる。子犬もどきの3姉妹を連れた両親なんてのもいるが、足元には巨大なスーツケースが3つ置いてあって、一体何日間どこに行くのか、中身は何なのかとお金を支払っても見せてもらいたいくらいである。こんなに荷物が必要な宿泊先って、どんなの?

 

と、金髪長女がいきなり静かになったと思ったら、こちらをじっと見ている。視線の先は私のバッグだ。妹が台湾で買ってきたレスポもどきだが、その柄は薄いピンク地にそれぞれ違うオシャレな格好をしたうさぎがずらずらと並んでいるというもので、割りとどこでも評判が良いシロモノ。人種も年齢も違えど、この子もこれを「カワイイ」と感じるわけかと、ちょっとだけ驚いた。

 

電車はますます混んできた。あっちの方にお腹が出た女の人が立っている。妊娠中なら、席を譲ってあげたいところだが、顔を見たら一気にわからなくなった。

夏場ともなれば、私は50の年まで席を譲られることがあった。コトを荒立てるわけにも行かずに座ってきたが、その話を聞いて、「何故、怒らなかったんですか!?」と、怒られたことがある。だからと言って何が出来るわけじゃなし、かくなるうえは、席を譲られたぶんだけ、自分も席を譲ればよし!と割り切って座ってきたし、おばちゃんらしく実行もしてきた。だが、微妙な問題ゆえ、ここはやめておくか。大体足元に大きなスーツケース置いてるから、ただのバカンスだろう。

 

 いっしょになった日本人夫妻と、色々話す。旅行がすきで旅をしているのだが、イタリアで困るのはやはり泥棒対策らしい。彼らも目の前で新聞を広げられ、これはと思って大声出して新聞をとっぱらったらその下には子供がいて、驚いて固まっていたとのこと。何の話かといえば、新聞に隠れたこの子供にお財布を盗られそうになったのを防いだ、という話なのである。

 

目の前の赤ん坊に気をとられていたら、足元の子供に財布の中のお札だけ抜かれた、なんて話も聞いたことがある。鍛錬とは恐ろしいもので、才能なんて関係ない、年端もいかぬただの子供でもぶんなぐって脅して練習させればそんな神業が可能になるのだった。どうせなら他のことを鍛錬させてあげたいところだが、それでもぶん殴って脅して??いやちょっと。

 

 日本人ツアー客が泥棒の被害にあうのを恐れるツアコンは、ナナメがけバッグやリュックの上からコートを羽織らせるので、一行はまるでせむしの行列みたいになってしまっている、と知人は嘆いていた。それでも被害にあうよりマシなのか? 無事に帰るために1日でフィレンツェから退避する夫は潔かった、のか??

 

奥様はサングラスを着用、どこを見ているのかわからないので便利なのだと言った。なるほど、住宅地を徘徊するには必須アイテムか? いや、そういう用途のためじゃないだろうやっぱり。だが私は荷物を少なくするべく老眼鏡だけでサングラスは置いてきたのであった。老眼鏡も大事なものではある。ないと細かい地図が読めないし。

 

 海外のリゾートな場所では肩や背中をばーんと出した格好してないと浮いてしまって恥ずかしいけれど、そういう洋服を入手したところで日本では出番がないという問題も出た。いやここは旅行を沢山して、モトを取りましょうよと励ましたが、考えてみれば海外まで出なくても、沖縄に行くという手もあるな。沖縄のリゾート・ホテルで、本当にリゾートな格好してると、誰よりも楽しむプロ!って感じになって、その1着で自動的に勝てるのである。

 

 ところで、フィレンツェでは実にビーチサンダルをはいてる人が多かった。あれは飛行機の中でもホテルの中でもいいので、重宝しそうではある。問題は、安くて貧乏くさい感じの軽くて柔らかいのほど使いやすいということで、下手に皮製のオシャレなのなんてはいてたら、あっという間に足の指の間が痛くなってくるであった。

 

 そうこうするうちにピサ到着。とりあえずホテルに行く。フィレンツェより少し涼しい。例のごとくホテルは駅前にとってあり、ここに2泊することになる。元々ピサはフィレンツェから近いこともあり、ピサではなくそちらに宿をとって日帰り旅行するというパターンの方が多いらしい。

 

 少し休んで荷解きして洗濯して、斜塔を見に行く。駅前からピサ県庁(その下には観光案内所がある)前広場に出て、アルノ川に向かう目抜き通りを歩く。その日は日曜日で、お店は閉まっているのが多かったが、アイスクリーム屋ばかりがあちこちにあって、それだけが目立った。つまり、ここに不動産持っていたら一番簡単なのがアイス屋である、と。

 

 ところで、ピサと言えば斜塔だが、なんであんなもんが出来たかといえばそれは12世紀、ピサは、ヴェネツィアジェノヴァアマルフィと並ぶ海洋王国として君臨していたのである。ピサの斜塔を含むドウオモ広場はその遺産であり、ピサ様式と呼ばれるロマネスク建築の一様式がそれである。実際私はその場に斜塔だけがあるのだと思っていた。違った。白く大きな建物の端っこが見えたかと思うと近づくにつれていくつかの建物があり、その中に塔はあった。

 

斜塔は、広々とした芝生の中に点在する美しい大理石でまばゆく(滅多に使われない言葉だが、行けばわかる彩られた大聖堂や洗礼堂、納骨堂の中に忽然と立ち、なお傾いていた。というか、だからこそ傾きが目立つというか。あんな雄大で面白いもの、初めてみた!!

 
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 斜塔はもちろんモトからナナメになるように建てられたわけではなく、大聖堂の鐘楼として建てられた。ところが途中から傾きだし、対策をたてるたびに傾斜は増大し、現在では倒壊対策の工事は終了しているらしいが倒れないというだけでナナメなのはそのまんま。むしろその世界に冠たるトホホ状態こそを売りに現在もお客さんを集めている。(だって、面白いし。)

 

 実際、美しい建築群の中にあってただひとつ、整った姿の塔がナナメになっている姿は壮大でさえあり、我に帰るまでにかなりの時間を要する。我に帰るというのは結局、「失敗」という言葉を思い出すということなのだが、失敗じゃなくて、不幸な偶然と言わないといけない。

つまり、やわこい地面と硬い地面のキワに作っちゃったわけなのね。世界一面白いごめんにゃさい)失敗を見上げる私に、ふと、夫が普通の失敗を告げた。「カメラ忘れた」。

 

 フィレンツェに宿をとっていたなら大顰蹙だが、幸いここには2泊することになっている。何故か夫の失敗はフォロー可能なものばかり、のように見える。大体、カメラなんて関係なく、明日も来るだろうが。街歩きをしようと歩きだすが、周囲は斜塔を含めたトリック写真を撮る人々だらけ。中には3人で逆立ちを含む組み体操してまで撮るグループがいた。

 

今度は、違う道を行って、夫は出来ればガリレオ研究所とやらを見たいという。恒例の「道に迷う」をやってるうちに、ピサ大学の植物園発見、どれどれと入る。これは世界最古の大学付属の薬用植物園である!と看板に書いてある。最初というのは大学付属だからで、それ以前の薬用植物園は修道院の中にあった、はず。だが古いには違いない。

 

実際、地味なラインナップ。薬用だし。面白いことには30cm四方の石の鉢を地面に埋め込み、植物はその中で育てられていた。あんまりはびこられてしまっては困るということなのだろう。サルビア属が20種類くらい集められていたが、華やかなものはなかった。

 
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 それからまた歩いたが、ガリレオ研究所は発見できず、翌日に持ち越された。ピサの旧市街には、あちこちにこのピサ大学関係建物がある。ガリレオもピサ大学出身であり、ピサは今こそ田舎町っぽくなっているが、前出のとおり、「ピサの都」であった時代もあるわけだ。ピサ大学の現在の実績がどうなのかわからない。ポルトガルコインブラ大学みたいなもんか??

 

 日本の京都大学奈良大学のことを思う。日本の事情を知らない外国人からすれば、奈良や京都の大学って、同じように見えるのかもしれない。中国だったらどうなのか。西安大学とか? 大学だからと言って、都の浮き沈みと関係ないわけがない。

 

さて今夜は夫がホテルの人に聞いた、オススメのレストランで夕食となる。そのお店は、リーズナブルで美味しいとのことだった。しかし下見のときの感じはレストランというよりちゃらいカフェ、若い人達が行くんだろうなーという感じだった。それでもオススメしてくれたのは50代くらいのおばちゃんなのである。

 

 ホテルを出て店に近づくと、きな臭いにおいがしてきた。まさか、火事? だがその匂いと煙のモトは店から来ていて、どうやら薪を使って料理をしているらしい。サービス担当は若いおねえちゃん。メニューを開くと、あ、本当にリーズナブルだ!!豚肉のなんちゃらが8ユーロですよ、アナタ、これにしなさい、これに!あんた豚肉好きじゃん!

 

 前菜を見ると、モツアレラ・バッファ??これは水牛のモツアレラでは?それに生ハムを載せたものだって?あなた、この際です。うちの財力では死ぬまで乳牛のモツアレラしか食べられません。この期を逃さず味わっておくのです!!・・・あきれた夫は、「もういいからオマエ選べ。お前の方がメニューの読解うまいから。」そうか、やったー!!

 

 結局、3種類の魚のカルパッチョと、水牛のモツアレラの生ハム載せ、ポークステーキは残念ながら冷蔵庫を開けたら豚肉がなかった(なんだそりゃ一体?)そうで、子羊にしたんだったか? 私はこれまた3種類の魚のグリルだったと思う。フィレンツェと違い、ピサは海が近い。

 

やってきた料理はこの値段とはとても思えない素晴らしい盛り付けで美味しく、地元トスカーナのワインを注文して、楽しい鯨飲馬食の夕べとなった。残念ながら、写真がない。

思い起こせばよそでは前菜とメインをひとつづつ注文して二人で分けて食べたりもしていたのだが、ここでは全くそんな気にならなかった。結局、各々違う前菜とメイン料理を注文し、シェアして全て平らげた。胃袋も才能のひとつと思えば、親に感謝しなければならない。