中国 杭州旅行 4

杭州旅行 4
 
 12月4日日曜日、朝。ガイドブックを見ていた夫が、西湖の中州にシャングリラホテルがあるのを発見したと言った。湖の中州にあるホテルとは、何とロマンチックなのかと私は思ったが、夫の次のセリフは「良く許可がでたなあ、あんなところに!」というものだった。気が殺がれるというかなんというか。
 
 私的には、もしも次に来られたら、シャングリラに泊まって雪の西湖を眺めたかった。だが、それはやめた方がいい。激しく太る。雪が降っていれば今回みたいに2万歩も歩けるわけもなく、暖かい部屋で龍井を飲み、読書をし、湖を眺めて過ごし、美味しい食事を楽しむばかりだったら、そりゃあまあ。なんと言うか、身体が贅沢を許さないっての??
 
この日夫は地下鉄に乗って、郊外に行きたいと言い出した。普通の人々が住んでいるところに行って、どんな風か見たいというのである。私は、我々が住む若葉台仮名)にガイジンがやってきてうちの干し柿とか洗濯物とかうれしそうに指差して、挙句に写真なんか撮りやがったら嫌だと思うと反対したが、まあこういうのは一度行けば納得できるであろうと思って承諾。
 
 絵葉書を友人に出すべく、ホテルのコンシェルジェに赴いた。たかだか切手を買うだけなのに不思議に手間取る。もしかして中国では絵葉書を送る習慣がないのだろうか?だったら絵葉書の存在があるわけないし??そして切手代は10元。てことは200円弱で、世界一高い郵便料金だ!だが、ホテルを歩き出そうとしたところでわかった。さっき切手を買ったボーイが絵葉書を出しに行くところだったのである。10元はサービス料こみなのだ。
 
 地下鉄駅に行くと、杭州の地下鉄には荷物検査があった。そして地下鉄は反対方向にも関わらず、混んでいた。夫は通勤生活が長かったこともあり、無意識のうちに空席を見つけ、自然に座ることが出来るが、中国の地下鉄では面白いほど座れない。それを笑っていたら若い女性が席を譲ってくれた。テレビでも地下鉄内でも「お年寄りやけが人には席を譲りましょう」みたいな公共広告を放送しているのは見たが、まさか夫が譲ってもらうことになろうとは。
 
イメージ 1

 目的?の七堡に到着。ここには地下鉄の本社があるらしく、そのように表示されていた。日本だったら、すると周囲にはレストランとかあって、もしかすると普通の人々が住むところではないかもしれないなーとか想像する。だが、地上に出たら驚くなかれそこには何にもなかった。地下鉄の大きなビルが建ってはいるものの、他にはただの更地しかなく、遠くにマンションの群れがあるばかり。そして駅前の道のマンホールからは水が噴出していて、下水臭かった。
 
イメージ 2

 「何これ~~~~!それに、なんで臭いの?」と、夫。・・それに対する私の答えは(こんなところに来ようと言ったのはあんたなんだから、この体験は)「お前のせいだ!」というのものだった。私だって驚いたのだ。かくなるうえは、近場のマンション群に行ってみよう、マンション群の足元には、スーパーなり市場なりあるはずだしと次善の策を出してみた。だが、足を運んでみたらマンションには人気がなく、誰も住んでいないようだった。夫は失意の人となった。
 
そこで夫の失意につけこみ、絹物街に行きましょう!と私は主張した。既にカンはつかんでいる。短時間のうちに買い物は成功するはずだった。絹物街はここから地下鉄で1本だあ!
と、目的の駅で面白いものを見た。それは地元の女子が持っていたバッグで、妹が台湾で買ってきて私にくれたのと型こそ違え、全く同じオシャレなうさぎさん柄だったのである。同じバッグを私はフィレンツェへも持って行き、小学生くらいの女の子にガン見されたのだ。こんなところで出会おうとは!!相手もうれしそうに「おんなじだー!」みたいなことを笑って叫んでくれた。「お揃いだよねー!」と私も日本語で笑って叫んだ。手を振り合って別れた。
 
お腹が空いたので、途中のパン屋兼カフェに入った。こちらでは肉でんぶを載せたパンが人気らしい。だが私は生クリームを食べたくて、それが載ったチョコレートケーキを注文した。何がうれしかったかと言って店員さんの小姐が英語を話してくれたことで、入国審査以来、初めての英語だった。英語を聞いてあんなにもうれしくなったのは生まれて初めてだったのではないか。成果は正しくチョコレートケーキと大きなコーヒーだけだったが、文句はなかった。
 
 体育路を引き続き歩く。2日めに干からびて固くなったショーロンポーを食べたデパートも通り過ぎた。案外遠い。やがてたどりついた絹物街では、表に置いてある見本のスカーフがまことにいい感じの店を見つけた。値段も安い。お店をやっているのはおじさんと奥さんらしい人で、浅草というかとげ抜き地蔵っぽいというか、そんな感じ。アレとコレと、とやっていたらおじさんが「中に入ってどれでもこの中から選べ!」と、ビニールに入った、山積み(300枚くらいあった!)のパッシュミーナ的なそれを指差す。選んでやろうじゃないの!!
 
 しかしおばさんもおじさんも、「これはどう!?」と見せてくれるがこれがまた全部微妙な柄で、わざとやってんのかと思うくらい。思わず中国語で「不要ぷーやお)と発音すると、おばさん、吹き出す。確かに笑えるかも。他には何ひとつ話せないくせにそういう言葉だけ知っているってのが。やがて「要やお)なものを何枚か選び出すことが出来た。値切りは出来なかったが、ここでは必要なかった。的中率を思えば、もう少し支払ってもいいくらいだった。
 
絹物街、だというのにトイレはその旅行中で一番の臭気を誇った。思わずティッシュを取り出して鼻の下に置き、ティッシュごしに呼吸したくらいである。後にこの絹物街で選んだものは「輸出用でしょう?」とか「中国の製品とは思えない!」とまで言ってもらえたが、その陰にはこのような苦労?があったのだ。本当に楽しかった。トイレ以外は。
 
絹物街でもどこでも私はまずは「ニーハオ」と挨拶し、最後にはにっこりして「謝謝」でしめくくった。この「謝謝」は人を喜ばせる魔法の言葉で、皆、本当にうれしそうに微笑み返してくれた。それどころか申し訳なさそうな顔をする人さえもいた。
 
さてこれからどうするか。買い物は思い残すことはない。かくなるうえは、美しい西湖を目に焼付けに行こう!!ガイドブックに載ってる名所に我々は殆ど行ってない。西湖自体も美しいが、西湖の湖畔には塔だのお寺だの、名所が沢山ある。夫は舟から見た塔がある宝石山に行きたい!と言う。
 
途中、お菓子屋さんが2軒ほどあった。片方は割りと上等な専門店、もう片方は個別包装の袋菓子を何百種類も量り売りしているお菓子屋さん。前者ではカボチャの種子を固めておこしみたいにしたお菓子を買った。後者では。それはもう、燃えた。どんなお菓子なのかわからないものが、また面白い。
 
 重たくなった荷物を下げてたどりついた西湖は、初日とは面代わりしていた。オレンジの蛍光色が点々と湖に浮かんでいて、それは救命胴衣の色だった。初日は舟をこいでいるのはプロだけだったが、日曜ともあって貸しボートが出現し、素人は規則で救命胴衣を身につけることになっているようだ。だが、この人工的なオレンジ色が西湖の気品を落としていた。湖の中もそうだったが、湖畔はまして人間が多かった。
 
イメージ 3

途中、宝石山に登ろうとしたが道がわからない。が、面白いところは迷った先にあるもので、民宿っぽい建物や庶民的な食堂をいくつか見ることが出来た。夫は、「まちがえてこんなところに泊まることになったら、オレのせいになるんだろうな。」と、まだ根に持っている。いや、それこそは正しく貴方のせいです。でも、それはそれで面白そうではある。身体さえ丈夫で、財布とパスポートが無事なら、大抵のことはクリアできるではないか。
 
イメージ 4

 湖の周囲には土産物屋だけでなく茶館や古そうでロマンチックな建物があり、次に来たら湖畔を1周しなければと思うが、西湖の周囲は15km、さくさく歩けばこれは約4時間くらいの距離だがあっちにふらふら、こっちにふらふらと歩いたら、丸一日経ってもまわれるかどうか・・ただでさえ西湖の周囲には100箇所の名所が点在しているという。ツアーバスに乗って回るという手もあるが、そんなもので我慢できるのかどうか。
 
 まあとにかくこの日の西湖は湖の上も湖畔も混んでいた。お母さんらしき人が激しい口調で子供を叱りながら歩いているのを2回、見た。子供が何をしでかしたのか、簡単に想像がついた。午前中には、子供の写真を掲げ、募金箱を置いて頭をさげ、ひざまずく家族を見たばかりだったし。
 
イメージ 5

 西湖1周はムリなので、堤防(白堤というらしい)から折り返した。途中、小さな女の子がお姫様な衣装でポーズさせられ、記念写真を撮っているのを見た。みやげ物屋でおじさんが龍井を釜で煎りながら売ってるのも見た。夫が一粒茶葉を食べていいかと聞いたら、承知してくれた。だが、そのとたんに後ろからそれを聞いていた人の手が伸びてきた。
 
イメージ 6

 日も暮れようとしている湖を横目に、ホテルに到着したときは本当に疲れていたつもりだったが、何がすごいって夕食に行く元気だけはあるというわけで・・。夫は、昨日のレストランの隣の砂鍋の店に行く気満々。確かに通りから、ビルの奥で地元の人々が楽しく食事しているのが見えはしたが。鍋でなく、他にも料理はあるし!と夫は言う。まあ別に力説しなくても、中国人が作るまずい中国料理を食べたことはないしね。
 
 というわけで、砂鍋の店。砂鍋とやらはお一人様用からあるようだったが、よく見なかった。ただ、お隣では二人のチビ娘を連れたお母さんが鍋を食べていたが、お母さんがビニール手袋をしていたのは、私の手首の半分ほどもある骨だった。骨付き肉なわけだけど、日本では骨付き肉といえばスペアリブとか手羽先とかであって、見慣れない太さの間接部分の骨だった。
 
今にして思えば、メニューで骨、いや肉の正体を調べておけばよかった。今にして思えば疲れていたのであろう。その日は、鳥の煮込みとエビの茶葉炒め、あとひとつは何か忘れた。エビの茶葉炒めは西湖の名物であり、普通に美味しかった。問題は鳥の煮込みで、想像したよりはるかに大きな30cm以上ある土鍋に入ってやってきた。
残念ながらカメラを忘れたので画像がない。

 「おお、足が入っている!」と夫が余計なことを言う。今食べれば30代のお肌が50年間続きますよと言われれば速攻でかぶりついてみせるが、そんな保証がどこにあるというのか。
食べ残すことには問題がない中国ではあるが、それにしても鍋が大きい。こちらは日本人なので大量に食べ残すことはしたくない。それで粛々と骨つきの鳥を食べるわけなのだがこれが一々小さく切ってあり、骨の太さからするとこの鳥は若いのかもしれなかったが、鶏以外にも鳥はわんさか種類があることだし、実際、街中の店では細長い頭だけの鳥らしき煮込みが売られてるのを見たことだし・・。
 
 で、これが肝心なのだが、骨が面倒くさいだけで、味は美味しいのである。エビ炒めもそこそこに、私はひたすら鳥を食べ続けた。もちろん骨は、取り皿の上に出す。中国人ならテーブルに積み上げるか、場所によっては床に落とすのか??それは出来ない。取り皿の追加をお願いし、口の中で肉をこそげた骨をなおも積んでいく。途中、細長い大きめの部分を見つけ、これは肉の部分が多いから食べやすそうだと箸で肉を外したら、黒い丸い何かが奥から出てきて、そこでこれは頭であり、この黒いのは目玉であると判明した。この調査結果を夫に言うと、「オマエがそういうのが平気で、本当に助かる」と。いや、一瞬だけ平気じゃなかったけど、鯛の頭とどう違うというのかと思えば、ま、いっかと。その証拠に?足は食べなかった。鯛に足はないもん、だからこれだって食べなくてもいいんだもん!!←錯乱
 
 夫は準備よく、某エアラインで配られたお手拭を持ってきていた。食べ方のおかげで手をぬぐう必要ないが、その日の店はテーブルクロスが敷いてない。それでなんとなくお手拭で掃除しながら食べることに。隣の親子が出て行ったあと、お店の人は二人がかりでテーブルを持ち上げさえしながら床を掃いてまで後片付けしていた。
 
 後で夫は、「最低限、テーブルクロスが敷いてある店に行かねばならんなあ。今回の食事は大体何勝何敗なんだろう??」と数えていた。てことは、今の食事は負けの方ですかい。
旅行に出るときはティッシュは必ず持っていくが、中国では大都市でもない限り、そのうえでウェットティッシュもあった方がいいと思う。上海では必要なかったけど、杭州の食事では必要だ。