イタリア北部旅行 8 アスティへ

 アスティと言えば日本ではスプマンテ(スパークリングワイン)だろうと思える。「アスティ・スプマンテくださーい」と言えば酒売り場担当は「これですね?」と渡してくれるはず。夫はそのアスティを訪問地のひとつとして選んだが、別にスプマンテの故郷を見ようとしたわけではなかった。

 一口に酒好きと言っても様々に方向がある。夫は酒は嫌いではないが、「ティオ・ペペで蒸した」という料理名を見てティオ・ペペを電子辞書で調べたら、そのまんま片仮名でティオ・ペペと出て来たと怒っていた人である。ティオ・ペペとはスペイン語でペペ叔父さんという意味だがこれまたあまりに有名なシェリー酒の名前でもある。もちろん夫はイタリア語のつもりでひいたが、スペイン語から訳したらどうなったかはわからない。
 
 夫はボローニャからジェノヴァに行こうとしたんだけど・・とくだくだしく説明するが
結局は聞いたことあるし、道の途中にあったから寄ってみようかなと、それだけらしかった。
 
  電車は11時18分発、なんとなればその前の電車が8時台だったので。早めにホテルを出たが、勝手知ったる道みたいになっていたので、来るときよりだいぶ早く着いた。本日は乗り換えが2回ある。ボゲーラで乗り換えアレッサンドリアでまた乗り換えてアスティに。乗車時間は各々30分くらい。
 
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 このチケットを券売機で買おうとすると、「乗り継ぎ時間は20分以上あることを推奨します、14分しかないけど大丈夫?」と出た。あれを最初に見たときには呆然とした。それはこっちが聞くことではないのかと。日本で乗り継ぎに14分かかるのってどこ?盆正月、GWの新幹線含み、でもそんな場合は先にチケットは買ってあるし。
 
 1番ホームで待っていると、若いイタリア男に「これってボゲーラ行くよね?」的に聞かれる。聞かれるのは行くか行かないかであって、「絶対ボゲーラなんか通らないよね?」と聞かれることはないから、にっこり笑って「シ。」と答える。
 
 それにしても何で私たちに聞くのか。イタリア人に聞けよ。もしかしてイタリア人に聞くと、「はあ?ボゲーラ?行くんじゃないのお?」とかいう答えが返ってきたりするのだろうか。
 
 それにしてもまいっちゃうのは、エレベーターもエスカレーターもあまり普及してないところである。違うホームに行こうとすると重たいスーツケース持って階段を上り下りしないといけない。それがイヤさに荷物を減らすのに血眼になるのだが。
 
  ピアチェンツァでは1番線だったからそのまま電車に乗れた。ボゲーラの乗り換えではひいこら言いながら階段を移動した。アレッサンドリアでは余程辛そうに見えたのかお兄さんがスーツケースを持って階段を上ってくれた。日本人は親切だと言われているようだが、こうやってみると親切のパターンが違う気がする。というか、あいつらのスーツケースときたら桁外れの大きさだし、日本人の手に負えるわけないわな。
 
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 この旅では貨車で車を運んでいるのを何度か見かけた。そうやって運ばれているのは主に国民車とも言われるフィアットだった。もちろん街で見かける車はフィアットだけでない。しかし道端に駐車されている車はフェラーリだろうがベンツだろうが全部!あまねく!埃まみれだった。なるほど新しいときはキレイなんだねーと言いながらフィアットの隊列を見送る。
  
 アスティでは、また迂回をしてホテル到着。この日も暑かった。
日焼け止めをつけるのも飽きてきた。イタリアでは夏にストール巻いてるやつなんか一人もいやしないが、しかし巻かずにはいられない。日傘は論外、いっそ長袖を持って来るしかないのか。洗濯が簡単でシワになりにくく薄くて乾きやすくなお余計な布地の分量が少ない長袖を。オシャレならなお可・・・。

 ホテルは家族経営だという話だが、結構大きかった。マダムは180cmもあるひょろりとした人で、「日本というと、中国から来たんですね、ようこそ!」みたいな表情をしていた。同じイタリアでもアスティまで来てしまえばこれくらいは誤差の範囲だ。そしてこのマダムは熱心にお勧めレストランを教えてくれた。
 
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 部屋にはウェルカムフルーツも、ホテルからのプレゼントだという地元のワインも置いてあった。タオルの類は全てクリーニングのパッケージのまま。湯沸かし器もあって、夫はすかさず持って来た緑茶を作る。私は緑茶も醤油もなくとも平気だけど、コーヒーがアメリカンでないのがつらいので、ドリップパックを持って来ていた。
 
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 昼寝してから街歩きに出発。塔を発見したが上れず、後で知ったがここに登るとはるかアルプスまでが見えるらしい。だが土日のみしか開けてないとのこと。あとは教会を巡ったり小さな通りで猫を見つけたり、触ろうとしたらドアから人が出てきてお互いわっと驚いたり。そうそう、カワイイものを見つけた。ドアに「うちに赤ちゃん生まれました」の印がかかっていたのである。名前や身長、体重などが書かれていた。
 
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 広場のそのまた向こう側の広場には桜と言う名前の日本料理店があった。看板で「all you can eat」と謳っている。近くに寄る勇気はない。その広場ではその桜と書かれた法被を着た女子が子供を遊ばせていて、イタリア人の子供とも仲良くきゃっきゃしていた。女の子だけで座り込んでる姿はまさに人種を超えた井戸端会議。
 
 一人の女の子がだーーーっと駆けてきて、おばあちゃんの横ですてーんと転んだ。おばあちゃんはとっさに「オー、マドンナ!」と言ったらしい。夫はその言い方が新鮮だったと言った。日本だったらなんだろう。くわばらくわばら、って、違うか。 
 
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 ピアチェンツァでもそうだったが、アスティでもケーキは概ね日持ちのするタイプでホールで売っていて、後はビスケット。店の商品は茶色の濃淡ではあるが、ケーキの包装紙の素朴さがすごくかわいかった。そしてその後訪れたトリノでは同じようなものは見つからなかった。あるところにはあるのかもしれないが。
 
 マダムが予約してくれた7時半きっかりに到着すべく、めかしこんでレストランを目指す。途中で轟音と共にバイクでやってきた男の子がわざわざ目の前で止まって見せた。どんな奴かと視線をくれてふっと笑ってしまうがその中身は「あたしゃあんたの母親と同じくらいの年齢なんだからね、けけけっ!」という意味である。
 
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 当のレストランは割と高級な店だった。たんまりと用意されているトリュフを見せてくれた。タルタルステーキの上にトリュフを山盛りにするのがここのお勧めの前菜のようだったが、残念ながら夫はタルタルステーキが苦手である。
 
 メインのメニューの中に、珍しいものがあった。「アスパラガス」だ。肉、魚に匹敵するアスパラガスとは一体。聞けばバターソースで、上にはパルミジャーノをかけてあるという。それで前菜はラビオリ、メインはウサギのローストとアスパラガスと決めた。
 
 男の子二人で食事に来ていて、「どうせならバローロ飲もうぜ」とやっている。バローロと来るか!音に聞こえた銘醸ワインの値段を見れば1杯10ユーロ。高くはないんだろうけれど、安いわけでもない。バローロは特別な器具を使って丁寧にサーブされ、彼らは1杯のバローロと一緒にメイン料理だけ食べて帰って行った。
 
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 到着したラビオリの一つ一つが小さいこと。確か、中に詰まってる肉も1種類ではないと言ってなかったか。たっぷりとトリュフを削ってかけてくれた。

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ウサギも特別にウサギっぽくはなかった。アスパラガスはと言えば、本当に茹でただけの姿で出てきた。日本の市販のアスパラの3束ぶんくらいか。ここではアスパラガスとはそういう存在なのである。季節ならではのご馳走で、それを食べる日は肉や魚はなくてもいいほどの。お勘定は全部で70ユーロ、この日は17300歩。