イタリア北部旅行 13 帰国へ

 2週間は長かった。今日帰るんだなーと思いながら首をめぐらすと目に入るのは部屋に飾ってミロの複製画だった。何でかイタリアではこういう場面に出て来るのがスペイン人画家の絵なのだ。朝っぱらから宗教画は見たくないとしても、ミロはミロで私にはハードル高すぎた。
 
 さて、素通りのミラノと一番の目的だったボローニャはともかく、ピアチェンツァ、アスティときて一番の失敗はトリノということになった。植物園にもデパートにもポー川の遊覧船にもたどり着けず、雨に翻弄され続けたのである。たまにはこういうこともあるよねーと窓外を眺めると、今日からは雨も上がるらしい。はるかアルプスの山々が雪を頂いているのが見えた。遅いっつの。
 
 朝食の後、最後の買い物に近所のちっこいスーパーに行った。パルミジャーノ・レッジャーノくらいは買って帰らないといかん。もちろんチーズ売り場には他にもチーズがあり、お安いからこれも買おうと夫に言うと 「でも、ヤギのだよ?」ってあんたの大好物だろうが!!日本で買ったらいくらすると思ってんだ!こんなのもあった。
 
イメージ 1

 まあそれにしても安かった。関税撤廃なんてやってるが、撤廃してはいけないということが良くわかる。若いもんじゃあるまいし、撤廃なんてことになったらこちらの健康に関わる。日本の乳価についてはよくよく守る方向でいかなければいけない。日本人はもはやお腹をいっぱいにすることが重要な時代に生きてはいないのだから。

 何故かイタリア語でスイス・チョコレートと書いてある板チョコがあり、それはずしりと重い割りにはお安い。面白いのでカゴに入れた。高級チョコレートなら日本にもいくらでもある。チョコレートが名物のトリノで売られている最低ラインだったら大丈夫だろうと思ったのである。(日本のチョコレートの倍量くらいの重さで、それでいてきちんと美味しかった。やはり関税は撤廃してはいけないことがわかった・・・)

 ここのレジでは「お先にどうぞ」と順番を譲ってくれるおじいちゃんあり、こういうのも日本人の親切と違う気がする。違うからどうだというのではない。とにかくこの旅ではあちこちから思わぬ親切を受けた。ハテどうやって返したらいいのか。うちの近所には外国人観光客なんぞ誰も来やしない。
 
 想像してみるに、「May I help you ?」それからいきなり「I can not speak English」ってことになるのか。それも中々すごいな。と言ってもイタリアでもどこでもそんなやりとりは全く必要なかったから、こっちの頭が固すぎるのである。
 
 それはともかく、ホテルからタクシーに乗り、走り出したところであんなにも渇望した大きなスーパーが見えた。小さなスーパーの正反対側に、ちょっと歩いて行きさえすれば大きいスーパーがあったのである。この失敗の数々はトリノにもう一度行けということなのか、それとも相性悪すぎるから2度と訪れるなということか、ちゃんと調べてから行かないバカモノだからだということか、どれだ。
 
 ポルト・スーザの駅からミラノ・マルペンサ空港行きのバスに乗る。日本人親子がいて、一時帰国するのだと言った。バスからは延々とアルプスが見え、ミラノ近くなると窓外には水田が広がった。アルプスの雪解け水でイネを育ててるわけか。同じアルプスと言っていいのかなんなのか、日本アルプスの雪解け水でもイネを育てているはず。
 
イメージ 2

 ミラノ・マルペンサ空港。成田行のカウンター前では席の話をしていたら、日本語が堪能な子連れのイタリア人女子が割って入って助けてくれた。目の前に並んでいるダビデという名前の彼はそばに並んでいるイタリア人に、これから行くだろう日本について延々と教えていた。(というか、そこまで間際になって情報収集って問題ないか?)
 
 このマルペンサ空港にはろくでもない罠が仕掛けられていた。パスポート・コントロールの前にこれでもかとばかりに素敵ショップやレストランが居並ぶのである。それで皆、まだ出国審査をしてないことを忘れて楽しく買い物やら何やらして遅れそうになり、マジメに並んでいる人々に「すいませんすいません」と言いながら追い越させてもらうことになるのだ。
 
 それが結構な数いるのにもイラっとするのに、Excuse me!さえ言わずただ黙って追い越して行く女子もいて、それはそれは反感をかっていた。こういう悪人をあえて作る、空港の設計はいかがなものか。おまけに出国審査終えてからは大した店はない。これから行く人は気を付けて、おもいっきり余裕を持って空港に行きましょうね。

 カウンターで助けてくれた日本語を話すイタリア人女子もお子さんを連れていたが、機内には赤ちゃんから5,6歳くらいまで10人以上の日伊のハーフがいた。こんなに沢山のハーフ(またはダブル?)を一度に見たのは初めてだった。赤ん坊は1年待たず生まれるが、その前の出会いから意志の疎通、合意に至る確立など考えてしまうが、それにしては結果の数が多すぎに思えた。
 
 イタリアや日本に関係する分母の数が増えまくっているという証拠なのは確かだ。乗ったのがアリタリア航空だからであって、JALだったらあそこまで多くはなかっただろうと夫は言ったが、見なければいいというもんでもない。あれで驚いてるくらいだから、私の意識も着実に古くなっているらしい。


以下、間違いについて

 アスティ・スプマンテ・・アスティ・スプマンテと注文すれば甘口のソレが出てくるというのは昔の話だったようで、現在は MARTINI というラベルのソレで辛口も出されている模様。割と普及しているのは「天使のアスティ」というのがある。ボトルはカワイイけど、甘いんだろうなあと思うと怖くて買えない。
 
 ティオ・ペペ・・・酒屋になかった。昔、ミステリーを読むと必ずやブランデーかウィスキー、でなくばシェリー酒でおもてなしする場面が出てきた。それで私も一度は買って飲んだことがある。その頃には普通に買えた。SANDEMAN の方は置いてあったから、日本では廃れたというか、負けたのか??
  
 首里城・・・その昔琉球は中国に朝貢する身だったことを忘れていた。するとバッキンガムやヴェルサイユに匹敵するのは紫禁城であって、首里城景福宮と同じってことになる。多分。
 
 ついでに。
 
 スペインレストランとアスティのホテルでもらったワインは、食事に行く前などに少しづつ消費した。ありがた恨めしいという、変な体験だった。
 
 2週間の旅行が長いのかどうかはわからない。時間だけはあるので何度も行くより行ったら長く居る方が経済的なのである。上には上がいて、その昔ギリシャで出会った夫婦は3か月ヨーロッパを旅行しているのだそうで、「今、日本はどうなっていますか」と聞かれた。
 
 ちょっと前まではホテルのテレビで日本のニュースをチェックしてたが、今はネットで十分なので、テレビをつけるのは天気予報のためとなった。だがイタリアの天気予報でさえ日本語でネットで調べられるのである。とんでもない時代になった。
 
 それでもまだ余地はある。公園で座っていたら土地のおばさんに延々とじろじろ見られる、ということがあった。にっこり笑いかけたらパッと目をそらす。わかる、すっごくわかる。興味があるわけだ。興味はあるけどどうしたらいいのかわからない、と。

 何でも聞いてくれ!と思うし多分彼女の質問は語学教室なら初級だと思う。でもねー、それやっていいのかな、とか色々思っているはずで。私も聞きましたクロアチアで。民泊のお嬢さんの年齢を、その母親に。だって180cmもあるのに顔は幼いんだもん。

 アメリカでは入国審査のおっさんに「オマエたちは何を食べているんだ」と聞かれたこともある。それこそネットで調べられば出てくるだろうけど、「アジの干物」とか「お浸し」とか彼らにわかるわけもなし。日本旅館の朝食を「何を食べているのか判別はつかなかったが美味しかった」と言った外国人もいるわけなんで。
 
 YOU TUBE で日本の食べ物を紹介するアメリカ人は、味噌汁なら味噌汁だけをがーっと飲み、お浸しならお浸しだけを食べ終えるという調子で、それが気持ち悪いと日本人から悪評だった。溝はあちこちにあるのだ。細いのから太いのから深いの浅いのと。
 とりあえず、旅行に連れて行ってくれる夫に感謝することにしよう。
 
 つたない旅行記を読んでくださってありがとうございました。