クロアチア旅行 8 ドブロブニク旧市街

6月24日(水曜日)
 
 朝食のあと、市場に出向く。小さいながらも魚を売るスペースはあり、手長エビ200g手が長い時点で多分ザリガニ??ちなみにロブスターもザリガニ。和名は海ザリガニと、イカ500gを購入。イカスルメイカっぽいのとヤリイカっぽいのと甲イカっぽいのとが売られていて、はやり甲イカっぽいのが一番高かった。やわらかいはずのこれは絶対に刺身!と思っても、醤油もなければワサビもない。で、スルメイカは硬くなりやすいので間違いなさそうなヤリイカっぽいのを購入した。
 なんでどれもこれも「っぽい」がつくのかと言えば、同じとは限らないからである。大体、日本における同属??でありそうなイカの食味が、アドリア海イカに適用できるかどうかもわからない。イカの学名記載した人が、味まで確かめているわけもなし。魚は、お決まりのアジにサバだった。同じアドリア海でも、イタリア側に比べてクロアチア側は川が少なく、貧栄養気味であるとのこと、実際魚は小さいし、種類が少ない。
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 次いで、野菜市場に行く。モノが、なんか素人っぽい。桃なんぞはもしかして土地の人が裏庭からとってきて売ってるのかと思うほど小さい。「旅情」の出番だ。 結局、ズッキーニの花やジャガイモなどを買った。
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 それから「KONZUM」に移動、トマトにモツアレラにワインなどなど。たまには柔らかいチーズをワインに合わせてみようかとチーズ売り場を歩きもしたが、生チーズ以外はどうやら硬いチーズばかりのようで、カマンベールなどは全て輸入品のようだった。なるほどチーズおろしが置いてあったのはこういうことか。


 アパートに荷物を置いて、改めて出発。「アドリア海の真珠」と呼ばれる、旧市街見物だ。殆ど目の前に等しいバス乗り場に行くと、さすがに人が並んでいた。乗るときには世界各国の一見さんで、大混乱。ほとんど皆、初めてそのバスに乗るのである。中には大きなスーツケース持ってる人もいる。てことは、旧市街に宿をとってあるわけだ。
 とにかく乗り込むのに時間がかかる。それでもなんとか乗ることが出来た。旧市街まで、ほんの10分。水球のチームが大きな看板になっているのが見えた。昨日のニュースでも水球が出ていた。なぜ水球?金持ち国じゃないとできないのでは??プール必要だし。


旧市街前、到着。城壁を入る。目の前の大通りを見て、「ここだ!」と叫んでしまう。朝につけたTVで、何やら大通りが映し出されていたのである。ドブロブニク一、いや、下手するとクロアチア一の有名大通りの様子を朝からライブ映像で流していたわけなのだった。
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 大通りの両脇はお土産屋、まっすぐ行くと広場があり、もっと進むと船着場。お土産屋の向こうには旧市街が広がり、それを全長1、940m、高さは最高で25mという城壁が囲んでいる。1667年には旧市街が全滅するほどの大地震があったが、ここだけは大丈夫だったという城壁だ。その城壁は1周することができ、素晴らしい眺めを堪能できる。ということであるが、逆に言えば、旧市街にいる人間はどう歩こうとも、ちょっと目を上げると城壁を歩く観光客達を見上げることになるのだった。見張りや戦いのために設置されたわけなので当たり前だが、いつも自分よりちょっと高いところを人が歩いているのを見るのは、なんかヘンだった。
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 青空市場に行く。午前中は食料品、午後はお土産屋さんが並ぶのだそうだが、その時はかわいいラベンダーのサシェ、様々な手作りのドライフルーツ、香り付けした塩などが売られていた。いずれもそんなにお安くない気がするが、驚いたのは塩で、試験管に入れたオレンジの香りの塩が1本500円!3本買っても1500円。相手はペラペラとどこで覚えたのか日本語を良く話し、でも限りがあるらしく「あのー、英語は?」って。うーーーん、10本買ってもいいほどのかわいらしさだが、500円じゃ・・・。
 今にして思えば、10本買うから1本300円にしろと言えばよかったのである。日本でだってそんな値段では買わないのに、あまりの高さにびっくらこいてしまって二の句が告げられなくなった。あそこでオレンジの香りの塩を買っておけたら、バラまき土産はかなりラクになったはずだったが・・。


 食事。レストランは腐るほどあるが、旧市街の中でもとりわけ奥まったところにある店。プリフィクスになっていて、前菜、メイン、デザートの中から選ぶ。一人前を注文する。イヤがられるかとは思ったが快く承知してくれて、スプーン、ナイフやフォークも2つづつ添えられてきた。赤ワインと白ワインも注文する。一人前しか注文しないなんて、想像出来ない人もいるだろうが、それ以上に快く承知してくれるのがもっと想像できないと言ったらヘン??
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 片方の人だけお腹空いてるというのはありそうな状況だと思うのだが、そういう話しでもなく、丸っこいスープのボウルにさえもスプーンが2つ、互い違いにセットされてきたのである。思えば1本500円の塩を売ってる人も、散々しゃべった挙句買わないと言っても、イヤな顔はしなかった。これから行く人がいたら、日本人のバラまき土産(たぶん、日本人だけじゃない)について説明のうえ、1本300円にしてもらって日本語で看板を書いてやって欲しい!!


 海洋博物館にも行ってみた。たいした展示ではなかったが、世界地図の、大西洋から東の海洋事情をおぼろげに納得、ギリシャがトルコと仲わるいのも、トルコからヴェネツィアまで来れるのも、近いから。日本は島国だったし、周囲にコレと言って海に出てまで日本に手を出そうという国がなかったので、幕末まで国内だけを気にしてのんきにやってこられたんだなーと納得。ヨーロッパがはるか遠くのあっちの方にあるのではなく、日本の方がはるか遠くにあったというだけで、ああ有難い有難い、と。
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 海洋博物館にも関わらずドブロブニクが爆撃を受けている写真が展示されていて、ハテこれはユーゴ侵攻とやらのことか、それとも内戦時代のことかわからなかったが、ドブロブニクが大変だったし、それから立ち直ろうとしたことを見てほしいのはわかった。


 広場には珍しく日本人ツアー客がいた。日傘さしてるのはともかく、腕カバーまでしてる人々は、異様に見えた。(ヨガ教室の先生いわく、「外国で見るとあれって宗教団体みたいなのよねー」と)だから着物か作務衣にしとけとあれほど!!それなら腕カバーだって、そんなもんかなあと思ってもらえるに違いないのに。第一、腕カバー要らないじゃん!


 その後、文化歴史博物館となっている、旧総督邸を目指す。15世紀にゴシック様式で建てられたはものの爆発事故やらでルネッサンス様式が加わり、1667年の大地震バロック様式が加わって現在の姿になっている、って言われても。総督の気分でうろうろするだけだ。
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 それは別に良かったが、空模様がおかしくなってきた。パリパリパリ・・という音についで雷が落ち、次いでものすごい雨。中庭に面して椅子が置かれていたのでそこに座るがいっかな雨はやまず、激しさを増すばかり。そうこうするうちに屋根からまとまって落ちてくる滝のような雨(誰か荒行でも見せてやってくれ!)に石の階段は川となり、石だたみの中庭が水没しだした。
 ここがこんなふうでは、外ではどうなっていることか。特にあの、城壁めぐりをしていた人々は??見晴らしがいい、とは結局さえぎるものがないという意味なのだから。旧市街中で、いったいどれだけの数の言語で「神様、なんとかしてくれえ」と思っているのか。隣にはおきまりの韓国人ツアー客が椅子のゆずりあいをしてるし、そうこうするうちに床の水も深さを増してきていて、クツ持ってはだしで中庭を横断する人も出てくるし。
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 それでもなんとか雨は通り過ぎてくれて、外に出ると、今の雨を等しく共有した人々がいた。近くにはロープウェイがあって、こちらも旧市街を眺め渡すことができるらしい。登るのはロープウェイで、降りるのは徒歩、という人も多いとのこと。その日ドブロブニクで災難にあったワーストを争うなら、この徒歩で降りた人々か、あとは、途中に要塞とかありはするが、ほぼ全方向ふきっさらしの城壁を歩いていた人々か。
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 また青空市場に行って、ラベンダーが詰まった刺繍入りの小さな袋とラベンダーオイルを買い、新市街にもどることにした。が、何台も来るというのに我々が乗るバスが来なくて来なくて。乗りさえすれば10分で到着するバスを、どれだけ待ったことか。それなりに暑い。ふと、たった1本のヤシの木陰に入ってみたら、そこだけ意外なほどひんやりと涼しかった。

 この日の夕食にジャガイモが入っていたのは、観光客が食べているサラダにゆでたジャガイモが入っているのを見たからだった。それで久しぶりに食べたくなって、パセリまで買ってきたのである。しかしこのイタリアン・パセリ、100g入りなのはいいけど殆どが茎だった。それでも十分の量だったけど、茎の大きさに感心した。イタリアン・パセリはうちでも育てているが、ここまで立派な茎ではない。
 イカは例のごとくゆでたりニンニクとオリーブ油で焼いたり。ちゃんとやわらかかった。よしよし。
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