徳島で結婚していたのかというと、そうではなく、神戸の総領事をしていたときに、妻となったのがヨネちうひと、徳島出身でその死後、移り住んだというのだ。来てみてすきになったのだろうか。くわしいことは、Wikiなどを参照していただきたい。
案内、説明してくれたのは、地元のボランティアのかただった。モラエスはポルトガルの新聞などに日本通信を書いたりしていた。それで生計を立てられたのだろうか疑問に思い、きいてみたら、総領事時代の給料が大きくあったようだ。当時の教員の給料が30円くらいのときに、400円の給料をもらっていたそうな。
どのような思いであっただろか。わたしたちが思うほど悲壮なものではなかったのかもしれない。