クロアチア・イスタンブール旅行 10 イスタンブールへ

6月26日(金曜日)

 

 朝4時に起きなければならないとなれば、小心者の私は、3時に目が覚める。残りものの卵をゆで、パンにしょっぱい生チーズとパセリをはさんでお弁当作り。今思えばオリーブ油をパンに塗ればよかったのだがその時は思いつかなかった!なんだかんだでオリーブ油は三分の一を残して消費されていたのだったが。いやー、良く使いましたよ、私。ほほほほほ。


 バス・センターまで5分もかからない。と、バスがいない!と思ったが、それは同じエアポート・バスであってもエアポート・マイクロ・バスだったから、であった。乗る人が少ないのに大きいの出しても仕方ないもんねー。

 ところでエアポート・バスの運転手の助手席には、若い男の子が乗っていて、運転手の話をうんうんとおとなしく聞いていた。こういう場合は、助手の方がしゃべってるものだが、普段と逆だった。助手は途中でバスを降りていった・・・。 助手じゃなくて、「どうせなら乗ってけよ!」みたいな感じで運転手に言われて乗ってた、と。


 旧市街行きのバスでも、そこに100人いたら102人は観光客で、103人目が運転手、みたいな土地柄なのである。クロアチア人がクロアチア人を恋しくなっても仕方ない。

 ドブロブニクの空港まで30分ほど、バスからの眺めは、やはり美しかった。空港直前になって、巨大なホテルを擁する村があった。プール付きのホテルを、このときになって初めて見た。


 ところで、ドブロブニク魔女の宅急便の舞台として使われているらしい。昔見て内容は殆ど覚えてはいないが、パン屋が出てきたことは覚えている。クロアチアで目立つのはパン屋だったし、スプリットから先、どこに行ってもまずパン屋を見た。バス停にはパン屋、船着場にもパン屋で、そうしてみれば同じものを宮崎駿も見たのだった。これは感激、とかいうより納得、というものだった。


 後は。全く余談だが、妹の友達がフランス人と結婚してて、休日には森に行って家族でカタツムリ狩りをして、その日はエスカルゴをおなかいっぱい食べます、とのことだった。日本のカタツムリでそんなことを想像もしようがないのだが、スプリットに向かう道で、前夜の雨にわらわらと大量に出てきたカタツムリを見て、納得した。同じカタツムリでも肉質が違うのである。日本のカタツムリは塩を振ったら半分以下になってしまいそうだが、クロアチアのカタツムリの肉質は、アワビみたいにみっちりしていたのである。あれならにんにくバターで焼いても身減りが少なくて済むに違いなかった。いやあ本当に驚きました。


 ドブロブニク空港。荷物を預けようとしたら、私たちの前はバックパッカー女子だった。元々体格もいいが、背中の荷物のほかにもうひとつ大きな荷物を持っている。手に持つ大荷物は15kg,とカウンターの表示に出た。背中のそれはと見ていたら、カバーを出して荷物を覆い預ける。これが15kg。「超過料金が必要だな。」と夫。問題はソレじゃないでしょ!その荷物に何が入ってるかであり、いくら大柄だからと言って、これを持ち運ぶとは頑丈にもほどがある、ってことじゃないのか!?・・・もしかすると、鍋釜まで持ち歩いているのかも??


ともあれ、暇になったので、空港前のベンチに座り、ぼけっとする。ガタイがいい、女子を含む青少年の団体がバスに乗り込もうとしていた。やはり巨大なバックパックを持参していて、各々バスのトランクに預けていた。暇になった夫は、「座禅のポーズでも見せたろか」と言う。

足がつるだけだから、やめようね。

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 まさかクロアチア航空なんてものに乗る日が来ようとは思わなかった。次はエストニア航空あたりだろうか??ゲートで待ってる人々は、昨日までとはうってかわって厚着だった。中には衿がボアになってるジャケットを身につけている人までいて、どこに帰ろうとしているのか。明日からまたマジメに働いて、次のバカンスに備えるんだろうなあ。

 1時間でザグレブ国際空港。いくら早くても、つまらない。どこへ行くにしても、片道は電車かバスで景色を楽しむべきだ。特にクロアチアは、そうしないと損なのだ。きっぱり。


 それからトルコ航空に乗り継ぎ、イスタンブール空港。このまま帰れば航空チケットは全部で8万円ほどで済む。が。意地汚くイスタンブールでもう3泊しようというのである。入国審査を済ませ、スーツケースをひきとり、地下鉄に乗り、トラムに乗り換え、ホテルへ。そこはトプカピやアヤ・ソフィア近くの便利でにぎやかなところにあった。部屋は狭いが、寝るだけ。もうゴハン作りも、そのための買い物もしなくていい。


 周囲を散歩する。そのあたりはホテルとお菓子屋さんとレストランとお土産屋さんで構成されていた。お菓子屋さんにはロクム(ターキッシュ・デライト)がピラミッドのように積み上げられ、バクラバやそのほかのお菓子ともどもたっぷりとナッツや蜜を含んでいる。相変わらずだなあと眺めているとお店の人が出てきて「○x○xxx、x○xx、ノーカロリー!」

といいやがった。この、大うそつきが!


 地図をもらうべくホテル近くの観光案内所に行く。横はオリエント急行の終点となったシルケジ駅で、しばらく放置されていたものの、最近になって観光資源としてきれいによみがえったらしい。レストランやホールがあって、その夜はコンヤの回転舞踏が披露されるとあった。

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  ところで、2015年6月26日現在の1トルコリラは日本円にしていくらなのか??

去年のトルコリラの残りをもってきてはいたが、それで旅行全部を賄えるわけもない。トラムの料金は、4トルコリラだった。いまは円安だから、40円くらいか??そう思いながら両替屋で聞いてみたら、なんと50円!!うっそーーー!!(両替屋も気の毒そうな顔をした・・)

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 いきなり世の中から突き放された気分で、裏道を歩くと、あちこちのレストランから呼び声がかかる。声をかけるのは、必ず男、子供もいるがやっぱり男子。だが、入るには条件がある。大好きなトルコ料理を、これまた敬虔なイスラム教徒の顰蹙をかいがちな「酒」と共に楽しみたいのだ。酒が確実に出せる店でなければ入れない。味については、そんなに変わりはない。羊肉とヨーグルトさえ平気なら、後は余裕。問題があるとすれば組み合わせで、例えばヨーグルトのスープ。小さなラビオリにヨーグルトをかけた料理もある。しかしそんなのは注文しなけりゃ出てこない。そして実のところ、それはそれで美味しいのである。


 で、いかにもそのあたりの住人を相手にしている、といった感じの店でビールはあるのかと聞くといやっそーーな顔で、有るという。それならと席に座ると、先に料理をオーダーしろというのを、ビールが出てからにする、と宣言する。(こんな交渉をするのは、女一人旅ではキツいに違いない。)これは失敗の予感だったが、やがて少年が黒ビニール袋に入れた何かを持って走ってきた。少年をビールを買いに使いに出し、現在到着したことはわかった。走ってきたこと自体はいいが、ビールをそんなに振り回してはヤバかろう??

 小さな銅のジョッキに入れたそれは、10トルコリラだという。違うでしょ、いくらなんでも高いでしょというと「ここで作ってるクラフトビアだからだ!」って・・・。

「ビールの代金だけ支払って別の店に行きましょう。」という決着を提案した。すると相手は「代金は要らない!!」と言う。カッコイイ・・・ようだけど、ここは料金とらなくちゃ!!

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 ちょっと暗い気分で、ホテル近くのレストラン街に行く。なんとなれば最初っから酒の値段が表示されていたからだ。観光客向けの店は高いし美味しくないというのが常識だから、土地の皆さんが行くようなところで食べたい。だが、それは大きな迷惑だった。トルコの客引きは割りと激しい。あちこちから、「うちで食べるだろ?うちの食事は最高なんだぜ、ジャパニーズ!」って感じで、大きな犬が思いきりなついてくる感じでじゃれかかってくる。こちらの常識からすれば、そういうやつらは絶対無視しなければならない。だが、このレストラン街のメニューを見る限り、値段も内容も似たりよったり。そのうえでの、必要以上のひとなつこさは国民性・・・。滞在時間が増えるにつれて、逆に呼びかけてくれないレストランなぞ、「やる気なんじゃないか、この店?」ということになっていくのである。


 と、奥まった店まで来たらガラス張りのブースの中でおばさんが粉を広げているのが見えた。「うちは、彼女が手打ちでやってくれるんだ!」とのこと。おお、それならここに入ろうじゃないか。ビールが7、ワインが一杯8トルコリラと堂々と表示された店だった。各々メニューにはその量も記されていた。ボトルのワインはそこそこ高価だったが、グラスワインの量は十分だということがわかった。(去年までイスタンブールを訪れれば必ずボトルを開けていたものだが、1トルコリラが50円ではとてもそんな気にならない。)そして、あれも食べたいのこれも食べたいのと言ってるうちに、おばさんが作ってくれるマンティ(トルコ風ラビオリ、または小さな餃子)を注文するのを我々は忘れたのである。

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