ミュヘン、フィレンツェ、ピサのちミラノのちミュンヘン その4

航空博物館へ
 

 航空博物館は、ミュンヘン郊外にある。小雨がちなので、傘を持ち、地下鉄に乗る。地下鉄が地上に出ると車窓の風景は郊外らしいものに変わっていき、家々の庭はさほど広くないもののきれいに整えられ、窓がいずれもぴかぴかしているのが見える。やっぱドイツだ!!

 

20分ほどでオーバーシュロスハイム駅に到着。右側に矢印をつけた案内板がひとつ。こんな田舎町に矢印で教えなければならないのは、やはり航空博物館かお城ではないのか。だが夫はかまわず歩いて行き、駅左側の1本のサクランボが実るバス停に出た。・・・このバス停の規模をどう言ったらわかってもらえるのか。長津田というより、その隣のつくし野そっくり。右にスーパーもある。もっと似ているのはバス便の少なさ。

 

 やがてバスが来て、博物館に行くかと聞けば、そちらに行くのは次のバスだという。そのバスは10分後に来るはず。だが、博物館は歩いて15分。やってきた人に聞けば、目の前の通りを行けば、博物館だという。さっきの標識はすると別のものか。そんじゃ歩きますか。私好みの家や庭の佇まいが続く通りを。

 

 時間や2時間迷っても全然平気なくらいきれいな通りを夫と歩く。航空博物館なんてたどりつかなくたって全然平気!ってくらい。だが夫はそうはいかない。向うから歩いてきた人に聞いてみる。相手は小柄なおばあちゃんでドイツ語しか話せないようだが、聞かれた内容は理解してくれて、なんと確実な道まで連れて行ってくれた。(私たちが行こうとしている道は、90度の角度で目的地から遠ざかっていく道だった。先刻の人は大真面目だったのだけど。)

 

 おばあちゃんには御礼を言い、夫が何かのときにと用意してあった匂い袋を渡した。道を尋ねて、「あっち」と答えてくれた程度なら「だんけ!」で済む。しかし10分も一緒に歩いてくれたことを思えば、「私はヨーロッパ人で、英語がわからなくてごめんなさいね。」(こんな感じのことを言った)とまで言ってくれたなら、何か渡したい。彼女がどんな生活をしているのかわからない(窓磨きを欠かさないことだけは間違いない)が、小さな匂い袋なりにそれは思い出の品となり、話のタネとなり、その証拠となるであろう。

 

後に夫は、「旅行のさいには、ああいうちょっとしたものを100均で用意しておくべきではないか。」と真剣に言った。それはいい考えかもしれない。しかし100均と決めてしまうのはいかがなものか。いくら便利でも洗濯ネットは御礼の品には向かないだろうし。←?

 

準備するなら匂い袋のような、いかにも日本的で荷物にならない、ちょっとしたものが良いとは思うが、それなら家の中を探せば何かあるには違いない。その一方、地元の方に迷惑をかける前提というのもいかがなものか。しかし旅行なんて元々そんなもので、匂い袋ひとつで「迷惑」から「地元の皆さんとの交流」になるのは悪くないのではないか。色々、思う。

 

 結局最初に見た矢印の道案内の通りだったが、徒歩15分と言うとおりそこそこ遠かった。

遠かったが普通の家並みから、野原や市民農園(クライン・ガルテンとか言ったと思う?)らしきものが見えて、それから小川を渡ったりした。ニュースによれば少し前までこちらでは大雨だっけ?なんだか金沢の用水路みたいな水量だった。

 
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 やがてインフォメーションの看板が見えて、夫は道を確かめつつトイレを借りた。私はといえば、どこから来たのか聞いてもいいか(まず、そこからか!と事務所の女性に言われ、日本から来たと答えて、小さな旗をこの世界地図に、あなたの国の場所に刺して表示したいと言われ、TOKYO と言ったはいいが相手がわからなかったので驚いたりしていた。世界地図の中の日本には小旗が4,5本刺してあって、韓国は1本、当然ヨーロッパが多かった。(これから航空博物館に行く方がいたら、この件、応援お願いしますと書いておく。)

 
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 航空博物館というのはドイツで最も古い飛行場のひとつで、とガイドブックに書いてあったがそういう言い方をするなら日本一古い飛行場とはどこなのか。羽田じゃないだろう、やっぱ。と言ったら夫が霞ヶ浦にあったようだと答えた。)博物館の入り口でチケットを買い、傘たてに傘をさすよう指示された。いつものクセで、持っていかれるのではないかと心配してしまう。

 

 右を向くと、すぐさまリリエンタールの模型がお出迎え。まず、一部屋展示してあってそれから通路を行くとドドーンと広い場所があり、そこは飛行機だらけ。航空博物館らしく、旅客機の座席みたいなのが点々と置いてあるのでそこに座ってメモ帳開いたり本を読んだりしているとやがて夫がうれしそうな匂いを撒き散らしながらやってきて、「ミグ21があって~」と。

 
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 ミグと言えばその昔、ソ連の軍人が亡命するときに乗って来た戦闘機というイメージがあるが、夫によればそれは25で、21とは全然違うらしい。で、何でそれがここにと思えば、旧東ドイツ時代の遺物ではないかと思いついた、と。夫は旧ソ連の戦闘機の仕上げの悪さにどんびきしているのだが、なるほどそれはつまりクソうるさかったり揺れがひどかったりするのですね、と私が想像できるのはここまでだ。

 
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 帰りは違う道を歩こう!ということになる。野原や木立ち(原種カンパニュラなど咲いていた!日本ではお金を支払って植える類のものだが、ここでは雑草みたいなもの。逆に日本はグラス類の宝庫で、あちらではススキの類にお金を払う。)を抜けると城に出た。これがシュラスハイム城とやらで、噴水を含む広大な庭園はフランス整形式、その奥には別の城があって、そこにはマイセンのコレクションが展示されているらしい。

 
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 が、そのへんはもうレジデンツでお腹一杯。そのへんの普通の家の、普通の人々の庭やそこに植えられている植物を眺めながら帰ろうよ!ということになる。夫も同感、というよりは博物館見たからには後はどうでもよく、空き巣の下見にも似て他人の家や庭をじろじろ観察する私を振り返りもせず、ひたすら前を見てとっとと歩くのであった。いや本当に。

 
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 もときたSバーン(地下鉄)に乗り、ホテルに戻る。翌日はアルプス越えてイタリアに入ることになっている。いったん昼寝をし、それから街歩き。うちのネコの面倒を見てくれている友人のお土産にとストールを買ったりした。ミュンヘンの街にはいくつか民族衣装の店があり、日本にしてみれば和装店のようなものだろうがこんなにあって、いつどのような状況で着るのかと不思議だった。

 
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 街中をさまよっていると花屋の店先にテーブルを並べたようなカフェを見つけた。これが面白かった。椅子もテーブルもそこに座る人間も、全て鉢植えの花に埋もれているのである。花は概ねアジサイだったが、東京でこの時期だと暑さであっという間に花は終わってしまう。いくらミュンヘンで涼しいから花が長持ちするとはいえひとつや二つではなし、この調子で鉢花を使い続けたら、それだけで年間いくらに相当するのか想像もつかない。そのあたり、どうなっているのかを知りたかった。(もちろんアジサイの花色は全てピンク。)

 

 その日の夕食は中央駅近くのレストランで、牛肉のカルパッチョとガチョウのローストを二人で分ける。前日はザワークラウトがついてきたが、ここでは別に注文しなければならない。あのザワークラウトは薄味で美味しかったなーと思い返したりする。旅行後に思い返すのは全て野菜料理で、ハンガリーで食べたピクルスだとかそういうのである。基本的に野菜をナメているからなのか、野菜が美味しいと記憶に残る。

 

 この日の万歩計は結局、26,000歩を数えた。ミュンヘンは健康にいいのか??

ただ、街には若くても杖をついている人が多かった。

 

 ところで、通っているお花の教室で「ミュンヘンではドイツ博物館と航空博物館に行きました。」と言ったら「私も行きました!」と手を挙げたのはいわゆるスチュワーデスの妹弟子だった。

キャビン・アテンダントだから行ってみたわけではなかろうに、何故?ただ、同じ風景を見たのだと思えば相手が可愛く見えてくるのであった。


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航空博物館の展示をいくつか。


名機メッサーシュミット Bf109

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ジェット戦闘機 メッサーシュミット Me262

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ロケット戦闘機 メッサーシュミット Me163

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戦闘機のコックピットに搭乗することができる

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ジェットエンジンの展示がたくさんあった

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