ニン、サンキュー・・・」と言いはしたが、あれはベルが時間になったら鳴るように設定されたものであって、その向こうには人間はいないのであろう。
せっかくの高級ホテルなのに堪能するまもなく、午前3時半に出ていかなければならない。だが、ロビーに出て行ったら、結構な数の人間がいた。旅先では日本人ばかりが早く起きて、外国人たちはゆっくりと朝食をとる、というのはうそだ。ツアーとなればどこの国の人間でも早朝から起こされてしまうのである。
ホテルで食事はできないが、ホテル側から朝食用のお弁当をもらい、アスワン行きの飛行機に乗ることになる。さすがは高級ホテル、コッペパン2つに挟まれているのはチーズとハム、他にただのコッペパン2つ。ゆで卵にリンゴにパック入りジュースにバナナにヨーグルト、ジャムやバター、他にペストリー2つ。しかしこんな早朝からおなかに入るわけもなく、飛行機に乗るために液体のヨーグルトやジュースを片付けるのみ。
7時10分 アスワン空港到着、バスに乗って、まずはヌビアの街にある、石切り場の未完のオベリスクを見に行く。そもそもアスワンのあたりは上等な赤御影石の産地で、ここの石を使って神殿だの像だのをこしらえ、ナイル川を船で運んでいたらしい。このオベリスクはエジプト最初の女王、ハトシェプストのために石切り場から切り出そうとしたはいいがヒビが入ってしまい、修正しようにもできず、以来何千年もほったらかしというオベリスクであった。
次は、アスワン ハイ・ダムに連れて行かれる。
ダムを挟んで片側がナイル川、反対側に広がっているのはナセル湖。実際ヌビアのあたりから上流は船の航行に向かない急な流れとなっており、それゆえ国防にもダムの造営にも好都合だったらしい。ナセル湖は琵琶湖の10何倍といったか、エジプトからスーダンをまたがって広がっている。しかし湖のすぐ隣はもう砂漠になっていて、ビューポイントとて花が植えてあるが、その足元には給水パイプが見える。ハイ・ダムと言うので期待していたが広さはともかく高さは黒部ダムと比べるべくもない。
次はヌビアの香水店に行く。香水店と言っても香油で、つまりはエッセンシャルオイルだな。この工房ではガラスのちまちました香水瓶を吹きガラスで作っていて、カワイイので買っている人も多かった。香油は色々試してくれるが水仙もオレンジの花も思ったのと違うイメージで、仕方なくバラとミントを買ってみたが、値段はともかくとして、日本でも同じようなものはいくらでも買える。面白いのがバラだろうがミントだろうが30ccで一律1500円だということ。純粋のバラのオイルがそんな値段で買えるわけもないと思うし、ミントなんて近所の庭にいくらでもはびこってたりするんだが、鼻づまりに効くし、これから花粉症の季節だし、ま、いっか。・・・だがこのミントが、意外なところで役に立つのである。
店を出て、バスに乗ったのは11時ごろ、お昼のお弁当と本日の水(ペットボトル500cc)を渡される。今度のお弁当は宿泊予定のナイル川クルーズの船で作られたものだった。高級ホテルと似たりよったりといいたいところだが、コッペパンに挟んである肉は硬くてパサパサ、何の味もしない。しょっぱいオリーブの実が添えられているので、このオリーブをパンの合間にかじって食べる助けにせよということらしかった。多分エジプトでは普通の味とか食べ方なのだと思う。またまたリンゴがついてきて、エジプトでリンゴはとれないけど英国の統治下にあったから外国人とみればリンゴを用意してしまうのか、とにかく弁当といえば必ず小さな酸っぱくておいしいリンゴがついてきた。
アスワン・ハイ・ダムを出ると最初に作られたロウ・ダムを見ることができる。こちらはイギリス主導で造られたがちょっと小さすぎた。それでハイ・ダムを造ることになったが、今度は旧ソビエト連邦の協力で作られることなった。このへんは昔、教科書にもあった気がする。旧ソ、懐かしいですねえ。
砂漠は本当に砂と石ころだらけ。それでも、さらさらした細かいきれいな砂があるところがあり、途中下車。こういうものをビンに詰めて沖縄の「星の砂」のように「砂漠の砂」としてお土産にしたほうがいいんじゃない?
ここから3時間、280kmをサハラ砂漠の中を時速100Kmでツアーバスはひた走る。他の車を追い抜いてまた走る。途中、蜃気楼を見ることができますと言われ、わけがわからない。ああいうものはたまーに出るものであって、当たり前に毎日みられるところがあろうとは思わなんだ。でも途中で本当に見ることができた。延々と出ている。まじですか。蜃気楼とは光の屈折で遠くの風景が見えるのだというけど、それじゃ今あそこに見えている風景はどこのなのか?大抵この答は出てこない。白い砂の上には、燃え尽きて真っ黒な骨格だけになったバスが1台取り残されていた。なんでこんなところにあるのやら。
しかしそんなアブシンベル神殿も本当は現在の場所より60mも下にあり、実はハイ・ダムの建設にあたり水位が上昇するナセル湖にけろりと沈む運命だった。「いいじゃン別に水に沈んだって。それがどうかしたの?」的なエジプトに「それが何かってあんたね、あんな人類の遺産をそのまんま水没させてどーすんの!!」と言ったかどうかは知らないが、あわてたユネスコがお金やら何やら集め、やる気のないエジプトに代わって現在の場所に移設した。エジプト、なんかすっごく得してる感じ?
この下が神殿の元あった場所、水を満々とたくわえたナセル湖の対岸は全く緑が見えない。
アブシンベル大神殿の中の様々な象形文字、彫像を見るにつけ、よくまあこんなものを水に沈めようだなんて思ってたもんだと驚く。が、エジプトでは神殿は割と普通にあるものだったのかエジプト人の関心をひかず、すでに紀元前6世紀ころから砂に埋もれ始め、19世紀となってそれを掘り出したのがイタリア人ベルツオーニ。
それはいいんだけど巨大なラムセス2世像の足には1800年代の年数とどこかの国のバカの名前が大きく掘ってある。そんな昔にここまで来れるというのはお金と教養があるという意味のはずなんだが、なんでそこまでしでかしちゃうんだか。よっぽど興奮したのか。こいつのおかげでここまで来た人類全体、ほんとがっかりしちゃうんですが。
エジプトとかギリシャに行くのは日本で例えてみれば同じ外国人でも北海道にスキーに行く人、秋葉原や中野に走る人、じゃなくて京都に行く人なはずなんだけど、おかしい、この人ってばスキーに行って入ってはいけないところに入って遭難する人になってる。
神殿の中は撮影禁止となっている。管理しているこの人、「中は撮影禁止だけど、入り口からならOKよ」と言って、入り口に客を立たせて写真を撮り、上手にチップをもらっていた。このひと公務員なのかしらん。
そして、エジプトの観光地では、遺跡からバスに帰ろうとすると途中必ずお土産屋の中を通っていかなければならないシステムになっている。待ち構えた店の人々からは、「ワンダラー!」という言葉だけならともかく、なぜか「ヤマモトヤマ!」とか「カカクハカイ!」とかの言葉が飛んでくる。そしてガイドは客を守ろうとするあまり買う隙を与えてくれないのであった。
その後、また3時間かけてアスワンの街までたどりついた。夜はとっぷりと暮れてナイル河をクルーズする船に乗船。荷物を運ばなくて良いのは助かった。香水店に行った時点でお弁当とひきかえに荷物は船に運び込んでしまったらしい。部屋にはハエが1匹いた。散々水のない砂漠を見た後だと、頑張って生きているなあと思いはするが、顔にまとわりつく。さてどうするか。夫がミントを使えばいいという。首元に1滴たらすだけでハエは嫌がってこないと。
香油を買ったところでググってみたら、そういう効能が出ていたらしい。やってみたら確かに来なかった。夫よ、女子力高いな!
船内の夕食はビュッフェ形式でサラダ、牛肉・鶏肉系、野菜の料理、豆料理がそれぞれ2~3品目。デザートは甘いもの系とくだものが数品目でなんとか好みのものにありつける。アルコールは、ビール500mlが400円くらい、グラスワインも同程度。支払いは、エジプトポンド、ドル、クレジットカードもOKだった。
その夜は舟のイベントフロアでベリーダンスのショウがあるとのことだったが、洗濯して眠ってしまった。