エジプト ナイル川クルーズ ルクソール

 ルクソールの朝。
 朝食バイキングではコーヒーは無料だが「ネスカフェ」と呼ばれていた。普通のコーヒーも持ってきているけれど、ここでお湯をもらって自分だけ飲むのも気がひける。夫はティーバッグの緑茶をもっていったが、熱湯をくれるボーイの視線にさりげなくチップ要求モード入ってきたそうである。

 船には売店があり、エジプト風の洋服だのネックレスだのを売っている。だが、こういうエキゾチックな品物に対しては2種類の考え方がある。突飛すぎて帰ってから着られないものは、買っても損!というのと、こんなもんは遊び以外の何ものでもないんだから、その場でガンガン着て、帰ってからのことは考える必要なし!というのと。
 
 それが5ドルであるならば、エジプト風の不思議模様を楽しんでもいいはずだが、エジプトへのツアーに参加できるような中高年の日本人には、値切るのと、はめを外すのは大の苦手なようであった。ツアーというのは結局、暗黙に日本的に縛りあうもののように見えてくる。そんじゃオマエはそれを5ドルまで値切って楽しんだのかと言われれば、値切るのが面倒くさいしそんな時間なくて。すいません。

 本日はバスに乗る。ルクソールは今までにない楽しさ。というのはエドフでちらっと見ただけで、今まで人の暮らしを間近に見ることがなかったからだ。ルクソールは水が豊で、畑にはサトウキビ、キャベツ、バナナのほかにも何かの果樹らしきものなどが植えられて道の両脇には街路樹、なおかつその枝がバスに木陰をつくっている。
 
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 用水路の向こうには小さな家が続き、馬やロバ、ヤギにニワトリ。畑の作物はなぜかドブ漬け。日本の場合は水はけに気を付けるのに、こちらの畑は田んぼに畝作って水の上に作物植えてるかんじ。強迫観念的に水を切らせられないのだろうか?
 
 まずはメムノンの巨像とやらを見に連れていかれる。でーんと広い土地に顔のない巨像が2つ座っているだけ。本当は後ろにアメンホテプ3世の葬祭殿があったらしいが、王の子孫が自分の墓だったか何だったかを造るために壊して石材をもっていっちゃったとのこと。(これは今までにない理由ではないか?自分の墓を造るために先祖の墓を使っちゃうってのは?)その横には畑や小さな建物があり、畑にはでっかいクローバー、家の横にはロバさん。
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 その次はハトシェプスト女王葬祭殿。こちらは砂漠の中にある。丘を背景に2層に掘ってあり、中央には階段が配されている。このデザインは秀逸、変な言い方だけど宗教感すごい!だが、残念ながら女王が亡くなると後継者であるトトメス3世にあちこち壊されている。自分が王になるはずがハトシェプストにいきなりエジプト初の女王として長々と君臨されて待たされた恨みを晴らしたのだそうで。どうしたのかというと、像に火をかけ熱したあと、水をぶっかけるという方法だったそうである。すると石はぱりんと割れるそうな。これをいちいちやらせたんだなあと思えば細かいというか陰湿というか。当時ダイナマイトも重機もなくてよかったねえ。
 
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 ハトシェプスト女王の葬祭殿は少なくともツアーの中では他に類を見ない建築で神聖さを感じさせてくれた。他のものは石像どーん!列柱どーんどーんどーん!色が薄れかけたヒエログリフで埋もれていて、石室の上には星空やススで、こんがらがりそうなのだが、この葬祭殿だけは間違いようがない!(いや、アフリカ大陸の土まで踏んだんだからさ、そのへんはきちんと復習して間違えないようにしようよ、私・・)
 
 そして、王家の墓。ツタンカーメンの墓を発見したカーターが住んでいた家や丘の上の早稲田大学を横目に到着。その王家の墓のビジターセンターに入ると何か懐かしい雰囲気がしておかしいなと思えば「日本の鹿島建設が作りました」と現地ガイド。中央に模型が作ってあり、谷の地形とその入り口から地下に向かって様々な墳墓の通路が伸びている様子がわかる。「さすが日本人、細かいです~」と現地ガイドは続けたが、そっちももう少し細かくやろうよ!
 
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 トロッコ?みたいなのにみんなで乗り合わせて谷に向かう。ラムセス2世やツタンカーメンの墓に入る。だが、墓の御物は墓荒らしにもっていかれて、見物できるのはワクだけ。ツタンカーメンの墓の御物だけが古代エジプトにおける金ぴかの唯一の証拠かと思うと情けない。墓荒らしの皆さんが特別に優秀だったのか、職人たちの口がおもいっきりゆるかったのか、それとも王族が呑気すぎたのか。

王家の谷に入り口、山の上には携帯電話のアンテナが見える。 
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 それにしてもこの人生で、エジプトもそうだし「王家の墓」なんてものを本当に見ることがあろうとは思いもしなかった。あんなものはテレビの中のヨタ話(ひどいわ!)とか、小学5年生とかの付録についてくる読み物の中、さもなくば山岸涼子の漫画の中の話だったんである。そして、どうせ行っても物売りに囲まれ、トイレやそのほかのことで不自由するだけの話だろうと思っていた。こんな私でもお金さえ払えばエジプトくんだりまで行って帰ってこれる。よーく考えてみればこれはすごい話である。
  
 しかし、ここで船に帰ってお昼バイキングご飯なのである。エジプトはハト料理やひよこ豆のコロッケが名物らしいが、バイキングのすみっこにさえもそんなのは出てこない。食べたくない人もいるのかもしれないが、食べてみたい人もいるんである。エジプトにいるときからエジプト料理に飢えなきゃならず、帰ってからエジプト料理店を探してみようかと思わざるを得ないのはツアーだからで。食事だけ野放しにしてくれるツアーってないのかなー。
部屋に戻ると、ベッドメイキングしたあとに、バスタオルでこんなお遊びが。
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 またバスに乗ってカルナック神殿。正しくはカルナック神殿複合体とやらだが、公開されているのはそのうちの太陽神アモン・ラーのもののみ。と言っても十分に広い。おなじみの巨大な列柱の先には神官が身を清めたという池まである。だが最近はアスワン・ハイ・ダムができたおかげで水の入れ替えが必要となっているとのこと。
 
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 現在エジプトで使用している土地は5%ほど、他は砂漠なんだそうで日本はどのくらいなのかしれないけど使ってないところは山ですね。(旅の間中、そのへんのエジプト人に山だの雨だの見せてやりたいもんだなと思った)現在ナイル川に支流を造り、15年後をめどに使用可能な土地を増やそうとしているらしい。その土地はとりあえず畑になるんだろうと思うと、まずはそれからですかとがっくりし、15年後を見てみたいと思い、その時の自分の年齢を思ってなおがっくりした。さっさとやんなさいよ全く!! 
 10歳くらいの男の子が寄ってきてボールペンくれと言う。そう、なぜかエジプト人はボールペンが大好きで、特に4色ボールペンに目がないという。来る前に100円均一に行ってみたら3本で100円だったので2セット買ってもってきていた。だが、見知らぬ人にいきなりボールペンやることもないし、ツアーでチップから守られているので出すこともなくそのまんま。結局、情けない感じの10歳くらいの男の子に思わず渡したのはアメ。これは友人がくれた塩補充アメとかいうもので、なんとなくバッグに入れてあった。後でなめてみたら一種の薬用と知らなければ美味しいものでもない。すまん。その後、同じボールペンでも中国製のは要らないといわれた人もいることが判明。なんだかなー。

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 バスに乗ってルクソール神殿に移動。バスの前には、バナナを満載したトラック。そのまた目の前をサトウキビを満載した列車が横切る。どうもサトウキビはただ載せてあるだで、通りすがりに何本も零れ落ち、落ちたのを子供が拾ってかじっている。せめて、せめて紐で積み荷を縛ろうよ!!その手間が惜しいくらい安いの??
 
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 ルクソール神殿。朝、でがけに船を降りた川沿いに大きな石がゴロゴロしてる場所があると思ったら、それがこのルクソール神殿の裏側であった。小さなスフィンクスの参道を横目に入るとオベリスクが1本だけ立っており、もう片方はフランスにやったのだという。お返しにと大きな時計台をもらったが、これは1週間もしないうちに壊れてしまい、治そうにも治らず「騙された時計台」として有名なのだそうだ。なんだろう、砂で壊れたのかしらん。オベリスクだって、そんな気候が違うところにもっていかれて大丈夫なのか?
 
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 神殿の内側にはキリスト教徒が住んでいた時代のあとが残っており、例のごとく煮炊きのあととしてススもついているし、地味に彫刻の顔も削られており、そのうえからしっくいで塗ってきれいなフレスコ画?も描かれているけれどこれまた時の流れとともにそのしっくいが剥がれ落ちて元々の姿が見えるようになってきている、とのこと。
 
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こんな彫りこみも
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 夕暮れのルクソール神殿でトイレに入る。現地ガイドが話をつけてあるので我々は合言葉(!)を言うだけでよく、小銭を用意することもない。しかしながらトイレのボロさだけはいかんともしがたく、「あああああ大変、水が止まらないーーーいい!」という声が。「どうしよう!?」と聞かれ、ほっといて出てくるよう促す。私たちに治せるわけもなし。
 
 もちろん世の中には治せる人もいる。椎名誠の「ロシアのニタリノフの便座について」なるエッセイの中には、なぜか壊れているロシアの様々なものが許せず、端から治していく人物が出てくる。タイトルに便座が出てくるくらいなのでビロウな話が多いが怒らずに楽しめる人にはおススメである。
 
 ところでルクソールの神殿の裏側にはガーデンミュージアムがあった。雨が降らないので遺跡の石を色々そのまんま庭に転がしておくだけでそんな名前がつけられるのである。それはいいが、ロープが張ってあり英語とアラビア語のほかになぜか日本語で「立入禁止」と書かれた看板が。なんで日本語?日本人、何やったの?
 
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このあたりで、こんな彩色陶器のかけらもひろったのだが、当然ながら持ち帰れず。
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 この日あたりから、ツアーの間でカゼひきが出てきた。バスのあっちとこっちとでセキで会話してるかのような有様。「ごふ、ごふ。(もうかりまっか?)」「げほげほげほ!(ぼちぼちでんなあ)」って感じ。明日はカイロへの移動、またまた2時半起きなので、こちらもビールは少しだけにして、荷物をまとめて寝た。