エジプト ナイル川クルーズ コム・オンボ、エドフ

 まともな時間に起きていいという、初めての朝だった。と言っても起床は6時半、クルーズ船は早朝アスワンを出て、すでにコム・オンボについていた。エジプトの名所旧跡、人間が住めるところは全て川沿いにあるので、ナイル川を航行する観光船は250隻もあるのだとか。ここでやっとお洗濯。だが、それを喜んでいたらガイドに怪訝な顔をされた。
イメージ 1

 船内のレストランでのバイキングの食事。牛肉は今まで出会ったことがないほど硬く、魚も魚として出るのではなく魚も入っている魚料理といった趣、まずくはない。野菜料理が充実していて、サラダバーはレタスやにニンジンが別々に置いてあるだけでなしに野菜を何種類か既にあえてあるものが4,5種類も出ていて毎食が非常にヘルシーだった。
 
 もちろん異国の食べ物が口にあわない人もいて、カップラーメンを大量に持ち込んでいるとのことだった。聞けばそこまででなくともオリーブ油がダメだとか羊がダメだとか、軽いところではエジプトくんだりまで来てコメの味を呪う人もいた。コメだっていうだけで十分ではないかと思うが、いったんコメの顔を見てしまったら白くないだのながっぽそいだので悲しくなれるのが日本人なのだろう。
  
 本日最初はコム・オンボの神殿観光。既に船は船着き場についていて、「8時半出航」の文字を横目に船を出る。と目の前には別の船がありその中を横切ってまたひとつの船に出て、そこでやっと陸に上がれるのだった。「なんだかひとんちの庭先歩いてるみたい」という意見が聞こえる。それもそうだが、船によってムードが違うのが面白い。私たちの船は「ロイヤル イサドラ」という名前で五つ星というふれこみだったが、5つ星の内容を添乗員に聞けば「5つ星にも松竹梅がありまして・・ 」ときた。なるほど。こっちだって、今更どうせいというつもりもないし。
 
イメージ 3

 コム・オンボの神殿は川のとなりにあり、10分ほど歩くとのことだったが5分もかからない。ぐるり巡って正面から入る。昨日のアブシンベル神殿も大きかったが、こちらはまた大きく広い。列柱の見事なうえにヒエログリフの色も美しい。浮彫にされたクレオパトラの姿や、当時の、今でも通用している様々な医療器具の姿も記録されている。現地ガイド、ここぞとばかりに当時のエジプト人がいかに世界に先駆けて優れていたかを力説する。わかったわかった~。
 
イメージ 4

 しかしながら当時のエジプト人多神教、現在のエジプト人の9割はイスラム教徒。この現地ガイドさんもイスラム教徒、メッカへの巡礼までしている。その昔の強烈に偶像を嫌う原始キリスト教徒によって破壊されたエジプトの神々の遺跡を思えばこの人も「一神教はやはりよくないようです!」と言うのだが、イスラムだって偶像を嫌う一神教なんですけど。そういうつっこみって、ナシ?
 
 このガイドさんによればできれば自分もラムセス2世のように奥さんを20人もらいたいもんだと思っていたが、いざ結婚してみたら一人で十分だったと同じたわごとを3回くらい語った。現在でも法によれば妻は4人までめとることができるけど、全員に平等にしなければならないらしい。嫁とり放題は男の夢かもしれないけど、王の結婚がただの結婚であるはずがなく、王の前に差し出されるような女が海千山千でないわけがないと思う私は大人になってかなり久しい。
 
 外には井戸があり、これはナイルに続いている「ナイルメーター」であるとガイドが語った。その年のナイル川の氾濫の水位イコール収穫量だったわけなので、このメーターを見ることで神官たちはその年の税金を決めることができたらしい。氾濫といっても、じわじわと水位が高くなっていったのか、それともいきなりどーんと洪水となったのかは聞かなかった。
  
イメージ 2

 集合時間は8時45分でえす、とガイドさんが言う。8時半に出航ではなかったのですかと夫が問えば、「こんだけの人数、置いていけるもんですか。あっはっは~」と。神殿出口には小さな博物館があり、ワニのミイラがみられるという。現地ガイドは「大したことないです」と言うし、おなかの調子がいまいちだし船は目の前なのでお先に帰らせてもらうことにした。すぐ近くだとこんなにも楽なのだなあ。
 
 私たちの組が乗り込んで次の港エドフに向けて出航。10時から船内で現地ガイドによるカフェタイム、質問コーナーがあり、その後は現地ガイドによる、名前入りのエジプト綿のTシャツやポロシャツの注文タイムへと。そのへんの中国製と違ってこれは本物で、頑丈です!と現地ガイドが力説。色、パターンが選べてなお、ヒエログリフでの名入れができる。名前はヒエログリフなので、渡す相手を間違えても大丈夫というスグレモノなのだ。
イメージ 9

船の外には小舟に乗ったエジプト人が様々な品物をもって売りに来る。バスタオルとかテーブルクロスとかこぶりの絨毯とかだ。見本だと言って3階や4階のデッキまでばーんと投げ込み、「300ドル!」って、そんな値段の品物を売る態度ではないでしょ、それ!
投げ込んだものは無事にデッキに届いたが、たまにプールに落ちてしまうものもあるそうな。
イメージ 10

だが剛の者はいて、5ドルで買った人がいるのである。夫が巡り合ったその人はもちろん日本人ではなく、イギリスのご婦人、トルコに赴任してたとのことであった。
イメージ 11

ナイル川下りは続く。上りのクルーズ船も続々来るのが見える。なるほど、250隻というのは、あながち嘘ではないらしい。
イメージ 12

 お昼は船の中でバイキング。そうこうしているうちに船はエドフに到着、ロビーに集合して、エドフのホルス神殿観光へ。
イメージ 5

馬車が雇われていて、二人1組で順次乗って行く。街中を通るので楽しい。いやに流行っているパン屋などが見える。しかしこの馬車というのが非常にボロくてほこりだらけで周囲は馬糞の薫り高く、エキゾチックという表現で済ませることができないツアーメイトも何人かいた。
 
イメージ 6

 ホルス神殿に到着。厩舎というか馬車停の壮観なこと。
イメージ 7

ハヤブサの姿をしたホルス神の姿がカッコイイ。1860年ころまで砂に埋もれていた。
イメージ 13

だがそれまで完全にほったらかしだったわけではなく、キリスト教徒が住みこんで壁画の顔だけ丁寧に丁寧に端から削っちゃったり、煮炊きしてススだらけにしたり、しかる後にキリスト教徒も去って砂に埋もれ行く時間があった、と。掘り出したのもフランス人だからキリスト教徒で、その頃は砂に埋もれていたせいで彩色も残り、きれいな神殿であったようだ。というか現在のエジプトの神殿はどこに行っても砂色にぼけつつあるが、もともと鮮やかに彩色されていたらしいのである。現地ガイドが往時の姿を写真集で見せてくれたがこれは新鮮な驚きであった。今でも残っているのは砂に埋もれていた経緯や、湿度の少なさが関係している。

イメージ 14

 帰りがけ、「もうヒエログリフ飽きたー」という忌憚のないご意見が聞こえ、日本人ガイドがあわてているのが聞こえた。だからと言って、この国で他にどうしろというのか。

 現地ガイドより、「御者からはチップをくれと言われますが我々がやっているので必要ありません!」とのお達しあり、しかしそれでも御者から1ドルくれ~くれ~と言われ、ひたすら無視をきめこむ。後ろ向いてないで前向いてよ~、と思うが馬も優秀?なので御者の、真っ黒くて風呂とはあんまり関係なさそうな爺さんが後ろを向いていてもちゃんと走ってくれる。ツアーメイトたちも、ガイドの言うことを一生懸命守り、頑張って爺さんを無視しているようだった。だが残念ながら「1ダラー!」と言いながら船着き場をとっくに過ぎたところまで連れて行かれてしまった人もいた。

 かくなるうえはエジプトにヤンキーの集団でも送り込んでやりたいものだがそんなのは小説にはなろうとも意味がない。そして何が面白いかといって、あの小池百合子カイロ大学出身なのである。このイスラム教国で、異教徒の女子としてどんな目にあったのか、どうやって跳ね返してきたのかと思えば言葉にならない感動がわいてくる。どこかに何か書いてないものだろうか。もはや黒歴史なのかしら。

 帰ってからは、夕食まで自由時間。船は次のルクソールに向けて出航、ナイル下りは続く。今夜は水門を通過するとのこと。
部屋でくつろぎながらナイル河岸を眺める。牛や馬、畑、何かを燃やしているのが見える。流れはゆるやかだが、川幅はたいして広くない。対岸が見えないことは全くなく、近場では多摩川のイメージ。時々他の遊覧船とすれ違う。どこの船でも最上階にはプールがあるらしく、この寒いのに上半身裸の白人もいる。ナイル川と並行して走る列車も見えた。
イメージ 15

 エジプトの石像の上半身裸ファッションを思えば、冬がこんなに寒いなど誰が考えつくだろうか。私は外に出るときにはヒートテックの下着の上にニット見えフリースを重ね、その上からウルトラライトダウンのベストを着て、なおその上に薄いハーフコートを着ていた。ニット見えフリースでなくばフランネルのシャツである。・・・ユニクロづくめじゃないかと言われればそうでないのも持って行ったんだけど、誰でもわかるように体感温度を表現しようとしたらユニクロが一番わかりやすいのだ、そうなのだ。

 なーんて本当は着ていた。が、ツアーの中で堂々とユニクロを着ているのは私くらい。荷物の量も我々夫婦はダントツに少なかった。手荷物も、下手するとハーフコートのポケットに突っ込んでしまって観光に出かけたが、他にはそんな人は一人もいない。こちらも不思議であったが、あちらにしてみればあれでどうやって人間の尊厳を保てるのかと思ったかもしれない。こちらは日が経つにつれて処分できるように荷物を組み立てたが、他の人々は処分できるようなものは持ってきていないのかもしれなかった。そうそう、誰だかが100均一のパンツを持ってきて捨てて帰るのだと言っていたが、それも男の人だったし・・ パンツじゃ荷物の量にはあまり変わりはないな、あはは。

 夕方、水門を通るのを見物しようと外に出た。それまで部屋の中にいたのでさながら私は幽霊になった気分、窓という名前の大型テレビの画像を見ているようでもあり、自分もエジプトも、存在がいまいちはっきりしなかった。だが、外に出たらいきなり匂いが襲ってきた。対岸まで何メートルもあるというのに馬糞の匂い、何かを燃やしている匂い。それでやっと実感を得られた。実感はもうひとつ、寒いーーー!!
 夕刻のアザーンイスラムのお祈りを呼びかける声があちこちから聞こえてくる。思った以上にモスクの数は多い。

 待って待って待って、お祈りもクリアして、やっと水門通過が始まると思ったら船の前にいきなり小舟が割って入り、また何やら売り出した。非常に危ない行為に見えるが、これでいいのか。しかしこれでびびってげんなりしていては楽しめない。300ドルをせしめた人は天にも昇る心持だったろうし、次は思い切って500ドルというのかもしれなかった。
 
イメージ 8

 現地ガイドにさんざん言われさっさとお店の前は通過させられてはいたが、時々現地ガイドもバスの中で物売りの品物を見せて手伝いをしてやることがあった。買うな見るなと言っておいてなんなんだよと、なんーとなくバスの中では冷えた空気さえ漂ったが、5ドルのヒエログリフを印刷した布袋(博物館のショップだと10ドルくらい?)だったりして今思えば買ってもよかったと思う。エジプトでは生きていくのが大変だから、現地ガイドもたまには親切にしていたのか、それともバックマージンとる約束だったのか?
   
 夕食は唯一もってきたワンピースを着た。寒いとは知らないときに買ったもので、長袖ではあるが綿の1枚仕立て、室内であり、中にヒートテックの下着を仕込んでもなおうすら寒かった。細い毛皮の襟巻1本あれば!もちろん、もってきてない。船の夕食バイキングでは、値段が下から2番目のボトルワイン赤を注文、3500円ほど。ボトルキープも出来ますし部屋にお持ち帰りもできますよ、と添乗員が教えてくれたが、何度か料理コーナーを往復しながら全部飲んでしまった。