エジプト ナイル川クルーズ カイロと周辺

いつかは行きたいと思っていたエジプト、この目で見たいと思っていたピラミッド。たどり着くのは簡単だが、外務省の海外安全情報でも十分注意なのでエジプト国内を個人旅行で旅するのは難易度が高い。なので、今回初めて添乗員付きのツアーに参加してみた。
例によって、妻による旅の記録。
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 「たまにはお任せの旅がしたいなあ」と夫が言い出した。
 今まで個人で旅行してきた。どこの国に行くとしても日本ほどシステマティックではないし、自分たちのペースで動くことに重きを置き、効率的に観光することを ハナからあきらめ、だらけた旅行で満足していた我々であったが。
 
 しかし世界には、それでもなんとかなる国と、なんともならなさそうな国がある。いくらだらけていると言っても、なんとかなりそうだから旅行するのではなく、行ってみたい
から旅行するわけなので。個人旅行にこだわらず、行ってみたいなりになんともならなそうな国を、クリアしましょうかということになったのだ。人とお金の手を借りて。で、その行先がエジプトだったのである。
 
 夫、あちこち旅行会社のカタログを見て、某大手の「ナイル川クルーズで巡る エジプト8日間」に決定。日程表はなかなかの強行軍だったけど、効率よくノルマをこなそうとしたら強行軍にならないはずはない。代わりに、何くれとなくお世話してもらえるという利点がある。
それでも荷造りは自分でしなければならないので、さてどんな服をもっていったらいいのかとそれが一番の悩みだった。調べてみたらエジプトのくせに(!)思ったより寒いのである。それでも詰めてしまいさえすればスーツケースは宅配便が持ちに来てくれるサービスもついている、便利便利。

 出発日は2019年1月9日。午後3時集合。あとで皆さんに聞いてみたら、この「午後出発」というのが非常にポイント高かった。遠くから参加する人が、前日泊が要らないというわけだ。こちらものんびり起きて、だらだらと手持ち荷物を確認するだけで良かった。

 成田までバスで2時間、スーツケースを宅急便で受け取り、改めて荷物をチェックインする。ツアーメイトは27人で、男女を問わず一人で参加する人も何人かいたし、旅先でまでダンナの面倒まで見たくないと友達同士で参加したグループもいたし、母と息子という組み合わせも母、叔母、娘という組み合わせも、いないのは男同士の組み合わせだけだった。

 それにしても成田も最近は何がどうなっているんだか、出発ゲートの周辺は「日本」を前面に打ち出していてマツキヨに電気屋一風堂にと、至れり尽くせりだ。一風堂なんて人種を問わない行列ができていた。一風堂が全国にあるわけでなし、日本人も結構混ざっていたかもしれない。

 エティハド航空で、中継地アブダビまで12時間ほど。それからカイロまで4時間。
アブダビからカイロまでは満席だった。しかしながら皆さん何者で、何をしに行くのだろうかといったロマンチックな考えは、後ろの席の日本人の子供にぶち壊された。
3歳くらいのお元気すぎるお嬢様が座席をけりまくった挙句、「あ??ああああ、いやあああああ!足が、足がいたーーーあああああいいいい!!うわあああああああ!!」だと。できれば親御さんには蹴ってるところで止めてもらいたかったが、最後まで知らんふりだった。
なので最終的にはこちらも「もっと泣け、ば~か!席を蹴られなかった皆さんにおすそ分けだ!」といった気持ちになってしまいました。ほほほほほ。

 早朝6時にカイロ到着。空港でSIMカードを買いたいと言う夫。しかし携帯が日本語モードであったため、店員が手間取ってしまい、しょっぱなから皆を待たせ添乗員にお目玉をくらう。バスに乗るのは運転手のほかに日本人添乗員、カイロ大学日本語学科卒で日本で何年も暮らしたことがあるという現地ガイド、そしてツーリストポリス(観光警察)。
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ツーリストポリスが何ものかといえば旅行会社のお雇いボディーガードであり、銃まで携帯している。旅の間中このツーリストポリスはツアーに付き添っていたが、そろいもそろって若くて細身(当たり前ですね、いざというときに動けませんから)でハンサムで現実感がなく、絵に描いたような用心棒なのだった。
だが、着ているコートの下には自動小銃を携帯しているのだ。銃の見える写真は撮らせてもらえなかった。幸いなことには、最終日まで彼らはただの飾りで済んだのだがいや本当に飾りで済んでよかったです。

 バスではミネラルウォーターが渡されてやはり便利。朝もやの中のリゾートホテルで朝食。ホテルの庭にはアガベーなど植物が植えられ、まあリゾートホテルってば万国共通なんですなあ。けど、寒い。
沖縄なら冬で18℃とかなのにここは10℃にも下がる。バスの窓からはビニールとかのゴミだらけのナイル川が見えた。それにしても、そう広くもない、支流も何もかもナイル川だとガイドは言う。
まさかナイルが「川」という意味では?それにしても観光立国なのに商売道具がこんなに汚くていいのか。
水がある場所にはナツメヤシ、足元には牧草らしき草。最初は野菜かと思っていたが、馬やらロバやらが立派に現役なので、そちら用のガソリン畑なのだ。
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 しかし水辺の風景は長くは続かない。ちょっと曲がってちょっと走ればいきなり砂漠の風景となり、いきなりピラミッドである。これは大変、なんと本物のピラミッドではないですかあ!と、テンション上がる。
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それは屈折ピラミッドとやらで、大したもんでもないのかガイドからは「5分で写真撮ってバスに戻ってきてくださいね」と言われ、ピラミッドに触れようと走る。孫もいる同級生だっているオバサンが走る。夫はピラミッドの近くに真珠質のついた貝の化石を見つけて、ここは海だったんだ、と言う。
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 その気持ちのままでメンフィス博物館に連れていかれ、横たわったでっかいラムセス2世像を鑑賞。チケットは現地ガイドが買ってきて配ってくれるので、こちらは待っているだけで良し。
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当然名所には物売りがいて、色々売りつけてくる。「ワンダラー」と言われても1ドルでは済まされないからと旅の最初から最後までガイドには延々と言われ続けた。それはそうなんだけど、たまにほしいなあと思う場合あり、だが立ち止まる暇は与えられない。

 次はといえば、砂漠の小高い場所で、そこからピラミッドがきれいに見渡せるビューポイント。もちろん物売りもいるし、ラクダもいる。乗ったが最後、ぼったくりなお金を払うまでおろしてくれませんよとガイドは言い、乗る暇もだまされる暇も与えてくれない。ともあれ地平線の彼方モーリタニアまで続くという砂漠にラクダという添え物があるのは悪くなかった。
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モーリタニア。砂漠はそこで海と出会い、その海に生息する代表的なものといえばタコ・・・?
 足元には時折馬だかラクダだかのフンが転がっている。犬のと違ってそうそう見られないものなので興味深くはある。いや、エジプトには野良犬もごろごろしてるから、犬フンもあったのかもしれない。
バスに帰ろうとしたら、黒いレトリバーみたいなのの子犬が5,6匹もまとめて寝てたりした。いまどき子犬のかたまりなんて日本ではそうそう見ることはないし、かわいいなんてもんじゃないが添乗員が「触らないでください!」と。まあそうですよね。

 次は絨毯の学校へご案内される。子供たちが細くて小さな手で細かい仕事をして多少のお金を得ながら学校に通えるようにしているらしい。
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ここの絨毯はトルコより安いと言われるし、奨学金として買わないでもないけど、我々は当のトルコでも買ったことがない。かくなるうえはかねてより用意の4色ボールペンとかアメちゃんとかでも子供たちにやればよかったんだろうけど、全部バスに置いてあった。トホホ。

 昼食はピタパンみたいなのに野菜とソースを挟んで食べる前菜?とごはん、ゆで野菜、ビーフシチュー。ツアー客は他にもいて、ここはツアー専門レストランなのかもしれなかった。
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盛り付けが面白くなるほどテキトーで、ゆで野菜の量がまちまち。夫のはニンジンばかりで私のはズッキーニだけ2つ、具の種類を公平に入れることってそんなに難しいことだろうか??

 午後からは早くもエジプト考古学博物館見学。14万点の収蔵品のうち、レプリカは
ただ一つ、それがロゼッタストーン。本物はどこにあるかといえば、大英博物館の玄関。出来ればエジプトに戻してほしいところだろうけど、「あんたんちには他にいくらでもあるでしょ!」って言われてそう。それは泥棒の勝手な理屈だけど、「人類の遺産なわけなんだし、革命だなんだでいつどうなるかわからないオタクの国に置くよりは、ウチに置く方が全然安全じゃね?」とまで言われたらエジプト政府も返す言葉がないだろう。
 ところで、ロゼッタストーンロゼッタの街から出たのでロゼッタストーンなのだが、
解読したのはシャンポリオンで、フランス人。ストーンは今やイギリスに。なんでこうなる?

 エジプトオタクにはたまらない収蔵品の数々の中、ツタンカーメンのお部屋の数々の黄金の収蔵品のまばゆいことまばゆいこと!だが、ふと気が付いてみれば、まばゆいものはここにしかないのである。ほかのお墓はとっくの昔に墓泥棒に入られていて、何も残ってはいない。だからこそツタンカーメンの副葬品は貴重なのだ。他の王墓に泥棒が入っていなかったらとも考えるが、逆にこのツタンカーメンの墓にも泥棒さんが入っていたら、考古学博物館の収蔵品はみ~んなくすんだ色のものになっていたはず。
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写真チケットを買わなかったので、館内の写真はない。

 しかし、どの時点で墓泥棒が入ったのだろうか。死後の生活のために副葬品を入れておいたはずなのに、なくなっていたとしたら、王様、ふと気が付いたらすってんてんの身の上になってることになる。一種のLost Bagage? お財布もなくて。まあ、お気の毒。にしても泥棒さんたちは、どう見たって墓から盗んできたとわかる品物をどうやって売りさばいたんだろう? あの形のまんま売れるわけもないから溶かしたりしたんだろうけど、買い手はどんな人だったのか。

 夕食はナイル河畔の船上レストランにて牛肉のキョフテ(ひき肉を焼いたもの)とゴハンのつけあわせ。ここでは、ビールが飲めて 500ccで770円。
ホテルはナイル河畔にあって眺めもよくなかなかに豪華だったが翌日は2時半起き、成田を出発以来40時間くらい一度も体を横にしたことがなかった身では、8時半にはベッドに入るしかなかった。