イタリア北部旅行 3 マルコーニ記念館

 目が覚めると朝8時、朝食の準備は整っていた。
ゆで卵やらクロワッサン、お皿に盛ったサクランボもある。ヨーグルトにジュースに水、コーヒー、チーズにハム、ケーキが1ホールにクッキーも何種類かあった。ケーキは昨日のミラノの朝食にもあって、なんでかケーキがホールでおいてあるのがイタリアの朝食だった。ホテルの格によってケーキの数や品質が変わる。昔、ローマに行ったときにはゆで卵とクロワッサン、カフェオレは何杯でもおかわりできたけど、それだけだったのに。
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 先客はイタリア人、既にびしっとアイロンあてたシャツを着て臨戦態勢である。
夫は甚平着ていて、多分相手もそれが臨戦態勢だろうと思ったはず。いや、この格好で外には出ないし。

 本日はこの旅の目的であるマルコーニ記念館」に行くことになっていた。マルコーニとはどういう人なのかと言えば無線通信を実用化した人、だそうだ。ノーベル賞ももらっている。それがうちとどういう関係があるのかといえば夫の趣味だ。夫は1級免許を持っており、アンテナの自作をしている。そのうえで理数系博物館大好きというわけで、この博物館はこの旅の目的なのだ。

 しかしそれはあくまで夫の都合であり、私は「機嫌良くやってるからには放っておく」というやつである。夫は他にも趣味で衛星の打ち上げにも関わっていて、若い人に「すごいことやってるんですから、もっと理解してやってくださいよ!」と叱られたことさえある。今思えば、あの若い人にはどう理解してくれる奥様がいるのだろう??いない、多分。
 
 ホテルを出、昨日確かめておいたバス停に赴く。50分かかるというバスに10時5分に乗り、なだらかな丘の上に点々とある家の風景など喜んでいるうちに、マルコーニ記念館前に到着。予約は11時だというのに5分遅れだと夫、最近見たことがないほどの速足で丘を上っていく。・・・いや、普通に到着して5分前で、それからこの丘を登ることを考えると元々タイトすぎたのではないか。
 
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 たどり着いたら案内役(卒論がマルコーニだったらしい)、イタリアおばちゃんと、3人の日本人がいた。ご両親とボローニャ在住の娘さんだそうである。お父さんの方が無線通信が好きで、香港駐在時代は35階のマンションからアンテナ出して通信していたという。奥さんはそれにつきあって自分まで資格をとったらしい。なるほど「理解」とはこういうこと??
 
 しかし、聞けば聞くほどうちとは世界が違った。なんと私は夫がコールサインを口に出すのを一度も聞いたことがないのである。あくまで夫はアンテナを自作する人でパソコンを使ってのデジタル通信なので、マイクではしゃべらない。コミュニケーションをとるのは同じ自作仲間だけ。かのお父さんはと言えば世界中の様々な人々と通信しまくり、世界地図に印をつけている人だった。なんと社交的な!
 
 奥様は「どんな人ともフラットにつながることが出来る無線はキングオブホビーというのだそうです。」と誇らしげに教えてくれた。うちの夫はそんなこと一度も言ったことがない。大体、フラットであると言っておきながらキングであると主張するのもわからない。つまりこの人は「フラット」ではない世界で苦労してきた人なわけだが。

 それから今度は驚愕の事実が判明する。奥様は大学時代、あの糸川英夫の小間使い(本人がそうおっしゃった)をしていたというのである。そっちの方がすごいと思うのは私だけ?・・・今思えばあのときはキングだの小間使いだの色んな身分が出てきたものだ。
しかし奥様はご主人を尊敬し、ご主人は奥様を大事にし、お嬢さんはご両親を心配するという、絵に描いたような折り目正しいステキ家族だった。
 
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 番小屋みたいなところに案内されるとそこには地元ボランティアがいて、見たことがあるようなないような機械の中で、こんなマニアックな場所に日本人ばかり揃うなんて!と喜んでくれたらしい。しかしそこの2階でマルコーニが祈っていたと聞いて驚く。「は?何を?」とまで言ってしまった。あまりに番小屋っぽかったので、祈るようなところとは思えなかったんである。
  
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 夫、自分ちの敷地内にある鳥居を想像してみろ、とわかりやすいことを言う。そういえばお金持ちのお屋敷には礼拝堂なんてのがあったりするらしいが、それにしては小さくて貧乏くさすぎた。すみません、こんなこと書いて。

 マルコーニは何を祈ったのか。理屈が通っていれば実験は成功して当たり前だが、世間の無理解とか実用化(商売にするってことだな!)とは別だろう。しかし何よりマルコーニはお金持ちだったのでお金の心配はしなくて済んだに違いない。実用化は成功し、更なる金持ちになった。祈りは成功それ自体で、お金はフロクだったと思えば中々贅沢な話だ。

記念館の中に入り、学芸員の案内で展示物を見る。
入り口には、マルコーニが無線を発明したので、電線を切っているという有名なイラストなどの展示。
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3階にマルコーニの実験室がそのまま残されており、メモ書きやら
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工作したもの、薬品など、
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丘の向こうとの通信実験で、聞こえたら銃砲で知らせたという、鉄砲など
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当時の船の通信室を移設したもの
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この窓から通信した、というプレート
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この丘の向こうとの通信
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 やっとこさ解放され、改めてなだらかなイタリアの田舎の風景を見た。庭に植えられているアジサイがピンクである。元々青くなるはずのアジサイなのか青みがかっているのもあるが、ピンクだ。土のPHによってアジサイは色が変わる。日本では青くなり、こちらではピンクなわけだがそれなら日本でアジサイコントレックス飲ませたらどうなのか。やったことはない。日本でも普通に植えてピンクなアジサイもあるし、私がコンテストに使ったのなんて、アズキ色と白だったし、PHによって色が変わるというのも一概に言えなくなってきたのかもしれない。
 
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 奥様はこのほどつるばらを1本入手したということで、管理について聞いてきた。花の切り方、病虫害の防除などについて話す。バラは樹木であって割と強いので管理が適当であっても余程のことがなければ枯れることがない。ただ、具合は悪くなる。名前はわからないそうだが、鉢植えと聞いたので初歩の初歩、水やりの話からするが鉢の号数までは聞かなかった。失敗。防除は市販のスプレーで大丈夫と思われるが、あとは本で調べてくださいと言うしかない。剪定とか言葉では言いにくい。本の挿絵の通りに枝が出ることはまずなくて・・・。出来れば良い隣人がおられますようにとここから祈る。
  
 お嬢さんは飼いネコが病気で入院中だそうで、ネコは言葉が言えないから可哀そうだと言った。私は友人と地域猫のお世話をしているが、相手の了解も得ずに病院に連れて行ったり子猫を勝手に養子に出したりと、逆に言葉を話さなくて良かったなー、くらいなもんである。しかし猫も本当にイヤなことがあればうにゃうにゃうにゃうにゃと抗議をする。彼女の猫はそんな言葉を発する必要がない。十分幸せなのだ。
 
 それにしても園芸(バラとか蘭とか盆栽とか山野草とか)ならともかく、同じ無線や同じ猫好きでもこうも違うのか。いや無線だって1級と4級とでは在り様が違うだろうし、猫飼いでもお高い猫からミックス、それどころか知人のところのように脚が1本ない猫をお世話する人がいるように様々なんだろうけど。その気になれば一応は選択可能なのが日本のすごいところなのだとまとめてしまおう。
 
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  帰りのバス停横には大きな桑の木が生えていて、沢山の実をつけていた。日本の黒っぽい実とは違う。採って食べてみたら、汁気も多く甘くて日本の桑の実とは別の香りがして、全然違った。なるほどねーと言いながらとっては食べているうちにバスが来た。

 いったんホテルに帰り、食事に出た。昨日は見えなかった銀行やATMがあちこちにあるのに気が付く。探していると見えなくなるのは不思議だ。
宿の人に紹介されたお店で、その日の食事は前菜のナスしか覚えていない。油を吸ったナスほどおいしいものはないが、チーズが加わっていた。ナスは英語ではegg plant。あちらでは卵は紫色なのか、それともナスが卵色なのかとボケをかましたくなるが白いナスも緑色のナスも存在するし、その日のナスは紫色の洋ナスだった。
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これがメインのお皿、ワインは地元ボローニャのもの。
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 この日は15000歩、色々と「理解」した日だったように思う。