イタリア北部旅行 4 ボローニャ産業遺産博物館

 朝も早くからビデの横のタオル掛けが落ちたと夫が告げた。
場所が場所ゆえ何をやったのか心配したが何のことはない、通りかかるだけで落ちて当たり前の施工だった。落ちたとスタッフに話したら「また?」みたいな感じだったらしい。
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 昨夜の肉は夫によれば「馬の煮込み」だったそうである。馬肉はボローニャの名物らしい。大方の例にもれず、ワイン煮だった。

 本日はボローニャ産業遺産博物館に行くと夫は厳かに告げた。
TABACCIでバスのチケットを買う。煙草屋という意味なんだろうな、白い看板にTのマークが目印。他に新聞屋でも扱ってる場合がある。新聞屋はラ・スタンパとかコリエーレ・デラ・セーラとか新聞の名前が目印だ。どっちが右派か左派かは知らないが、新聞の名前と知っているのは、昔の週刊新潮の、海外の新聞の内容を紹介するコーナーのおかげである。

 バスは駅前から発車することがわかっていたが、いつまでも来ない。後ろにはへそピアスの、ロングスカートを腰からひっかけた女子一人。「あの人に聞いてみたら?」そう言ったら夫は「イヤだ!だってあんなの、子供一人よっかっかったらお終いじゃないか!」と。決定的瞬間はそうそうやってこないから大丈夫だと思うが。
 
 それでもバスは来た。駅の反対側に向かう。乗客は移民が目立つ。なるほどこちら側はこういうところなのかと思う。自分が移民の側になってしまったら、と思うことはある。正直言って、生きていけそうな気がしない。「海岸の女たち」トーヴェ・アルステルダール著、創元推理文庫なんて読んだ後では特に。読んでみれば確実に日本に生まれたことを感謝することになる。
 
 バスの運転手に教えてもらい、MUSEOのマークの矢印のままに歩いていくとそこには3階建ての団地らしい建物が2棟、駐車場にはビワが実っており手が届くあたり(高枝切り鋏なんてのはこの国にはないと夫は勝手に断言した)はとっくに収穫されていて、その向こうに博物館はあった。
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 当の博物館は「しょぼい」と夫は言った。イギリスのサイエンスミュージアムみたいなのを想像していたらしい。ボローンャの大きな産業だった、絹をつむぐ機械の展示や
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昔の工作機械などの展示を見て周る
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私にしてみれば潤いのない展示で水分とられそうで、補充されるのが機械油じゃイヤだなあとか考えていた。1時間経たずに帰りのバス停にいた。団地では1匹のキジトラの子猫が鳴いてさまよっていて、ああもうどこでもいっしょだったらありゃしない。ビワを写真に収める夫を団地の手すりによっかかった爺さんが面白そうに眺めていた。
 
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 バスが来るまで時間があったので道の向いにあるお店に水を買いに行った。「うの あくあ、ペるふぁぼーれ。のん がす。」と言ったが、今思えば目的がアクアだったら、ウノではなく、ウナではないのかと思ったりする。2日目のトラットリアの中国お姉さんも私のハナモゲラなイタリア語で吹いていた。が、いちいち恥ずかしがっていては旅は出来ない。
 
 いったんホテルに帰り、ここからやっと一般的な?観光である。
 まずはボローニャ大学植物園!まずは様々なトウガラシやバジルを鉢植えで展示していた。この程度なら私にも出来るかもしれない。しかしそこの最奥には巨大なクルミの木や10mもある、柿の木があった。柿の原産地は中国だが、柿はKAKIとして売られていて、てことは柿は日本で改良され、ヨーロッパに伝わったんだろうなと思っていた。が、一方でパーシモンという英語があり、ゴルフクラブのウッドには柿が最高と聞く。それだと実とは関係なく材木として伝わっている柿もあるんだろうなーと、調べるでもなくもやっと考えていたのだ。
  
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 それはひょろっと背が高く、幹ばかりが続いたのちにはるか上の方に枝がついていた。落ちている実は干からびていて食用とは思えないほど小さく、種子の姿だけで「柿です!」と主張していた。名札には「American common persimon」とあった。
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 やっぱ材木で、アメリカではこれが普通の柿の姿なのであった。日本でフツーの柿と言われたら下手すると次郎とか富有とかを想像するくらい改良しまくられてるけど、アメリカでは実に興味がなく、結局このまんまの実の姿だったんだねえとしばし感動。ちなみに実家にはこれに似てなおちょっとだけ実が大きい柿がある。それでも甘柿でお盆すぎには食べられることから盆柿と呼ばれている。
 
 柿を見ただけでここに来たかいがあったと思ったが、明日は移動しなければならない。
大聖堂くらいは見ておくかと歩いていくと、道端で小学生くらいの男の子が4人、座って一人1箱、ピザの箱を抱え込んで食べていた。あらま贅沢。夫が大笑いしながら日本語で「うまいか?」と聞いたら、子供の一人がうなづいた。
 
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 サン・ピエトロ大聖堂キリスト教徒の皆さまには怒られそうだけど、涼しかった。教会はトイレはないけど椅子がある。そして何よりも、間違いなく美しい。ここは飛び出して来るような彫刻がことのほか見事で、おかげで私はこれから大きな教会があれば積極的に見てみようと思うに至ったのである。
 
 その後、解剖学教室に移動。反対する教会のお偉いさん達を説得してなんとかこぎつけたキリスト教圏で世界最初の解剖学教室。これこそは見ておかねばならぬ。それは真ん中に人体を置く場所があり、周囲を階段で囲む教室となっていた。医学に関してはなーんの関係もないが、ただここがそうなのだというわけでうっとり。
  
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 そんなこんなでこの日もヨレヨレになってホテルに帰り、休憩してから6時半に夕食に出発。出来れば観光帰りに食事に行きたいものだが、土地柄下手をすれば8時からが夕食なのである。メモによればサラダ、骨付き牛肉の煮込みタリアテッレ(生の薄切り肉のはずがなんか違った!)、あとはラム肉がどうとか書いてある。
 
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 万歩計は25000を数えていた。