台湾旅行 2

翌朝。近所の中国庭園、そして台南で一番古いというお菓子屋さんに行き、しかる後に台湾最大とやらの三越、というコースで行ってみた。
中国庭園は周囲がマンションに囲まれていて思ったより小さく、一番古いお菓子屋さんは本当に古くて田舎のパン屋さんを思い出させた。途中、犬が車にひかれそうになるのを目撃。すんでのところでひかれずに済んで、犬も車も各々走り去ったけど。街には首輪をつけた犬が闊歩していて野良さんと飼い犬の区別はただ、首輪があるか否かというだけなのだった。

大量のバイクはぶんぶん飛ばしてくるし、路上にももちろんとめてあるし、それを避けながら歩いていても歩道は段差だらけ、この感じは何かに似ているなと思ったらそれはステップ運動だった。三越に到着したら、段差がなくてテーブルも椅子もなくて何てまあ床がぴかぴかひろびろしてるのかと、一瞬、ここは天国だとそっちの方に感動した。

地下のフードコートで食事。おなじみ牛肉麺。夫のイトコの奥さんそっくりなお店のスタッフに水が欲しいと言ったら、コップがないからと、どんぶりにとっぷりと水を入れてくれた。台湾の人は日本人に優しいと言うが、台南の人はなおも優しいのか。実際、あちこちで花でも見つけたかのような顔をされる。
日本人は真面目で勤勉で上品と思われているので、真面目で勤勉で上品でない私も見つけられる?たびに、にこっと会釈してばかりいた。普段もこうしよう。

体調もいまいちだしと、孔子廟を通ってホテルに帰ることにした。日差しが暖かい。「もう、春なのねー。」と口に出てしまう。違う。色々上下はあろうとも、これも台南の冬の1日なのである。だが、これで寒風吹きすさぶ日本に帰れるのかと思ったりした。物価が安く、人が優しいここで老後を過ごすことをふと考えたりもした。冬はコレでも、夏はどうだかわから
ないというのに。お日様ひとつで人間はどーとでもなるのかもしれない。
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隣が空き地になっている古い一戸建てがあった。いつからいつまで空き地なのかわからないが、私なら何か植えちゃうなーーと、良くみたら既にパパイヤが何本も植えられていた。未だ30cmほどの苗で、ハテあれでいつ頃から収穫できるのであろうか。

ホテルに戻って昼寝。起きたら、今日もレストラン探しをしなければならない。近くのホテルに行って、レストランを聞いたらそのホテルにはないと言う。完璧な日本語を話す若い人が出てきたので、「家族でお祝いに行くような、テーブルにはクロスがかかっているような店はないでしょうか?」と聞いてみたら、我々が泊まっているホテルのレストランを教えてくれた。仕方なく、街を歩く。

海鮮料理の看板があって、1階は生簀だらけ。これは本格的だと入ってみたが残念ながらコース料理しかないとのこと。10皿か。無理だよね、二人じゃ。近くにはあひる料理の看板の店もあったが、明かりは消えていた。ガイドブックにあった、カニおこわの店も見つからなかった。カニインフルエンザで店がなくなったのかもしれない。

また歩き回って、屋根はあるが戸は開けっ放し、昔ならではの台南料理を食べさせるという店に入った。椅子は小学校の椅子、店内は昔の民家の感じ。コースも一品料理も、中皿に近い大きさの小皿料理。コースを注文し、ビールを飲んで食べてしばらくしたところで、異変に気がつく。これはもしかして、一人前なのでは? だがビールはあるし分け合って食べたところでそれほど足りないわけでなし、普通においしく食べ終えて出てきてしまった。
お勘定は2000円もしなかった・・・。

帰り道にある、屋根と柱しかない店で小龍包を、コンビニでビールを購入、また部屋でわかりそうでわからないテレビ番組を見ながらくつろいだ。小龍包はえっというほど美味しかった。

翌日、朝食の席ではツアーで来ているらしい、日本人のおばさま達が楽しそうにしていた。一人がコーヒーマシンの前で立ち尽くしていたので、ボタンの内容を教えてあげた。その後、そのおばさまが「日本語で親切に教えてくれたわ! まあでも読めやしないわよあんな小さな文字!」と。
・・・私が日本語で親切に教えてあげたのは確かであるが。この人が老眼で文字が読めなかったのはわかったが。そんな大声で言わなくても。ううっ。

バスに乗って老街に行く、と夫は宣言していた。老街とは古い町、旧跡??駅前でバスに乗る前に路線図を確認してはいても、「自強号」同様、バスも日本式に現在地を表示してくれるのでものすごく便利だった。

老街と言っても、そんなにぎゅうぎゅうではなく広々としており、台南の街が一望できる見晴らし台や砲台跡などがあり、買い食いが出来るお土産屋さんがあったりいやにごたごたと足の踏み場がないお墓があり、その横の広い道のど真ん中では首輪をした犬が寝転んでいるという次第。なぜか台湾ヒノキで作った日本家屋があり、それだけではつまらないと思うのか、歌謡曲を流していた。

裏道を通るとあちこちにネコがいて、首輪をしている猫を選んで油断してるのをいいことに、さりげなく抱っこさせてもらった。液体が入った袋にも似て、やわらかくてなお見かけより重い。当然そのネコは事態に気がつき、おろせと要求されるのだが、それまで思い切り堪能させてもらった。そのあたりのネコ達は全体的にシャム猫みたいな骨格の顔をしていて、模様は様々だった。
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帰りのバスは路線が違った。乗ってみたら市場通りみたいなのを通って、八百屋あり、おばさん達が岩石のような牡蠣を剥いている店ありで、こちらの路線の方が断然面白いのであった。バスはやがて海沿いに近い台南郊外を通りかかり、だだっぴろい中にはこぎれいなレストランやらショッピングセンターだってあるのだと見せてくれた。

体調が悪くて昨日1日つぶした感のある夫は「路線バスを一日乗ることだって出来たのに!」と悔しそうにする。そらまーそうだが、土地勘がなくてそういうことすると帰りのバスまで延々5時間とか、最悪は3日後までバスがなかったりとかするのではないか。ま、違う路線に乗れただけ良かったのである。

途中、同じ老街でもアートでオシャレな老街・神農街あたりでバスを降りた。それは通りが100mもなく全然小規模だったが、近くには様々な廟があり、市場もあった。そこに入ってみるとそれも内側に水仙宮という廟?を擁していて、伝統ある市場のようだった。水仙と聞けば日本人は花を思うが、この仙は多分仙人の仙で、水関係の神様ではないのか。

粗末な台の上に並べて月餅を売っていたので買った。3つで100元、というのでココナツのと蓮の実のと緑豆のとを選ぶ。日本円で大体400円。まともな月餅は安くはない。ふと、どこかから仕入れてきて売っているのかと改めて品物を見てみたら、月餅の皮には水仙宮の名前と絵が焼き入れてあった。ブランド品だー。

ふと気がつけば、とっくにお昼すぎだった。途中、水餃子と麺の店があったので、ここで食べよう!と提案。水餃子1つから注文出来るので、夫は各種類2つ頼んで、3つづつでどうだろうかと言う。すると、昼飯は水餃子3つ?はあ?どんな貧乏学生だ!

お腹をいっぱいにする必要はない。ただ、食べてみたい。というわけで麺の中でも一番高い、おすすめ水餃子が乗っかってるのも追加して、半分づつ食べる。夫、麺にのっかったおすすめ水餃子をうまいうまいと食べるが、これが日本円にして大体200円。ぼけーーーーっと半年くらいここで過ごせたらいいのに・・・。しかし何のために?

ホテルに帰って一休みし、散策に出る。レストランが見つからなければ、ホテルで食べるつもりだった。駅前の三越方向を歩いてみて、三越に上った。昨日のと違って、小さい。日本で言えば、地方の三越みたい。7階のレストラン街から外を見ると、夕日が沈むところだった。「もう5分で夕日が沈むよ。」厳かに夫は宣言したが、
ちーーーとも沈まない。夫はやがてトイレに行くが、帰ってきても夕日は余裕で存在していて、やがて地表近くの雲の中にひしゃげて消えた。

トイレから帰ってきた夫は、レストラン街には日本のとんかつの店「さぼてん」があって、あんな単純な食べ物で台南に店なんか出してやっていけるのだろうかと心配したらしいが、やがってやってきた男の子4人がいそいそと店に入って行ったと言う。三越を降りて、目の前の夜市を見てみた。

台湾の人々は歩き食いをしない。用意された椅子に座って食べるか、さもなくば家まで食べ物を持ち帰る。この夜市では食べ終わるとすぐさまテーブルは掃除され、次のお客を迎えられていた。氷は怖かったが、ここまで来たからにはとマンゴージュースを久しぶりに飲んだ。前回飲んだのはおととし、石垣島でのことなのだ。

ホテルへの帰り道、中国菓子の店に立ち寄り、色々買おうとしたが売り切ればかり。買えるだけ買って、おねえさんがくれたパンフレットを見たら、この店の本店は台北だし、あちこちに支店があるのだった。後でガイドブックを見たら「清朝時代からある、誰知らぬものはない店」とあって、結局この店は、台湾の「とらや」だったわけなのね。なーんだ、台北で買うよ。

宿泊しているホテルのレストランで夕食。中国人が作る中国料理にハズレはないと思っていたが、珍しく当たり外れありがあり、ハズレの料理にあたってがっくり。結局、また小龍包を買ってきて食べたのだった。明日は新幹線で台北に移動、その翌日に帰国。