クロアチア・イスタンブール旅行 13 帰国の途

6月29日(月曜日)、それ以降
 
 ホテルに頼んでおいたエアポート・タクシー(一人5€ )が来る前にパン屋にシミット(ごまのパン)を買いに行く。わっかになってるそれには必ず、これでもかとごまがかかっていて、うまい。まだ閉まっているレストランの入り口には、袋に入れられたパンがかけられている。配達してくれるらしい。
 ネコがいるレストランの前を通ると、とっくに離乳してるはずの子猫が1匹、お母さんのおっぱいにとりついていた。「あらあら、まだおっぱい飲んでるの~?でも、もう少しの辛抱だよね?」と言ったら母ネコが「にゃ。」と答えてくれた。会話成立!
お菓子とスープで、スーツケースが重い。フライパンなんぞ、ものの数にも入らないくらい。


 機内では夫が珍しく窓際の席に座らせてくれた。これまでは私は機内では本ばっかり読んでいて、夫は外ばかり見ていたのである。しかし窓外の景色は楽しくても、どこなのかというのがわからないと、楽しさ半減。次は詳しい世界地図を持って乗らなければならない。
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 成田に着陸間際に、ひさしぶりに空から九十九里浜を見た。広い。濃い色の海に、長い白波が立っている。陸地に家はまばらだった。しばらくすると畑が見えてきた。耕地に対して家の比率が断然高い。その耕地でも、ビニールハウスの比率がこれまた高かった。ここまでやって、食糧自給率が低いって一体・・いや、ここまでしなければならないから、最終的に低くなってきてしまうのか。少なくとも日本の生食用トマトは最高ではないかと思うのだが、これからどうなる?


 飛行機が着陸し、入国審査の後スーツケースをとりに行く。待っていたら途中、周囲にどどどっと白人が増えた。成田行きの飛行機なのにけっこー外人多いと思ってたが、本当にそのまま成田に降りて来たのである。そう言えば、2015年の上半期は、日本から遊びに行く人を日本に来る人が上回ったんだった。これじゃ中国から成田行きの飛行機なんか乗ったら、日本人の方が少ないのかもしれない。


 最近、外国人が日本が最高だと言っている、とはネットの中でよく聞くようになった。なんでも、清潔で、安全で、人々は親切で、とのことだ。今更知ったんかいと言いたくもなるが、日本人が外国に行かなくなったのは、逆に諸外国が清潔でなく危険で人々は冷たいと知ったからかもしれない。そのうえでTVの紀行番組も増えた。TVの前に座っている限りでは、雨も降らないし暑さ寒さも関係なく、危険もない。
 これだけのんきな国に住んでいるのに、旅行はステキなことだと騙されて頑張ってムリしてきたものの、無理に行く必要はないと気がついた人々が増えたのかもしれない。そんな風に思ってしまうのも、「どうだった?」と聞かれて旅行先の悪口ばかり言う人を見てきたからだが。
 
 ムリと言えば、旅行先で自炊したという話をしたら、趣味の会のおじさん達が驚いていた。休日に妻をキャンプや貸し別荘に誘ってはならないはずではないのか、おさんどんさせたら離婚につながるはずではなかったのか、あんたみたいな料理好きならいざ知らず、と。
 料理好きかどうかはともかく、キャンプは私もイヤだと言おう。外で虫に食われながらカレーやバーベキューの、意味がわからん。では別荘はどうなのかと言えば、場所による。魚介が豊富で安いところにある別荘なら、喜んでおさんどんする。沖縄くらい面白い食べ物があるところも、最高だ。魚介はあまり手をかけなくてもいいからうれしいし、沖縄なら出来合いのお惣菜から何から、面白珍しいうえに美味しいからだ。


 結局、クロアチアのおさんどんはオリーブ油を中心とした食事が続くことに自分も夫も不満がなく、素材も既知のものばかりだったから成立したのである。逆にちょっと物足りない気がするのは、せいぜい牛、鶏、豚しかなかったことで、ウズラとかカエルとかあったら良かったのにと思う。「いや、もちろん精肉になった状態でないとね。生きてる鶏やウサギをさばくところから始めるのはちょっと無理だし~」と言ったら趣味の会のおじさん達はびくっとした。「こんなのは男の仕事よ!」とか言われてナタを渡される図でも想像したのか。


 結局、食べものでも何でも価値観をそこそこ共有できてなお、お互いに協力できるのでなければ貸し別荘どころか一緒に旅行するのもイヤ、ということになるのだろうと思う。日常に問題が生じなければわざわざ亀裂を広げに行くことはない。それでも行きたければ、見直しを図るしかない。
 
 あとは何があったか。行く前に読んでおけばいいものを帰って来てから、
「夫婦で行くバルカンの国々」清水義範著:集英社文庫
 を読んだ。今更ながらに陸続きの国、そうでなくても狭い海をはさんだだけの国々に宗教がからめばどうやったって揉めずにはいられないと納得した。
 城壁の美しい街が沢山あるというのは結局、過去にその数だけ揉めたという意味なのだ。何もなきゃー城壁なんぞ要りゃしない。東京の人も京都の人も沖縄の人も同じ日本人であってもそう言いきれない事情を抱えているが、クロアチアも同様なのであった。清水義範は、帰ってきてから旅行ガイドをしてくれた。ためになりました、はい。


長い間、つたない旅行記を読んでくれてありがとうございました。