イタリア北部旅行 5 ピアチェンツァへ

 朝食の部屋、フルーツの場所にはスイカとメロンが並んでいた。
卵をゆでてくれてあった。こちらの卵ゆで機は蒸気で作るようになっていて、モノの2,3分で出来るのだとのことだが、出来ても余熱で完全に熱を通すようになっており、熱くて触れない。手元に置いて待ってみたけど、水を使わないといつまでもいつまでも熱いと初めて知った。

 10時出発、親切なスタッフに100均の女子用のお扇子を渡したら、ものすごく喜んでくれた。「このホテルを選んでくれてありがとう!」って、こちらこそ、この人に出会えてどんなに助かったか。この人でなければマルコーニ記念館は見られなかった。記念館で出会った人だって、前回3年前に訪ねたときには予約が必要とは知らず入れなかったと言っていたくらいである。もっとましなものを差し上げて然るべき御恩だった。
 
 ボローニャ駅の自動チケット売り場。ピアチェンツァまで急行で約2時間。自動販売機は2種類あり、どちらで買うべきかわからない。夫が並ぶ一方で私がもう一方に行きチケットを買おうとしたら係員がやってきたので「ピアチェンツァ?」と言ったらあっちだからと夫が並んでいる自販機を示す。「グラーチェ!」と言ってにっこり。外国行くと私は何かというとにっこりしている。にっこりは楽で便利で融通が利くのでオススメだ!!
  
 当初の夫の計画ではボローニャとアスティーに行こうかとしていたようだが、もうひとつどこか、と思ってピアチェンツァに決定したらしい。ピアチェンツァはどういうところかと言えばイタリア北部、ポー河の南にある。郊外も入れて人口は10万人ほど、ローマ帝国の時代には人は定住していた。狭い旧市街には宮殿や貴族の邸宅がいくつもあり、自治体庁舎や銀行の建物になってたり。県内では数多くの古城が今も居城として使われていて、イタリアで最も美しい村として3つが選ばれているんだとさ、と。
 
 電車の中ではお姉ちゃんがトランペットみたいな音をたてて鼻をかんでくれた。日本人と違い、鼻がむずがゆいときにも鼻をかむと見える。でないとあの音は説明できない。脚が長くて太ももの存在感が実に見事なお姉ちゃんだった。鼻をかむ音といい、日本では出会えないレベルで。もはや旅情というものだ。
 
 ピアチェンツァは街中が花の香りで包まれていた。百合のような、そうでもないような。やがてそれは街中一帯に植えられている高木の、そのまた小さな花から香っているものだとわかった。それからその花の香はイタリアから帰国する日まで我々を包んだ。そしてお終いには鼻水が出るようになったのである。マジで。
  
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 ピアチェンツァでも朝食付きの民泊に泊まることになっていた。それはいいが、駅から電話しても、出ない。見切り出発、今回はするすると迷うことなく到着。たどり着いた建物のドアをぐいぐい押していたら後ろで笑う男子がいて、それが部屋のスタッフだった。電話には出られなかったけど本日の宿泊客だろうと推察して部屋の前で待っていたようだ。
 
 ドアは外からはカギを入れ、内側からはスイッチを入れれば自動的に開くようになっていた。相手はこちらがイタリア語を話さないとわかったら、今度はスペイン語はどうかと聞く。話者の数からすればイタリア語よりスペイン語の方がはるかに多いから理屈にはなっている。東洋人として確率的には中国語で、けどそこは英語だろう。
 
 彼は英語対応のスマホのグーグル翻訳を使ったが、今度は朝食の時間を口頭で伝えようとして困惑。8時、スペイン語でオーチョ、イタリア語でオット。
  
 今回の部屋は広かった。ダブルベッドの部屋の奥にシングルベッドを2つ入れた部屋があり、そのまた奥にトイレとシャワーがあった。鎧戸を開ければ光が入り、その先の小さなベランダに洗濯ものを干せた。天気は良くて湿度は低く、洗って干してまた洗ってもすぐさま乾いた。暑かった、ともいう。腕には日焼け止めを塗っていたが、ある時手を洗った後塗りなおすのを忘れ、夕方には腕時計の跡がついた。
 
 荷解きを終えたあとで広場の案内所に行ってみた。各国語で書かれたピアチェンツァの案内書を置く棚には日本語のだけが有り余っていた。まずは地図を入手。インフォメーションの二人のお姉さんはとても親切。旧市街は例のごとくそんなに広くなく、歴史的観光施設以外の今時の便利施設(ショッピングセンターとか)は郊外にある。
 
 案内所ではレストランがある場所を聞いた。大抵は広場のあたりが観光名所なのでいくつかあるが、名所だけあってあまり面白くなくお安くない場合も多い。ホテルはちょっとだけ外れたローマ通りにあるが、近くにもいくつかあった。
 
 ホテル方向のレストランを見繕いつつ、聖フランシス教会に入ってみた。古い教会らしく柱がぶっとい。ポルトガルポルトの大聖堂を思い出す。教会の大伽藍を支えるべき柱はここよりもなおも太く、合間に並ぶ信者が座るための椅子がおままごとのように見えた。計算よりも力づくで建てた証拠みたいなもんか。ケン・フォレット著「大聖堂」新潮文庫、では大工がその計算を間違えて大聖堂が崩れ落ちるシーンが描かれている。
 
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 通りを挟んで大聖堂があり、その通りは言ってみれば表参道か。今どきのお店が並んでいて、土曜の午後ともあれば若い子も沢山歩いていた。我々を追い越して行く女子の身体は様々なバラエティーがあって、楽しい。お椀のような胸を二つつけた若い女子はお尻も同様で、その形はくっきりとなお、ここからここまでがソレ!と主張している。
 
 概ね顔は小さい。脚も腕もフライパンで焼いてかじりたくなるほどむっちり太くてもウェストは必ずぎゅっっ、とくくれている。こういう人は必ず男の人と手をつないで歩いていて、女子の外見が男子の都合なら、これはまさに合致しているという意味だ。

 胸元は出してもいいが脚はダメ、と聞いているが若い女子は気にしていないようだ。お椀の下半分は全くカバーしないようなデニムの短パン女子は珍しくない。太かろうがなんだろうが若い女子は皆ミニスカートだ。暑いし。

 マダムな年齢の女子はそんな格好はしないが、体格に合わせて存在感のあるネックレスをしている。香水はむしろ男子の方がつけている。お年寄りの女子は大抵小さく、そういう人はぽっくりサンダルを履いて背丈を補っている。

 何度も書くが、日本と違って身体のバリエーションがけた外れに多い。背の高い人、小さい人、それぞれに痩せた人太った人がいて、痩せていても胸だけはどーんと大きい人、一見太っていてもウェストだけがぎゅーっとくくれている人、それぞれが珍しくない。街中には洋服のお直しの店が沢山あり、袖丈から何から皆ぴったりな服を着ている。

 夫、ここ10年ヨーロッパに行くたびに言い出すセリフを今日も言う。「何で白い服の下に黒いTバック履いてんだろう。Tバックとは下着の線を隠すためのもんじゃないのか」 と。理屈の追求をするよりは、これも旅情だと思って呑み込むのが正しいと思う。

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 ホテルに帰り食事に行った。地元産らしいモッツアレラに似たチーズが前菜。

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メインは豚肉をベーコンで巻いて焼いたもの、私はアンコウの唐揚げ。食材のイタリア語を一通り調べてきたはものの、アンコウまでは手が回らず、英語メニューの monk fish もまたわからず、夫にパソコンで引いてもらった。毎晩、水、ビールにワイン1本を飲んでいる。

この日は19000歩。