伊豆長岡でご馳走食べちゃった

連休前、久しぶりに二人でお泊りおでかけ。例によって妻による旅の記録。写真少なし、長文注意です。

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 それは、普通にどこか行きたくなったからだった。夫は脊柱管の関係で長時間歩けない。それでも趣味があり、関連の買い物はPCでこなし、それでダメなら私を秋葉原までパシリに使い、楽しい引きこもり生活(これを私は「深窓の令爺」生活と呼んだ)を謳歌してきた。しかしながら季節は春となり、他の懸案も片付いてしまうとこのままではよくない!と。ため込んだデパートのファミリーカードで北京ダックをお持ち帰りもしたし、イタリアンなお弁当を東京駅まで買いにも行った。だが、出来れば温め直すのではなく、出来立て食べたいな、と。自分が作るのでもなく。

 と言うわけで夫があまり歩かなくて済んで、特別なご馳走食べられる温泉宿(お高くなくてと、ここ重要!)を探すべく、PC に向かったのである。うろうろ迷う余裕はないのでそこそこ土地勘があり、それでいて特別感のあるところが良い。まずは箱根が候補にあがる。高速バス1本で行けるからである。しかしあまり行ったことはなく、行くことがなければ土地勘があるわけがない。

 宿のHPのアクセス欄を見ても「高速バス停目の前」という表示も、そこからタクシー
ですぐ、というのもない。大体箱根って温泉は確実だが山であり避暑地のイメージ。肉は自分で焼けるがお魚食べたい。そのうち一度日帰りでロケハン行ってからだな、と思うだけで終わった。

 熱海伊東でも悪くはない。しかしこのあたりになると実家近く感が濃厚になってきて、特別感がなくなる。それではいつも通り過ぎる各駅停車で真鶴、湯河原あたり?と検索してみたが湯河原、高級!?こりゃーダメでしょうとという値段、降参。

 夏場に行ってみたいなーと思っていたのは天城だが、春だからまだ寒かろう。三島、沼津で探し、伊豆長岡で検索。確かお宿がこじんまりとまとまっていた記憶があるし、駅からタクシーですぐである。

 そのあたりの宿をネットで探し予算に照らし合わせると候補は二つ。ひとつは何故か中華が楽しめる宿「サンバレー伊豆長岡」、内容は北京ダック、フカヒレ、伊勢海老。もう片方の宿は和食の宿「いづみ荘」伊勢海老の御造りに和牛、アワビという組み合わせだった。

 「いづみ荘」の公式HPの料理ページを見れば、甘エビ樽盛りという漁師の家にでも行かなければあり得ないプランも載っていた。エビ好きな夫に、甘エビてんこ盛りと伊勢海老御造りのどちらがいいかと聞けば、伊勢海老はそうそうないからと言うわけで伊勢海老のプランに決定。

 民宿ならともかく温泉旅館なのにこの夕飯のメンツで2万円しない。それどころか、平日だからとまた安くなった。伊勢海老もアワビもどの程度なんだか、これじゃどんだけ小さくても目の前に現れるだけで十分、お終いには自分が料理しなくて済むならもうなんだっていいや、とさえ思ったのはつまりもうネット検索に飽きていたのだな。

 ちなみにそこは武者小路実篤ゆかりの「実篤の宿」とのことだった。けどまああのあたりはそういう文学宿?が多い。ちらと見た戸田の宿は「太宰治」だった。なるほど富士には月見草が似合うとはそのあたりで思ったのか。

 交通機関を確認する。うちから伊豆長岡に行くには、川崎から東海道線・三島で乗り換えて駿豆線、という方法しかないと思っていたが、長岡には沼津からバスが出ていると知った。それなら箱根行きバスで新緑を間近に楽しみながら御殿場で御殿場線に乗り換え、沼津からは海や街を眺めながらバスでのんびり行きましょうか、と。夫は箱根行きバスに乗るのも殆ど10年ぶり、御殿場線なんて聞いたこともなく、沼津もちろん降りたこともないという。新鮮さ、十分ですね!

 当日はいつもの時間に起きてだらだらと支度をし、3分遅れで来た高速バスに乗った。この日は曇りの予報だったが、乗り換えの御殿場駅に着いたら濃霧が出ていた。大きく見えるはずの富士山が見えない。途中、アウトレットを目指すお客たちが御殿場インターで降りて行ったが彼らは霧の中でお買い物したはずである。 

 そんな霧はこっちだって何十年ぶりかで見るし、夫は夫で初めての御殿場線の景色が
物珍しい。私は身延線に乗りに行ったときに乗ったが、東海道線とは懇意なくせに実はその時初めて御殿場と国府津を結ぶ御殿場線に気が付いた。

 何故ここに御殿場線というものが存在しなきゃならんのかと思い、調べてみた。それによると御殿場線は1889年、東海道本線の一部として開業。1934年に熱海から三島に抜ける丹那トンネルの開通まで、こっちが東海道線だった。なんとなれば当時の技術ではそちらを走るしかなかったから。とはいえこの山側ルートも箱根の外輪山にあたるため、当時大変な難所だったらしい。

 そのあたりの電車事情を並べて行くと1889年に東海道本線開業に次いで三島から伊豆長岡に向かう駿豆線開業が1898年(現在は修善寺まで通じている)。当時の三島とは現在の御殿場線下土狩駅のことで、その旧三島駅から乗り換えて長岡まで行けた。

 しかし熱海から三島に丹那トンネルが開通するとそちらに三島駅をおくこととなり、
駿豆線の乗り換え駅も新三島駅に作ることになって旧三島駅下土狩駅と改名、御殿場線の中の一駅となった。

 それでは伊豆半島東側はどうだったのか。熱海は間欠泉があったりして、江戸時代以前から存在は確認されていたし熱川でさえ太田道灌が発見したとある。その先の下田はと言えば風待ち港として重宝されていた。

 しかしその下田まで鉄道で座って運んでもらえるようになったのは1961年、伊豆急行線の開通を待たねばならない。熱海から伊東への伊東線の開通は1938年。小田原から熱海に至る国鉄熱海線開通が1924年。1898年には長岡まで座っていけたのになんたるこっちゃ。

 列車などなくても熱海には政財界の大物や文士が盛んに訪れていたらしい。しかし東京や横浜から熱海を訪れるには海沿いの険しい道(熱海街道だと)を歩くか、駕籠、人力車を利用するしかなかった。現代では想像もつかないがそれが当たり前の時代だったから、普通にこなしていたわけだ・・・。

 それでも1896年には経費も安価な「人車鉄道」というのが小田原と熱海の間を結んで建設されていたらしい。だがこれがまさかの本当に!人が車両を押していくというシロモノで、1車両に乗客は平均6人、車夫2~3人。6両編成(想像もつかない)で小田原と熱海の間を一日に6往復、もちろん急坂となれば客も降りて押した。駕籠なら6時間かかったのが、4時間に短縮したという。

 2年やそこら早くたって、熱海はスマートさにおいて、はるかに長岡に後れをとっていたと言える。1898年には伊豆長岡まで列車に座って行けたのに、同じく座って伊東に行けるようになるにはなお40年、南伊豆に行くにはそのうえ20年もの年月が必要だったわけで、この差は大きい。道理で修善寺湯ヶ島に文豪の名が集まったわけである。

 時間がかかったのは東伊豆の地形にも問題があり、今でも伊豆急線の3割以上がトンネルである。それでも今では東京から乗り換えなしで何本も特急列車「踊り子号」が走っている。結局、修善寺行きは一日1,2往復ほどか踊り子号に連結されて熱海まで
来て、そこから別れ三島を経て現、伊豆の国市に入っていくことになる。

 ところで私が伊豆長岡に土地勘があるのは亡き父が長岡の病院に入院していたからである。その病院は拠点病院として伊東や南伊豆に至る直通バスを運行していて、私も何度か乗ることになった。春浅い天城を走るバスの中で、この道を踊り子が通ったんだなーとか思っていた。旧天城トンネルとかバイパス道路の話はともかくとして。

 話は元に戻る。御殿場駅は霧だったが裾野駅にたどり着く頃には霧はさっぱりと晴れて、沼津では跡形もなくなった。長岡行きのバスは一時間に2本。ちょっと駅ビルのお店を見に行くと大きな真アジを開いたのを天ぷらにしたのを売っていた。そんな大きなアジを二つ入れたお弁当は500円。駿河湾、すごい!!

 沼津から伊豆長岡まで路線バスで50分弱。最初はシャッター商店街を走るが、結構長くて左右に広がっているような気がする。伊豆で何やら認可を申請しようとすると、沼津まで行くことになると夫は言うが、それも文明の歴史がなせる業なのか。余談だが若山牧水は沼津の出だそうである。もっと寒いところの人だと思ってた!

 バスは平地をゆっくりと進む。やがてくるりを方向を変えると右に海岸線、左に山がそびえたつ。間の平地は狭くなっていくが、その山の向こうこそはなだらかな三島や伊豆の国市となる。海は日本一深いと駿河湾。かなり入り組んでいて、いっそ海に見えないほど。

 その後行く手に警察車両と交通整理が見えてきて、事故があったとわかった。バスの窓からのぞき込めば「伊豆の踊子」と車体に書かれたバンで、そう言えばそんなお菓子があったっけ。配達中かなんかのその車が何を間違えたのか民家に10cmばかりのめりこんでいた。その横には民家の持ち主なのかご近所の人なのか、3人のおじさんが腕を組んで立っていた。ついうっかりのぞき込んでしまったが、温泉旅行の途中に見る事故としてはこれくらいで済んでよかったと言えた。しかしなんでわざわざ「伊豆の踊子」・・

 バスはやがて海岸線から離れようと、トンネルに入ろうとした。その眼下には狩野川から駿河湾に通じさせて放水している大きな2本のトンネルも見える。このあたりでは大災害と言えば狩野川台風だと記憶してるので、そういう視線になる。

 ところで実篤の時代には北伊豆地震というのもあり、倒壊した宿の中では実篤の靴が見つからず、なんとスリッパで東京まで帰ったらしい。スリッパとは丈夫なものだなあと思うのは私だけか。

 トンネルを抜けると海などはなかったかのような集落があり、どこの家も畑に柿を植えている。またトンネルを抜けると左の丘には万城のわさび工場が見えて、その次にはいちご狩りののぼりや看板が見えてくる。沼津から、トンネル一つで伊豆の国市になったと思っていたら、今度は簡単に長岡温泉入り口とのアナウンスが入った。長岡が、あまりに海に近かったので驚く。思えば天城のイメージが強すぎた。沼津の方から入れるとも思っていなかったし。

 久しぶりの長岡にはそこかしこに「北条時政ゆかりの・・」と書かれたポスターが貼られていた。「鎌倉殿の13人」は未だに判別が難しいが、北条氏となれば別格ではあるな。

 「いづみ荘」到着。宿は新しくない。しかし畳が替えられていて、床の間には花が活けられ、和室10畳のはずがもっともっと広くて、畳が敷かれた広縁と次の間までついている部屋があてがわれた。夕食まで時間があったので夫は横になり、私は父がいた病院の方まで歩いてみた。

 昔に見た素敵な建物には蔓がからみつき、どうやら廃墟となっている様子。健在なのは病院ばかり、その日もドクターヘリが飛び、救急車が走っていてその車体には富士山の文字があった。まあ病院自体は元気でないと困る。

 部屋に帰り、夕食前にお風呂に行く。露天風呂は岩風呂となっており、薄暗い庭の中のそれには枯れ葉が浮かんでいた。実のところこれくらいが好みで、出来ればむしろ足元が見えないような濁り湯で、ぼうっとしたら湯あたりするくらいだともっといいがそこまで贅沢は言えない。物音がして、見上げたらぶちの猫が屋根から降りてくるところだった。

 その後は平日割引の特選コースの夕食のお時間である。まずは静岡そだちの牛肉用と、炊き込みご飯用の火をともす。前菜盛り合わせからお約束の伊勢海老の御造りのために熱燗を注文。

伊勢海老、ちゃんと一匹づつ出てきた!牛肉が音を立てる頃にはご飯もふつふつと言い出し、やがて出て来たアワビも踊り始める。

 この値段ではとあまり期待してなかったが、もはや恐縮するばかり、疑って申し訳ありませんでしたと心の中で平服することになった。アワビはお約束の踊り焼き以外にグラタンでもう一つ出て来た。これが養殖だとしても、アワビを出すからには普通一つだけでは?もう少し惜しそうな顔をするべきでは。目の前で炊きあがったご飯は赤ムツの
炊き込みご飯、デザートには柏餅。満腹でもつるりとあんこが入っていく・・・

 

 翌朝。朝食は豆乳を温めるおぼろ豆腐の湯気の横には、昨夜の伊勢海老のガラを使った味噌汁がたっぷりと、大きなお椀で供された。塩辛、うまいっ!!卵焼きは焼きたて!菜っ葉ちぎったサラダじゃなくてポテトサラダ。ひじきの煮つけときんぴらも、大き目の器で。ただでさえ温かいサバの煮つけがあるのにその上あじの開きの焼いたのまで出してくれた。こんなに温かいものだらけの朝食は見たことがない。少なくとも私が行く先では。

 食事時間は30分ごとに指定することになっていて、してみればこの温かい食事は周到に組まれたタイムテーブルのおかげでもある。しかし、それをここまでやってくれるところは今までなかった。まして朝食は。

 食べ物目当てとしたら、上等中の上等だった。何で極上と言わないかと言えば、他所にはあるかもしれないが、そんなの知らないからである。こんなおもてなしならば、温泉の内容なんかどーでもいい。

 だが、実篤がいづみ荘に通っていたのこそ、その温泉が神経痛に効いたかららしい。そして温泉の来歴はお風呂の入り口の貼り紙によれば田畑から湧いて出たとのことだし、HPによればそのあたりが暖いので子供たちに掘らせたら出た、とのこと。

 その子供がいくつなのかはわからないが、温泉といえば機械で何百メートルも掘った挙句に出るの出ないので大騒ぎが普通らしいのに、人力でちくちくと掘っただけで湧いて出るとは恐ろしい。結果それは長岡の一号源泉となり、昔は提灯持って山を越して入りに来たと言うが、それは沼津からの話だねと今なら言える。

 館内のそこかしこにある実篤の色紙に柿の絵があり、「花は地味だが寶は見事」と添えられていた。来る途中に見えた柿畑は昔からそのあたりで良く出来ていたということか。次は秋に来てみようか。

 帰りは長岡駅から三島を通ることも出来たが、目の前がバス停であることから沼津から東海道線で帰ることになった。そうか、それならお土産は沼津駅のスーパーのアジの開きの天ぷらにしよう!と思っていたが時間が早すぎてお店に並んでいなかった。だが、イチゴがうちの近所より100円安いことを発見!イチゴ狩りやってるくらいの産地、また粒が立派なこと!!扱いが厄介ながら買った。その挙句に沼津のまだ発車しない電車の中、周囲に人がいないのをいいことに、「さっ、あなた今のうちにっ!」と夫を唆す。夫も夫だ、いい年して電車でいい匂いをまき散らしながら素直にイチゴをつまんだ。

 それにしても困っている。旅の目的はもちろんアワビや伊勢海老だけではない。しかしこんなものを食べた後では、他所に行くときには食事に関しては最初から後悔を覚悟しなければいけない。いやあ、自分がこんなにアワビや伊勢海老に弱いとは知りませんでした。あと、温かい朝食にも弱かった!

 宿からは甘えびの樽盛りの写真が入ったクーポン券をもらった。これが3か月で切れてしまう。てことは次は夏、またクーポン券もらったら秋、またもらったら次は冬??四季全て経験してくださいということか。 他にも行ってみなければいけないところはあるのに、益々人生が短いものとなる。困った困った。

 困ったことはもう一つ。周辺の鉄道の歴史があまりに面白くて、自分がいるのがいつ、どこなのかがわからなくなったことでした。